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1jigendaddyjigendaddy   (゚、゚トソンフラジールのようです

1 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:27:04 id:BnCvjKAs0
私は、どうやら分家の娘らしい。

分家と言っても大したものではない。
ただ田舎にある実家には本家があって、そこがやや大きな屋敷であると言うだけだ。
私の先祖はかつてその周辺の地主であったのだという。

今やその影は全く無い。祖父母が亡くなってからは、実家に帰ることもなくなった。

記憶にある田舎の風景は、海に面した平和な世界だ。
何者かに置き去られ、或いは捨てられて、自然だけが自生している場所。
時折顔を覗かせる住人達の姿が、むしろ不自然に思われるほどの空気があった。

海は、実家から歩いて数分の場所に広がっている。
そこは柵のない、十数メートルはある崖になっていて、子どもの頃は近づくなとよく注意をされた。

昔は漁業が盛んであったというその場所に面影は見当たらない。
力仕事の出来る若者は皆都会へ消えたそうだ。

その海の広さや深さを私は知らない。空の広さや高さを正確には把握していないように。
私はその海を表面的にしか眺めていない。足を踏み入れたことさえ、一度も無い。

しかし――だからこそ、と言うべきか――私は一つ心に決めていることがある。

死ぬ時は、その崖から飛び降りよう、と。

2 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:27:54 id:BnCvjKAs0
別に深い理由があるわけではない。単なる思いつきと言っていいだろう。
死ぬ時は綺麗な場所がいい。そんな、ほんの少しズレた理想があるだけだ。

例えば、交通事故や、天災や、押し込み強盗などは私の理想に手を貸してはくれないだろう。
それでなくとも、多くの死は身体の自由を奪ってから襲ってくる。老衰で死ねる人は怖ろしく少ない。
それはそれで構わない。仕方の無い話だ。理想は破れ、私は少し後悔するだろうが、悲壮ではない。

むしろ、死に場所を決めるという行為は生きる事へ前向きにさせる効果があるのかも知れない。
私の現在の住処から実家のある田舎までは電車を乗り継いでざっと二時間以上はかかる。
要は非常に面倒なのだ。ちょっとした死にたさだけで動ける距離ではない。

だから私は簡単には死ねない。というよりは、自分で自分を殺せない。
これからも自ら実家へ向かう機会は訪れないだろう。故に死への衝動も起こらない。

馬鹿馬鹿しい自己啓発。馬鹿馬鹿しい生へのひたむきさ。
そんな言葉が頭に巡る。イヤミな自分がまだ生き残っている。

それでも、なお。
私は生きていこうと思っている。死のうとしないなら生きていくしかない。
多少の苦痛なら甘んじて受け入れる。大きな苦痛からは遁走する。

いずれにせよ、あの場所には辿りつかない。

私は、都村トソン。
私には、死に場所が、ある。

3 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:28:47 id:BnCvjKAs0










(゚、゚トソンフラジールのようです










                   ――或いは、Good bye Thank you

4 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:29:30 id:BnCvjKAs0
1.知らない

从 ゚∀从「いたぞ、変人」

大学の六番会館内、第二講堂。
臨床心理学の講義を受けるために教室へ入った私に向かって、彼女は大声をあげた。
彼女――ハインは一番奥の机に座ってこちらに手を振っている。周りのことなど気にしていない。

从 ゚∀从「おい、トソン、はやくこっちこいよ!」

(゚、゚トソン「……ハイン、変人、というのは私のことですか?」

私は彼女の隣の椅子に腰を下ろして、鞄からレジュメとルーズリーフを取り出す。
そしてレジュメの半分を彼女に手渡した。

从 ゚∀从「お、いつも悪いな。ここんとこバイトが忙しくってさ」

(゚、゚トソン「一応、分かりにくいところは補足してあります」

从 ゚∀从「かーっ、やっぱ優等生は違うね。文学部棟にお前の学生番号張り出されてたぜ」

从 ゚∀从「今期優秀成績者一覧ってな」

(゚、゚トソン「……」

从 ゚∀从「ちなみに、俺の学生番号も張られてたわ」

(゚、゚トソン「至急事務室に来るように、でしょう」

从 ゚∀从「そうそう! やっぱ単位足りてないのかな」

(゚、゚トソン「……さあ、そこまでは私も把握していません」

5 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:30:18 id:BnCvjKAs0
ハイン――正確にはハインリッヒ高岡――は、見た目通りの性格をしている。
一人称は、『俺』。普通ならイジメの恰好の餌食なのだが、彼女は違う。
むしろ彼女が『私』などと称すれば驚くほどの違和感があるだろう。

彼女は私と同じ大学の同じ学部に通う、同回生である。
ただし、恐らくこのままでは私よりも遅れて卒業する羽目になってしまうだろう。
……理由について、ハインは殆ど口にしようとしない。ただ、時々。

从 ゚∀从「金が無くてさ」

と、こぼす。

彼女は大学に程近いアパートで一人暮らしをしている。
本人の言によれば、それは逃走に近い行動だったそうだ。
彼女が逃走しなければならなかった相手は、家族である。

ただし、それ以上のことを彼女は語らない。
どうやって入学金などを捻出したのか、私は一切知らない。

ただ私が知っているのは、彼女がアルバイトによって学費を稼ぎ、
また、学費以上の金額を何らかの用途に使い果たしてしまっていると言うことだけだ。

6 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:31:08 id:BnCvjKAs0
(゚、゚トソン「……それで、変人呼ばわりについて、何か言い訳はありますか?」

从 ゚∀从「えっ」

从 ゚∀从「……いやいやいやいや、違うって、お前の事じゃないって!」

(゚、゚トソン「じゃあ、何なんです?」

从 ゚∀从「お前が言い出したんだろ!」

(゚、゚トソン「……はい?」

从 ゚∀从「何か、面白そうな変人に会ったら教えろって」

从 ゚∀从「小説のネタにするからって」

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「そうでしたっけ」

从 ゚∀从「そうだよ!」

7 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:31:52 id:BnCvjKAs0
私の趣味は小説を書くこと、だ。
何かの機会でそう自己紹介すると大抵は奇異なものを見る目で見られる。
次いで、「へえ、すごいね」などといった、あからさまに反応に困っている答えを返される。

そういうものだ。

小説を書くことはおろか、小説を読むことすら教科書以外では少なくなった現代に、
わざわざ何故そんなものを趣味にしているのか、心底理解出来ないという人も多いだろう。
正直なところ、私自身ですら何故書いているのか分からなくなることがよくある。

それでも、書く。中学生の頃に初めて小説を書き上げて以来、私は一貫して書き続けている。
都合の良いことに高校と大学には小説を書くことを目的とする部活動があり、
私はそこに所属してひたすら小説を書いた。今もなお、書いている。

ところで、私の趣味が小説だと知った相手の殆どは、このような質問を投げかけてくる。

「どんな小説を書くの?」

と。

これは、発言者の想像を超えて回答に困ってしまう質問なのではないかと思う。
自分が書く作品のせいかもしれない。
私は、自覚する限り推理小説やSF小説といったような枠組みに当てはまる文章を書いたことがない。

そのため、私は次のように答えるようにしている。

(゚、゚トソン「純文学です」

――多くの場合、ここで会話は途切れる。
現代人は――私も含めて――純文学のことなど何も知らない。

8 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:32:42 id:BnCvjKAs0
(゚、゚トソン「……ああ、思い出しました。思い出しましたけど」

(゚、゚トソン「ハイン、私がそうお願いしたのは、もう二年ぐらい前のことではありませんか?」

この世の中に、話すネタに事欠かない人間というのはそれほど多くないと思う。
それと同じように素人と玄人に関わらず、モノを書く人間というのは常にネタ不足に陥っている。

そんな時、人間は三つの方法でネタを仕入れようとする。
一つは自分の過去を引き合いに出すこと、二つ目は既存の作品を模倣すること。
そして三つ目に、誰かの体験を持ち出してみることである。

从 ゚∀从「おいおい、二年も昔の話を忘れてなかったことに感謝しろよな」

(゚、゚トソン「……それに関しては、ありがとうございます」

二年前、まだ大学一回生だった頃の冬に。私はハインに確かにそのようなお願いをした。
私なんかより遙かに外向性の高いハインは、変人とよく出会うことを自慢げに話していたのだ。
だから私は何の気もなしに依頼した。ハインは安請け合いしたが、叶えられるとは思っていなかった。

(゚、゚トソン「それにしても、どうして今更、二年前のことを?」

从 ゚∀从「いやいや、俺も一応回らないこの頭で考えてみたのよ」

从 ゚∀从「トソンって奴はまあ頭がいい」

从 ゚∀从「顔もいい」

从 ゚∀从「スタイルもいい」

从 ゚∀从「ただし胸は」

从 ゚∀从「だから、並の変人では納得しないだろう、と」

从 ゚∀从「そこで俺は一定のハードルを設定して、それを超えてくる変人を」

从 ゚∀从「今日まで待ってたってわけよ」

(゚、゚トソン「……馬鹿にしてますよね、それ」

9 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:33:28 id:BnCvjKAs0
とは言え、確かにハインの言う通りかも知れない。
私だって馬鹿では無い、と思う。だからある程度の人間の生態というものは、
それなりに想像で補うことができる。変人、というのもなかなか定義の難しい言葉だ。

(゚、゚トソン「ともかく、そのハードルを超えた変人がいたわけですね」

从 ゚∀从「ま、そういうわけだ。と言うよりは……お前好みって感じかな」

ベルが鳴り、教授が入ってきた。しかしハインは気にも留めず机の上に座ったままだ。
彼女だけでは無く多くの学生が授業に向き合わず会話に夢中になっている。
教授もそれを咎めようとはしない。いそいそとパソコンを教卓に設置し、スライドを映す準備を始める。

从 ゚∀从「内藤ホライゾンって奴なんだけどな」

(゚、゚トソン「はい」

从 ゚∀从「……あー、そうだな、お前、ブーンって」

从 ゚∀从「知ってるか?」

(゚、゚トソン「……知っている可能性があるんですか?」

从 ゚∀从「あるんだな、これが。ブーンっていうのは内藤のネット上の名前なんだ」

本日分のレジュメが配られる。
この講義は出席点が無いから誰かのために複数枚取る生徒が少なくない。
先週までの、私のように。

10 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:34:14 id:BnCvjKAs0
从 ゚∀从「内藤は今二十九歳なんだけど、一年ぐらい前までの数年間」

从 ゚∀从「ネット上で積極的に活動してたんだ」

(゚、゚トソン「活動?」

从 ゚∀从「何て言うんだろうな、ああいうのは……」

从 ゚∀从「見た方が早いか」

そう言うとハインはコートのポケットから携帯を取り出し、何やら操作を始める。
暑くないんですか、と言おうとして私は口を噤んだ。
彼女は徹底的に素肌を見せようとしない。夏でも、彼女は必ず長袖を着ている。

从 ゚∀从「あ、ほれ、イヤホン」

(゚、゚トソン「……音が出るんですか?」

从 ゚∀从「ああ、Youtubeだから」

11 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:35:02 id:BnCvjKAs0
私はハインの携帯を手にとって眺め入る。
読み込みにしばらく時間がかかって、映し出されたのは真っ白い壁とベッドだった。
小刻みに映像が揺れる。カメラのセッティングをしているのだろう。

(゚、゚トソン「ハイン、これは……」

从 ゚∀从「まーまー、見てりゃ分かるって」

言われて再び画面に目を戻すと、右側から人物が映り込んできた。
対象物が無いからよくわからない。しかし比較的長身であるように見える。
髪はボサボサでまるで整っていない。身につけているのは真っ黒なジャージだ。

くぁ……とその人物が大きく口を開けて欠伸をした。
猫背をさらに丸め込むようにしてベッドに座り込む。
俯いたまま、しばらく動かなかった。どこか遠いところで、カラスが鳴いた。

その直後、人物は大きな舌打ちをした。鳴き声に苛立ったのだろうか?
そして矢庭に首をもたげた。長い前髪の隙間から覗く眼差しは――。

――狂気、と呼ぶにふさわしい光を湛えていた。

12 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:36:36 id:BnCvjKAs0
( ゜ω゜)「東北の、大地震」

男はゆっくりと話し始めた。その声色は、落ち着きと激情が入り交じっているかのようだ。

( ゜ω゜)「死者は、二万人を超えているそうだお」

( ゜ω゜)「惜しいお、日本の一年間の自殺者には、足りないお」

( ゜ω゜)「復興、復興、復興、復興……」

( ゜ω゜)「自殺者の心は誰が復興するのか?」

( ゜ω゜)「その、一方では、政治や経済や、そのような」

( ゜ω゜)「社会のシステムが、何事も無かったかのように回り続けているお」

( ゜ω゜)「それこそが、復興への足がかりだと、言い訳をしながら……」

( ゜ω゜)「復興となれば、いつもは、矢面に立たされている」

( ゜ω゜)「公務員が主導する公共工事が増加することとなり」

( ゜ω゜)「いつもは批判されている土建屋が儲かることになるお」

( ゜ω゜)「人間は、所詮、大災害と、日常を」

( ゜ω゜)「別々に分けることでしか思考することができないんだお」

( ゜ω゜)「その間に見かけ倒しのスローガンを挟むことしかできない……」

( ゜ω゜)「う、ううーーーーっ!」

13 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:37:43 id:BnCvjKAs0
突然男が叫び声をあげて自分の首を片手で締め付けた。
ベッドから転がり落ちる。その震動だろうか、カメラが大きく揺れて、映像が大きく転回した。

从 ゚∀从「はい、終わり」

私はしばらく沈黙してから、ほう、と疲労を混ぜた溜息をついた。
時間にすれば一分前後というところだろう。大して長い動画ではなかった。
しかし、妙に負担の大きい時間だった。言っている内容も、大したことでは無い筈だが……。

从 ゚∀从「これがブーン。ネット上で、ほんの少しだけ有名になった男だ」

(゚、゚トソン「……知りませんでした」

从 ゚∀从「まあ、そうだよな。三日間ぐらい、祭り上げられてただけだから」

(゚、゚トソン「祭り上げられた?」

从 ゚∀从「『ブーン』は数年にわたってこんな感じの動画をアップロードし続けていたんだ。
      まー別に気に留める奴もいなかったんだが、ある時掲示板に動画が貼られてな。
      それを契機にそれまでの動画も発掘されて、いわば、『炎上』したんだ」

(゚、゚トソン「はあ……」

从 ゚∀从「とは言え、そこまで面白いネタでも無かったからな。祭りは割とすぐ終息した。
      でもえげつないもんでな、当人はとっくに動画を削除したのに、
      どっかの誰かがコピーしたものをアップロードして今でも『拡散』されてるんだ」

(゚、゚トソン「……それで、そのブーン、とハインがどのような関係に?」

从 ゚∀从「来たんだよ、うちの店に」

14 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:38:26 id:BnCvjKAs0
(゚、゚トソン「……そうなんですか」

从 ゚∀从「あ、引いてるだろ、お前」

从 ゚∀从「しくったな、先に動画見せるんじゃなかった」

こういう人物が存在しているという事実自体には大して驚きはない。ありがちな狂人、だ。
ただ、実際に目の当たりにするとどうコメントすればいいか分からなくなってしまう。
重度の知的障害者と道ですれ違ったような後ろめたさ。仄かに湧き上がる罪悪感。

(゚、゚トソン「ハイン。世の中には恐らく、触れてはいけない人もいると思います」

从 ゚∀从「おいおいトソン、そりゃ差別だぜ。変人は変人だ。同じだよ」

从 ゚∀从「それにな、こいつはお前の思ってるタイプの変人じゃない」

(゚、゚トソン「……はい?」

从 ゚∀从「なんつーかな、こう」

从 ゚∀从「腑抜けなんだよ」

15 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:39:12 id:BnCvjKAs0
(゚、゚トソン「腑抜け……」

从 ゚∀从「そ、生気の無いただのアラサー」

(゚、゚トソン「私が先ほど観た映像からは猛烈な躍動を感じたのですが」

从 ゚∀从「一年前までって言っただろ。今のブーン……内藤はこういう活動してないの」

从 ゚∀从「本人が言うには、典型的な双極性障害なんだとよ」

从 ゚∀从「躁と鬱の間を行ったり来たり……まあつまり、奴は数年間、ずっと躁だったんだ」

从 ゚∀从「それが途切れて」

从 ゚∀从「鬱になってる。だから心配しなくてもお前に牙を剥きやしない」

(゚、゚トソン「……それ、全部本人に訊いたんですか?」

从 ゚∀从「仕方ないだろ。あいつ、他に何もしないんだからよ」

16 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:40:07 id:BnCvjKAs0
更にハインは続けた。

内藤氏本人曰く、自身が精神病を患ったのはもう十年近く前のことであるらしい。
以来漫然と心療内科に通い、漫然と投薬治療を受けているが快復の兆しはないそうだ。
Youtubeに動画をアップロードする行為も、今となっては自分の行いとは思えないという。

内藤氏は無職である。にも関わらず安アパートを借りて一人暮らしをしているそうだ。
というのも彼の両親は若くして他界し、一人っ子だった内藤氏にはやや多い財産だけが残った。
彼は働くことなく、ただその貯金を食いつぶすことによって日々を凌いでいるのだという。

从 ゚∀从「うちに来るのも月一ぐらいかなあ」

趣味はネット。殆どの日々をベッドの上で過ごす。気力が出ないそうだ。
たまに出かけるとしても人混みは避ける。まるで逃亡犯のような具合で食料などを調達し、自宅へ逃げ帰る。
食料以外はAmazonを使う。主な購入物は漫画、DVD。小説は集中力が持続しないので読めない。

从 ゚∀从「そうそう、昼間しか来ないよ」

内藤氏は精神障害者保健福祉手帳を所有している。等級は、二級。

定義としては、

『日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの』

に該当する。

上記を勘案して、私はこう結論づけた。

(゚、゚トソン「確かに、変人ですね」

17 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:41:03 id:BnCvjKAs0
从 ゚∀从「な、変人だろ」

そう言ってハインは私の目の前にメモ用紙を落とした。

(゚、゚トソン「……なんですか、これ」

从 ゚∀从「えー、住所とメアドと電話番号……かな」

そのメモを取り上げて広げてみて、私は思わず眉を顰めてしまった。
みみずがのたくったような字、という比喩は恐らくこういう場合に使うのだろう。
電話番号はともかくとして、メールアドレスと住所はとても読めたものではない。

(゚、゚トソン「暗号ですか」

从 ゚∀从「何か書けないらしいよ。手が震えるんだって」

(゚、゚トソン「書かせるなら代筆してあげればいいものを……」

私はしばらくそのみみず達を眺めた。
それから、「ん」と無意識に声を出して、ハインを見上げた。

(゚、゚トソン「……これを、私にどうしろと」

从 ゚∀从「突撃」

(゚、゚トソン「……」

18 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:41:48 id:BnCvjKAs0
(゚、゚トソン「良いんですかね、なんていうか、その人」

(゚、゚トソン「国の認定? みたいなのを受けてる割には」

(゚、゚トソン「その……結構自由に行動してますけど」

从 ゚∀从「あー、なんかね、その辺も説明してたよ?」

从 ゚∀从「手帳と、障害年金? は別々でさ」

从 ゚∀从「あいつはほら、親の財産で食ってるから」

从 ゚∀从「国から、金銭的な補助は受けてないわけ」

从 ゚∀从「だからじゃないかなあ。ほっといていいのかよ、とも思うけど」

(゚、゚トソン「……なるほど」

从 ゚∀从「で?」

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「いや、はい」

(゚、゚トソン「ハイン、ありがとうございました」

从 ゚∀从「こらこら、トソンちゃん、逃げるんじゃない」

19 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:43:00 id:BnCvjKAs0
从 ゚∀从「おいおい、当大学きっての無頼派が何を怖気付いてんだよ」

(゚、゚トソン「名乗った覚えないんですけど」

確かに、とても、怖い。それ以前にハインの突飛な行動にはついていけない。
彼女の良いところは外向性の高さだが、
反面、他人も同じように外向性が高いと思い込んでいるのが欠点だ。

軽い気持ちでお願いした過去の自分を恨む。
しかしそれ以上に、そんな軽い依頼でこんな重い人物を連れてきたハインを恨みたい。

从 ゚∀从「大丈夫、お前のことも大体伝えてあるから」

(゚、゚トソン「……」

恨みたい。

从 ゚∀从「まー、どうするかはお前次第だよ。とりあえず俺の仕事は終いだ」

从 ゚∀从「っくー」

从 ゚∀从「さて、帰るか」

20 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:43:51 id:BnCvjKAs0
(゚、゚トソン「……また、バイトですか?」

从 ゚∀从「んや、ちょっと別の用事……ああ、それよりもよ、トソン」

(゚、゚トソン「はい」

从 ゚∀从「どうする?」

(゚、゚トソン「何をですか?」

从 ゚∀从「アレ」

从 ゚∀从「あの、なんつーの」

从 ゚∀从「ほら」

从 ゚∀从「し、で始まって、つ、で終わる」

(゚、゚トソン「……就活、ですか」

从 ゚∀从「ボケるところだ、そこは」

21 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:44:38 id:BnCvjKAs0
就職活動。

私たちが三回生であり、今が一月である以上、直視せざるを得ない現実。
まさかハインの口からその言葉が出てくるとは思ってもみなかった。

从 ゚∀从「どうよ、どうよ、やってる?」

(゚、゚トソン「……まあ、一応は」

从 ゚∀从「あー、やっぱりだ。そうやってすぐお前は俺の一歩前を行っちゃうんだよな」

過剰な演技でショックを受けているハインには申し訳ないが、
私のしている就職活動は、およそ活動とは呼べないような消極的行為でしかない。
ただ周りがやっているから、大学でチラシが配られているから、参加してみるだけだ。

何も決めていないし、決めようともしていない。

(゚、゚トソン「それよりも、ハインは」

(゚、゚トソン「卒業を心配した方がいいんじゃないですか」

从 ゚∀从「何その冷静な攻撃。刺さるわ。何よりも刺さる」

とりあえず逃げることにした。
ただ、現実に現実をぶつけて相殺しただけの、愚策。

(゚、゚トソン「……ハイン」

(゚、゚トソン「近日中に空いている日はありますか?」

(゚、゚トソン「二人で、食事など出来る機会は」

22 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:45:51 id:BnCvjKAs0
从 ゚∀从「……んんー」

从 ゚∀从「や、ごめん、無いわ。ちょっと色々忙しくてな」

从 ゚∀从「悪い。でも感謝するぜ」

(゚、゚トソン「いいんです。でも、それなら」

(゚、゚トソン「耳を貸してください」

从 ゚∀从「ん、なんだ、どうした」

そう言いながら素直に顔を寄せてくるハインに、私は少し躊躇いつつ、言った。

(゚、゚トソン「その……アルバイトのことですが」

(゚、゚トソン「あまり大っぴらにしない方がいいと思います」

(゚、゚トソン「……この前、ネット上で、その、貴方の……写真が」

(゚、゚トソン「個人特定まではされていませんでしたが、分かる人には分かると思いますので」

(゚、゚トソン「貴方が、そういうことをあまり気にしないのは分かりますが……」

(゚、゚トソン「一応、忠告しておこうかと」

23 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:46:53 id:BnCvjKAs0
私の、持って回った言葉をハインは黙って聞いていた。
私が彼女の(で、あろう)写真を見つけたのは偶然にすぎない。
適当なネットサーフィンの後に辿りついただけの話だ。

だからこそ、怖ろしい。

誰がそこに至るか分からない。そしていつ、誰がこれをハインだと触れ回るか分からない。
先ほどの内藤氏の話では無いが、ネット上の画像は、一度載せられれば最早、
行く手を遮ることは誰にも出来ないのだ。用心しすぎることは無いだろう。

特に、ハインは。

从 ゚∀从「……そうか。まあでも、あれだろ? そんなヤバい写真じゃなかっただろ」

(゚、゚トソン「ええ……」

こんな子が働いてるよ、と共に載せられていた無修正のハインの顔写真。
盗撮だろうか、それとも知り合いからの流出か。
知る術は無い。その写真を彼女に見せつけることも、私には、出来ない。

从 ゚∀从「じゃあいいよ。わざわざありがとうな」

(゚、゚トソン「……」

24 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:47:43 id:BnCvjKAs0
从 ゚∀从「トソン」

(゚、゚トソン「はい?」

そう答えた私の頭をハインは右手で思い切り押さえつけた。
彼女の掌で髪の毛が無造作にかき回される。
私は何が起こっているのか分からず、されるがままになった。

(゚、゚トソン「ちょっ……と、ハイン!」

从 ゚∀从「可愛い奴だ、お前は。本当に可愛い」

(゚、゚トソン「やめてください! 講義中ですから!」

そう大声を上げた私によって大教室は一瞬シン、と静まりかえる。

从 ゚∀从「そうだな、講義中だ」

(゚、゚トソン「……」

从 ゚∀从「講義中にもかかわらずお前ときたらまた変な話を……」

(゚、゚トソン「……!」

25 名前:名も無きAAのようです:2013/01/22(火) 00:48:32 id:BnCvjKAs0
从 ゚∀从「でもな、大丈夫だって」

从 ゚∀从「つーか、そんなことでいちいちビビってたらこんな仕事できねーよ」

从 ゚∀从「それ以前に、ホームページ載ってるし、写真」

从 ゚∀从「偽名だけど」

(゚、゚トソン「……まあ、そうですが。仮にも有名大学、ということになってますから、ここ」

(゚、゚トソン「それこそ、祭りになるかもしれないですよ」

从 ゚∀从「わーってるって。退学にはならないよう注意するよ」

そう言って笑うハインの笑顔は、いつも通りの笑顔だ。
私は時々、この天真爛漫な笑みに思わず見惚れそうになる。
彼女の表情は、私を何よりも安心させ、そして信頼させてくれる。

だからこそ……だからこそ、私は時折、激情に駆られそうになる。
彼女が請け負っている役割を糾弾し、それは違う、と叫びたくなる。
しかしそれは出来ない。それは私の、些細なエゴイズムに過ぎない。

何故なら、私は、彼女のことを何も知らないのだから。

从 ゚∀从「それじゃ、そろそろ行くわ」

(゚、゚トソン「あ、はい」

講義のことなどまるで気にせず、彼女は悠々と去っていった。
私は、自分が今日言うべきことを果たしたという安堵と、
それでもまだ、彼女に何か言葉を告げたいという欲望の間で、ほんの少し葛藤した。

彼女は、ハインリッヒ高岡。
彼女は、昼夜を問わずに働くソープランドの店員――所謂、ソープ嬢である。



1.知らない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/07 09:42:33

2jigendaddyjigendaddy   2.決めない

32 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:26:53 id:XjXUAsU20
2.決めない

私は今、メモ用紙とノートパソコンを目の前にして二つの事柄の間で往来している。
一つはブーン……内藤ホライゾン氏について。そしてもう一つは、就職活動。
どちらもハインが持ち込んできたものだ。当人は何一つ悩んでいないのに私は悩まねばならない。

何となく、悔しい。

部屋の中をぐるぐると回って思案する。小説の文章をひねり出すときによくやる方法だ。
運動はからきし出来ないが、歩くことで脳が活性化する、ような気がする。
ついでに独り言を垂れ流すと捗るのだが、これはある時期から恥ずかしくなってしていない。

しかしながら、このような場合の明確な解答とはどのようなものであろうか。
まず私はどちらの問題に集中するかを決めなければならない。
それから、その問題に取り組むのだ。共通事項は一つ。やるか、やらないか。

ハインの持ち帰ったメモ用紙を何らかに利用するのか、しないのか。
ノートパソコンに表示されている就活サイトを駆使して就職活動をするのか、しないのか。

どちらも私に与えられた、私のための問題だ。だから私が自分で決めなければならない。
そう、決めなければならない。決めなければならないのだが。

(゚、゚トソン「んーー」

と、私は大きく伸びをして。
そのまま、背中からベッドに倒れ込んだ。

33 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:27:36 id:XjXUAsU20
くすんだ天井を薄ぼんやりと眺めながら、私は考える。
周りは、どうだっけ、と。

知り合いの中には彼氏に養ってもらう、と公言する豪気な女性がいる。
確かに彼女には一つ年上の恋人がいて、その男性は割と立派な電機メーカーに勤めている。
彼女はすでに恋人の同意を得ている。故に彼女は自由だ。就活をせず、相変わらず楽しくやっている。

その選択は、間違っていないと私は思う。
今のご時世、無闇に就職してしまえば転勤などの事情で離ればなれになることは少なくない。
何よりどちらか一方に大きな後ろ盾があって頼れるなら、頼るに越したことはない。

まあ、彼女のように豪語する者は少ないにしても、
実際のところ彼氏彼女の事情を勘案して就職活動をする人は少なくないようだ。
無論、そうせずに互いが自由にしているカップルも見られるが、彼らとていずれ同じ問題に直面するだろう。

現在のところ、私にそういう人はいない。
……それ以前に、他人のことを考えて現実逃避している場合でもない。

大学には様々な企業がやって来て、殆ど毎日どこかの会館を使って説明会を開催している。
聞いたことのある企業も多い。誰かが言っていた。今はまだ、有名企業が来てくれる、と。

合同説明会という、数多の企業が共催する説明会にも参加してみた。
証明写真も撮った。リクルートスーツに身を包んだ自分は妙に堅い表情をしていて何となく笑えた。

今のところ、それだけだ。

幾つかの企業の説明を受けてみた。中にはやたら熱心に説明してくれる人もいた。
「我が社は一人一人が挑戦者なんです!」――行きたくないな、と思った。
向こうもそれが狙いなんだろう。最初から会社の空気を教えてくれているのだから良心的だ。

34 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:28:18 id:XjXUAsU20
……親にでも、訊いてみようか。

そんな案が思いつく。そのついでに携帯電話を手に取った。
少し遠い故郷で暮らしている両親は私が一人暮らしを始めるまで共働きをしていた。
父は地元の銀行員、母親は公務員。お見合いによる晩婚だった。

三年前、母は仕事をやめて専業主婦になった。
育児に専念するために退職、というなら分かるが、母は育児が不必要になってから仕事をやめたのだ。
不満など何一つ無かったが、一応なぜ、と問うてみた。すると母はこう答えた。

「肩の荷が下りたからね。私は自由になるのよ。中途半端じゃ無い、割と本物の自由」

母の趣味は映画鑑賞と手芸。どちらもささやかな趣味だが、
専業主婦でも十分に満喫できる趣味でもある。

(゚、゚トソン「でも、まだ私の学費とか、世話になるのに……」

「大丈夫、父さんが昇進したから。上がるのよ、給料」

父は寡黙だ。たまに一緒に食事をしても殆ど喋らない。説教もしないし、褒めてくれることもなかった。
母は、「昔、色々あったそうだからねえ」と言うが、未だに私は明確な理由を教えてもらっていない。

そんな両親の間に生まれた私は、今日に至るまで随分と甘やかされて育ってきた。
大学の入学金も学費も、あまつさえ月々の仕送りまでお世話になっている。
私が現在の大学を志望した動機は皆無に等しい。自分の学力と大学一覧を照らし合わせた結果でしか無い。

その割に、随分と重い荷物を、両親には背負わせてしまっている。

35 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:29:00 id:XjXUAsU20
一回生の春に、私は近所にあった個人書店でアルバイトをすることになった。
理由は一つ。本屋で働く自分を意外と簡単に想像出来たからだ。

店主は七十を過ぎた老夫婦で、殆ど道楽でやっているような店だった。
そのために仕事はあまりにも暇だった。たまに雑誌を読みに客が現れるぐらい。あとは寂然だった。

「トソンちゃんは」

ある日、お婆さんに訊ねられたことがある。

「将来、何かしたいことはある?」

(゚、゚トソン「えっ」

(゚、゚トソン「あー……」

(゚、゚トソン「そうですね」

私は悩んだ。悩みに悩み抜いた末に、何も出てこなかった。今と同じだ。
そうやって懊悩する私を見てお婆さんは朗らかに笑った。
腰が曲がっているせいか、私より随分背の低いお婆さんは子どものように見えた。そして言った。

「何もないなら、良いお嫁さんになるといい。それが、一番だね」

36 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:29:52 id:XjXUAsU20
働いて稼いだお金は、たまに文庫本で費やされる以外は概ね貯金のための貯金となった。
いつか、せめて仕送り分ぐらいは親に返そう、などと目標を立てたが、今となっては本心か分からない。

去年の十月、私はバイトをやめた。きっかけは電話で聞いた母の一言だった。

「そろそろ就職活動とか卒論とか始まるんでしょう? アルバイトやってる暇も、ないんじゃないの」

そういうものか、と思った。母は尚早に騒ぎ立てるテレビの就活特集を見たらしかった。
そして同時に仕送りの増額を提案されたが、丁重に断った。十分な貯金があったからだ。

辞めること自体にさして抵抗はなかった。
お婆さんに会えなくなるのは寂しかったが、たまに客として訪れようと思った。
だから私はある日の仕事の終わりにお婆さんに、何気なく告げた。

「そうか、大学生だったねえ」

と、お婆さんは言った。

「それじゃあ、頑張らないといけないね。うん。頑張りなさい」

(゚、゚トソン「ごめんなさい」

と私は謝った。自然と口をついて出た言葉だった。他意の無い、純粋な謝罪の言葉。
そして私はアルバイトをやめた。言いようのない罪悪感でしばらく店には近づけなかった。

去年の終わりに、私は意を決して書店を訪れた。
錆び付いたシャッターが下りていた。『閉店しました』という紙が斜めに貼り付けられていた。

どこからか噂話が聞こえてきた。お婆さんが亡くなったんだ、と。

今のところ、私はその噂を信じていない。

37 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:31:30 id:XjXUAsU20
(゚、゚トソン「……」

携帯電話を布団に投げる。そして枕に顔をうずめる。
足をばたつかせる。ひたすら無意味に。何より無意味なこの思考を追いやるために。

私は、一体何度こうやって自分の過去をひたすらに思い返したことだろう。
何か独りでは決められない問題に直面する度に、過去を辿っているような気がする。
それに何の意味があろうか。何が解決するというのか。忘却は、解決ではない。

挙句の果てに私は携帯電話を手に取り、それを布団に放り投げ、その行為を五回繰り返し、
画面から母親の携帯番号を選択して通話ボタンを押しかけたところで、もう一度布団に投げた。

(゚、゚トソン「やめよう、親に訊くのは、やめておこう」

決意は口に出したそばから綺麗に風化していく。

つまるところ就職活動というのは向こう四十年近い期間の生き方を決めるものであり、
そういう一大イベントにおいて他力本願の決め方をするべきではない、など、など。
それらしい理由は簡単に思いつくが、逡巡以上の思念にはなりえない。

世の中には、強制的に就職口を決められるケースが少なくないという。
家庭環境や所属ゼミの斡旋、先ほど考えた恋愛関係もその一つと言える。
私は自由だ。あまりにも自由だ。だから何をすることもできるし、

(゚、゚トソン「何もしたくないな」

と、消極的選択をすることもできる。

38 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:32:14 id:XjXUAsU20
これは推測に過ぎないが、私が何も選ばずに無職の身となって両親の元に帰っても、
彼らは割と簡単に私のことを受け入れてくれそうな気がする。
そしていずれ適当な見合い話でもつけて私に異性をあてがうだろう。

何て贅沢だ。何て、何て贅沢だ。

大学生は就活において、一種恐怖に怯えている。
何に恐怖しているかと言えば、就職することが必ずしも安定に繋がらないという不安に、である。
だから誰もがより大手の企業を目指す。好きでなくとも潰れる心配のない業界を選ぶ。

公務員試験などはその最たるものだ。
何が出来るわけでもない、何もしたくない学生が取り敢えず公務員を目指す。

「公務員と一口に言ってもねえ、色々あるのよ、本当に」

かつて母はそんな愚痴をこぼしていた。

「世間様には怠慢だと叩かれるし。でも仕方ないのよ、公務員は法律や条例の下でしか動けないの。
 収入もまあ、そんなに良い方ではないわ。場所にもよるけどね。
 少なくとも実際の働きに見合うほどの収入を得ている人なんて、思ったより少ないものよ」

母がまだ学生だった頃、この国は希望に溢れていた。
いや、その言い方は過剰であるにしても、少なくとも目の前に道が続いていた。
だからこそ、母は何の気もなしに公務員という職業を選べたのかもしれない。

39 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:33:00 id:XjXUAsU20
(゚、゚トソン「違う、違う、そうじゃないんだ」

もう一度携帯電話を取り上げて今度は就職サイトにアクセスする。
溢れんばかりの説明会、説明会、エントリー、エントリーの文字。
就活メイクの方法、なんて特集まで組まれている。

(゚、゚トソン「……」

去年、正式に就活が始まると同時に私はぽつぽつとそこそこ名前の知れた企業にエントリーをした。
するとその中の幾つかはアパートに随分と豪華な資料を送ってきてくれた。

会社について書かれた市販の本をそのまま送ってきた企業もあった。
そういえば、古本屋にこの手の本が大量に売りさばかれているのを見たことがある。

そこに書かれていたのは経営理念だとか仕事内容、社員の一日など、など。
どちらかと言えば抽象的な内容が多いような気がする。
彼らもまた、学生の心を掴むために考えに考え抜いたのだろう。

それらは今、部屋の片隅でちょっとした山となっている。

多分この考えは私だけが陥るものではないだろう。
熱血な、或いは積極的な、或いは意欲的な学生以外の殆どが。
周りに流されて就職活動をしているうち、あるときふっと気付いてしまうのだ。

私には、したいことが、ない。

40 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:33:50 id:XjXUAsU20
しかし、果たして今までの人生において、したいことなど一度でもあったのだろうか?
そしてそのために今日までの時間を費やしてきたのだろうか?

私は漫然と高校まで進み、偏差値と照らし合わせて大学を選んだ。
心理学を選んだことにも大した理由はない。
その証拠に、同じ大学の法学部も受験していた。

だから私は思うのだ。就職活動は第三者による煽りに過ぎないのではないかと。
本当に自分のしたいことなど探さずとも、それなりの企業に入って、
それなりの仕事をこなしてそれなりにやっていければ、それでいいのではないかと。

結局、深く悩みすぎているだけなんだ。もう少しシンプルに考えたって良いだろう。
今までも選んでこなかったのだから、これからも選ばなくたって構わないはずだ。

……なんて、考えているうちに、今夜も何もせず終わる。
何故私はこんなにも、何もしない理由を探すのが得意なのだろう。

(゚、゚トソン「……は」

息を吐く。少し寒い。一月の妥当な寒さ。まだ早いが、眠るとしようか。

こんな風に日々の決断を先送りし続ける私には、
いずれ朝日が訪れなくなるのではないかと、時々不安に思うことがある。

41 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:34:52 id:XjXUAsU20
……そう言えば。

(゚、゚トソン「どうしよう」

私の心は就活よりも先に片付けなければならない問題――すなわち内藤氏に向いていた。
正直なところ、こんな紙はちぎって捨てるのが最も安全のような気がした。

ハインに見せられた映像から判断するに、彼がとても正常とは言えない。
つまり、確証は無いにせよ、何となく、命の危険すら感じられるわけだ。

ただ、ハインに対する恩義が無いわけではない。
彼女が、そのコミュニケーション能力を駆使して二年間を費やしようやく探し当てた『変人』を、
無碍にしてしまうのも勿体ない気がした。忘れてしまっていたとはいえ、だ。

しかし、私が手にしたメモ用紙は、何度眺めても電話番号以外判別が付かない。
わざとやってるんじゃないかと思うぐらい直線が一本もなかった。
ネットで調べてみたところ、確かに薬の副作用でそういう症状が出るみたいだ。

(゚、゚トソン「……」

つまり、私が彼にコンタクトを取るには、直接電話をかける以外無いことになってしまう。
まるでまだメールの無かった時代のような困惑だ。
それより以前は自宅の固定電話にかけていたと言うのだから、昔の人は頭がおかしかったんだと思う。

(゚、゚トソン「……」

というか、告白するわけでも無いのになんでこんなに悩まないといけないのか少しも納得出来ない。

42 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:36:02 id:XjXUAsU20
(゚、゚トソン「今時分に電話をかけるのは、失礼だ」

なんて、口に出してみて決められない自らを安心させてみる。
しかし私は明日になっても結局決められないだろう。
そうして時間が消費され、いつの間にか思考の中からも消え去る。

从 ゚∀从「あの紙、どうした?」

いずれハインにそう訊ねられたら、

(゚、゚トソン「なくしました」

と、罪悪感を抱えつつ応えるだろう。私はそういう人間だ。

それに、それが一番良いような気がしてくる。
内藤氏のような人は――ましてや精神障害者認定を受けている人は――簡単にネタにするべきではない。
確かに面白い話は聴けるだろうが、それよりも申し訳なさが強く浮き出る気がする。

(゚、゚トソン「……」

ハインに相談してみようか、と思ったが、やめた。
彼女はほぼ確実に電話には出ない。メールも、たまにしか返さない。
なのに現実での外向性は無闇矢鱈と高いのだから変な話だ。

私は、少し彼女が羨ましい。

43 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:36:47 id:XjXUAsU20
(゚、゚トソン「……」

もしかして。
Youtubeで『ブーン』と検索をしてみたら。
彼の他の動画が大量に出てきたりするのだろうか。

間違いなく出てくるのだろう。
当人は全て削除してしまったらしいが、どこかの誰かが拡散させているはずだ。
それはとても怖ろしいことだ、私だったらとても耐えられない。

だから、検索すること自体が躊躇われた。
彼の人となりを理解するには良い手段であるような気もするが、
それをしたところで第一印象に変化が生じるとも思えなかった。

何より、ハインの言った『腑抜け』という言葉が気になる。
今の内藤氏は『ブーン』であった頃とはまるで別人ということなのだろうか。
いや、それだって内藤氏自らの言なのだ。信用に値するかは疑問である。

とりあえず、今日のところは考えないでおこう。
まだ手渡された当日なのだ。もう少し時間をもらっても失礼ではないだろう。

そうやって今日もまた何も決めずに一日を終えようとしたところへ。

携帯が、震えた。

44 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:37:57 id:XjXUAsU20
余談だが私は着信音を音楽に設定する、ということをしない。
音楽が嫌いなわけではない。むしろ好きだし、暇なときはいつも聴いている。

しかし例えば大学の講義中に着信音が響き渡れば、
それは自分の失礼さと自分の嗜好を同時に不特定多数に暴露するという、
二重の恥ずかしさに晒されることになる。そんな羽目には陥りたくない。

何より、電車などでイヤホンをつけている場合、震動の方が着信に気付きやすいのだ。

といって、私は滅多に発信する方でも無ければ着信を受けるほうでもない。
コミュニケーションの方法は大抵ショートメールの類いであり、
時々自分の持っている端末が本質的に電話であるということを忘れそうになる。

それはともかく、今、私の携帯が震えている。

私は恐る恐る画面に表示される発信元を覗き込む。
アドレス帳に登録されている番号では無い。かといって非通知でも無い。
携帯電話の番号が明確に表示されている。

知らない番号だ。いや、知らない番号ではない。
それは私がさっきまで何度も見直していた電話番号だ。

内藤氏の、電話番号だ。

45 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:38:48 id:XjXUAsU20
何故彼が私の電話番号を知っているのか? という疑問はすぐに雲散霧消した。
どうせハインが教えたのだろうし、それ以外に有り得ない。
お節介を過ぎて、ここまでくるとプライバシー侵害のレベルだ。文句を言わないといけない。

だが、携帯は震え続ける。

携帯が発する震動音はどうしてこうも人を不安にさせるのだろう。
何だか早く電話に出ないと罰せられそうな気さえ起こる。

しかし私には躊躇いがあった。当然だ。これを手に取れば私は会話せざるを得なくなる。
動画の中で彼が最後にあげたうめき声が嫌でも想起される。

(゚、゚トソン「電話なら安全だけど……」

いつまでも震える。震え続ける。これは永遠の地獄なのではないかとさえ思えてくる。
『勝手にふるえてろ』という小説があった。読んだことは無いが、今なら共感できる。

しかし、私は。

(゚、゚トソン「……もしもし」

電話を取った。

46 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:39:28 id:XjXUAsU20
『あー、もしもし、聞こえますかお?』

(゚、゚トソン「はい、聞こえます、聞こえます……」

『あ、違う』

(゚、゚トソン「え?」

『都村トソンさんで間違いないですかお?』

(゚、゚トソン「は」

(゚、゚トソン「はい」

『よかったおー、ハインリッヒ高岡さんに教えられて』

『もし嘘の電話番号でヤーさんとか出たらどうしようかと』

『思ってましたお』

(゚、゚トソン「……」

『……』

(゚、゚トソン「……はあ」

47 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:40:25 id:XjXUAsU20
『あ、申し訳ないですお、こんな時間にお電話して』

(゚、゚トソン「いえいえ、全然、大丈夫ですよ」

『もうすぐ日が変わりますおー。早寝早起きが健康の基本ですお!』

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「は、はい」

『えーっと』

『あ、僕は内藤ホライゾンっていいますお』

『よろしくおねがいしますお』

(゚、゚トソン「え、はい。よろしく……おねがいします」

『あー』

『もしかして、ハインさんにはブーンって教えてもらってますかお?』

(゚、゚トソン「えっ」

(゚、゚トソン「いやー……」

(゚、゚トソン「そう、ですね。両方で……」

48 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:41:19 id:XjXUAsU20
『ですかおー。あ、どちらで呼んでもらってもかまわないですお』

(゚、゚トソン「……はい」

『あー、というか』

『申し訳ないですお、いきなりお電話で……』

(゚、゚トソン「いえ、いえ」

『メールにしようかとも考えたんですが、文字打つの苦手なんですお』

(゚、゚トソン「はい」

『あー、それに、ちょっと、時間にも追われてるんですお』

(゚、゚トソン「は、そう、ですか」

『なんですお』

『というわけで』

『どこにしますかお?』

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「はい?」

49 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:42:01 id:XjXUAsU20
『そうだ、S駅の高架下に喫茶店があるんですお』

『確か……そう、浪漫S区っていう』

『知ってますかお?』

(゚、゚トソン「や、知ってます」

(゚、゚トソン「け、ど」

『じゃー、そこにしましょうお』

『今度の土曜日は空いてますかお?』

(゚、゚トソン「あ、はい、いや、ちょっと」

『じゃー二時にそこでお待ちしていますお』

(゚、゚トソン「あ、いや、ま、まって」

(゚、゚トソン「ください」

『なんですかお?』

50 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:42:41 id:XjXUAsU20
(゚、゚トソン「あの……」

(゚、゚トソン「いや、何から言っていいものか」

(゚、゚トソン「その、ハインには、何と聞かされてるんです?」

『ハインさんですかお?』

(゚、゚トソン「は、はい」

『えーと、僕に話を直接聞きたいという人がいるから』

『会ってあげてほしい、という風に』

『かいつまんで言うと、そんな風に聞かされてますお』

(゚、゚トソン「……ですか」

(゚、゚トソン「そう、ですか」

『ま、間違ってますかお?』

(゚、゚トソン「や、間違ってはいないです」

(゚、゚トソン「……けど」

51 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:43:48 id:XjXUAsU20
『それじゃあ、申し訳ないけど、時間がないので、この辺で……』

(゚、゚トソン「は、はい」

(゚、゚トソン「いや、えっと」

『楽しみにしてますおー』

(゚、゚トソン「は、や、ちょ」

(゚、゚トソン「ちょっと、ま」

私の鼓膜に無情な終話の音が鳴り響いた。
携帯を置く。しばらく現実認識が出来ずにぼんやりとする。
立ち上がって室内を歩き回る。そして、私は一つの結論に達した。

私は、次の土曜日に、内藤氏と会う約束を、した。

(゚、゚トソン「なんでだろう」

心の底から出た疑問だった。
内藤氏の勢いに気圧されたということもある。しかし断ろうとして出来なかったわけでは無い筈だ。

では、何故か。

もしかしたら、携帯の向こうから聞こえてきた彼の声が、
私の想像している以上に柔和で穏やかなものであったからかもしれない。

52 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:45:36 id:XjXUAsU20
つまり彼は私がわざわざ下げてしまっていたハードルを易々と越えたのだ。
だから私は、予想とは真逆の意味で頭が真っ白になった。何も考えられない木偶の坊のようだった。

電話での内藤氏は動画での面影などどこにもなく、むしろ至って正常人だった。
いや、正常人というのも違うかも知れない。
どちらかというとハインと同じような積極性を感じる。

私はそういった積極的な人物が嫌いでは無い。
特に、自分では決められないような問題に直面した際、そういった人は心強い助言者となってくれる。
だから私はハインが好きだし、そう言う人には一緒にいて欲しいと願っている。

ただ、この場合は、一体どうしたものだろうか。

相手が異性であるとか、そういった問題はこの際重要ではない。
重要なのは見知らぬ人に自分のスケジュールを勢いで決められてしまったということだ。
土曜日が暇なのは本当の話だ。だが、だからといって勝手に埋められて然るべき曜日でもない。

これで、いいのだろうか。

実際、ほんの少しだけ期待していたりもするのだ。
確かに内藤氏は既に色々な意味で予想を大きく裏切ってくれている。
これが実際に会ったりすれば違うものを私に与えてくれるかも知れない。

それでも不安の方が大きく上回る。
当たり前だろう。ちょっと出来すぎた話でもある。
ハインの人選はある程度信用できるが、それが『変人』に通用するとも限らない。

53 名前:名も無きAAのようです:2013/01/24(木) 00:48:37 id:XjXUAsU20
いや、今ならまだ間に合う。

ただ彼に電話をして断りを入れればいいだけの話だ。
何なら嘘をついてもかまわない。別の予定を捏造してもいいだろう。

だが、私は、多分それをしない。

他人に自分の行動を決定されるのはある意味での喜びが付きまとう。
自己決定という責務を放棄できる喜び。これは最上の消極的行動だ。
今、私の予定が内藤氏によって決められた。わざわざそれを覆す必要はあるだろうか?

そんな風に突き詰めて考える度、私はつくづく自分が嫌になる。
ああ、何て自分は、決められない人間なのだろう、と。

しかし、純粋な好奇心として内藤氏の穏やかさの原因を知りたいのも事実だ。
ネタになるかどうかはともかくとして、彼の人間性は興味深く感じられる。

なるほど、これが所謂、「趣味は人間観察です」というやつかもしれない。
そんな、何の利益にもならない発見が、今日唯一の収穫と言えるだろう。

彼は、内藤ホライゾン。
私は、彼と今週の土曜日に初めて出会う。



2.決めない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/07 16:03:50

3jigendaddyjigendaddy   3.付けない

64 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:09:57 id:Zacs9dBs0
3.付けない

(゚、゚トソン「……」

ふと、思う。
私はもしかしたら、街頭で声をかけられて壺や絵画を買ってしまうタイプの人間なのではないかと。
それ自体は罪ではないだろう。しかしながら、何とも言えない、侮蔑の視線を注がれる羽目になる。

今日は土曜日、時刻は二時十五分。場所は喫茶店『浪漫S区』。
内藤ホライゾン氏は、まだ現れていない。約束していた時間は、確か二時ちょうど。

女を待たせる男なんて最低、などと決まり文句が思い浮かぶが、本心ではない。
似ている感情は持っている。しかしそれは男女の別がどうこう、という問題ではないのだ。

とにかくこの、手持ち無沙汰の、緊張ばかりが心を蝕む時間から解放して欲しい。

目の前で徐々にコーヒーが冷めていく。
私はコーヒーが好きではない。かと言って嫌いでもない。
砂糖やミルクも、気分によって入れたり入れなかったりする。

今日はミルクを少しだけ入れて、砂糖は入れていない。そういう気分なのだ。

そのコーヒーが、冷める。
おもむろに携帯を取り出してみる。着信履歴も新着メールも無いのに、とりあえず操作する。
そしてちら、と入り口の方を伺ってみたりする。

さほど広くない店内では、一番奥からでも客の出入りを確認できる。
彼の姿は動画で確認しただけだ。それも一度見ただけだから印象深いとは言えない。

しかしそもそも殆どお客が来ない。
自動ドアの開く音がしないのだから内藤氏が突然目の前に現れるわけもない。
だから私は、少しずつ疑心暗鬼になっていく。それは十五分かけて育てられ、最早確信と化している。

もしや、私は、騙されたのではないだろうか。

65 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:11:53 id:Zacs9dBs0
騙された、というのはやや言い過ぎかも知れない。
とにかく、今日この時間に内藤氏が来るという確証が時間を追うにつれて失われているのだ。
何らかの事情があって内藤氏が定刻に来られないという可能性は十分に考えられる。

というか、定刻はとっくに過ぎている。

そもそも確証と呼べるのは電話で聞いた内藤氏の勢いの良い声だけである。
もしかしたら時間を聞き間違えたのかも知れないし、日付自体がずれているのかもしれない。
そんな風に納得しようとしつつ別の考えも浮かぶ。何故いちいち自分のせいにしないといけないのだ。

故にこう結論づける。
私は多分、騙されて絵画を売りつけられても何らかの方法で自分を納得させるだろう。
誰に文句を言うわけでもなく。また誰に迷惑をかけるわけでもなく。

でも、もうちょっとだけ待ってみようという気持ちもある。
このままさっさとコーヒーを飲み終えて店を出るのも癪だ。
じっくりと、目の前の白と黒の混ざった飲料を楽しむふりをするのも悪くない。

そのための道具を、私はきちんと鞄の中にしのばせている。
少し前に購入した大江健三郎の長編小説だ。

別にこの作家が好きで購入したわけではない。ただノーベル賞作家らしいし、
自分が文学部であるという謎の義務感も伴って手を伸ばしただけの話だ。
それを取り出しておもむろに開いてみる。勿論、内容は全く頭に入ってこない。

店内に客は、私を除いて二、三人しかいない。
店長と思しき中年の男性がカウンターの内側で何やらメモ書きをしている。
私は隅の席で落ち着こうとしている。実際、隅は落ち着くのに丁度良い。

66 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:12:48 id:Zacs9dBs0
コーヒーを少し口に含む。
私にはコーヒーの美味しさが分からない。
ただ、不味いとは思わないから、多分美味しいのだろう。

そう言えば、私はまだ大事なことを決めていなかった。
内藤氏に何を訊くのか――或いは、何を訊かないのか。

もしくは、何も訊かないのか。

この期に及んでさえ、私は内藤氏に好奇の問いをぶつけることに戸惑いを感じているのだ。
果たしてそれは正なのか悪なのか、というような大仰な疑いではなく、
そもそも自分のような人間が一人の人間を取材する資格があるのか、という自虐的な問いである。

浅くても底の見えない川がある。ギャグ漫画でよくあるような展開だ。
溺れている少年を助けるために飛び込んでみたら存外浅いためにただ濡れ鼠になるだけだった。
逆に言えば底が深くても奥の奥まで見通せる清らかな海もあるだろう。

ただ、私には内藤氏が、どう考えても前者に該当するように思えて仕方がないのだ。
取材、と呼ぶにも及ばない質問を仰々しく実行しても、
得られるものは所詮限られていて、想像の枠内を超えないのではないか。

……それでも、私は多少の期待を抱いたからここに来た。
結局彼に嘘をついて予定を白紙にすることもなく、約束の時間の十分前にはすでに待ち構えた。
なのに、内藤氏はまだこない。予定を十五分オーバーしても、なお姿を現さない。

(゚、゚トソン「……」

自然と溜息が漏れて、両手の中にある小説の文字列にぶつかって飛び散っていく。
直後、不意にその景色が暗がりに包まれた。私は何の気もなしに顔をあげた。

そこに、巨体が突っ立っていた。

67 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:14:22 id:Zacs9dBs0
(゚、゚トソン「!」

悲鳴とも覚束ない息を呑む声が口をつく。
ゆらりと、夏場の蜃気楼のようにゆらめいて見えるそれは、確かに人の身体であった。
そんな当たり前の事がなかなか信じられずにいた。私は、その人の気配を全く感じなかったのだ。

その巨体は、私の想像と同程度に、確かに巨体であった。
身長190センチ近いのではないだろうか。街中で遭遇すればちょっと怖じ気づいてしまうような高さだ。
しかし、その高さに似合わず華奢であるようだ。ゆらめいて見えたのはそのせいかもしれない。

身体に纏っているのは黒っぽいトレンチコートであるようだ。
ただでさえ薄暗い照明を背にしているため、未だ顔は判別できない。

だが、既に私は確信している。この人が、内藤氏であると。

その人は未だ立ち尽くしたままだ。テーブルを挟んで、動こうともしていない。
私が何か声をかけるべきだろうか。そうだとして、一体何を言えばいいのだろうか。
この異質な空気に対して、私はどのような返事をすればいいというのか。

「……あの」

しかし口火を切ったのは内藤氏だった。暗闇の中で彼の双眸が薄く輝いているようだった。

「貴方が、都村さんですかお?」

68 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:15:39 id:Zacs9dBs0
(゚、゚トソン「……は、はい」

私は別のことを考えている。彼は右手に真っ黒な鞄をぶらさげていた。
その鞄には嫌と言うほど見覚えがあった。意欲的な就活生が、
或いは道行く平凡なサラリーマンがよく持ち歩いているものだったからだ。

ハインの情報によれば内藤氏は無職であるはずだ。
なのに、どうして。

「も、申し訳ないんだけど」

(゚、゚トソン「は、い?」

「コーヒーを……ああ、ホットの、Mサイズ……注文して、ここに持ってきてくれないですかお?」

彼はそこで、殆ど落下するような勢いで椅子に座り込んだ。
疲弊を十分に匂わせる吐息。そしてその分だけ、空気を取り込もうとする。

「……自信が、ないんですお」

そこでようやく彼は顔を上げた。私はその表情を初めて目の当たりにすることになった。

( ^ω^)「ここまで……こぼさずに、持ってくる自信が……」

70 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:17:01 id:Zacs9dBs0
私の、彼に対する第一印象をはっきりと述べるなら、『童顔』であった。
とても三十路には見えない。せいぜい二十五前後ぐらいか、
下手をすれば私と同年齢だと言っても通用するかもしれない。

そして何より、その表情はどこまでも穏やかで平和なものに見えた。
私の目の前にいるのはYoutubeの内藤氏ではなく、電話で会話した時の内藤氏だ。
ただ、その中で窮屈そうな巨体だけが歪だった。無理矢理、サイズの大きい服を着せられているような感じ。

確かに、この人物を、ハインなら『腑抜け』と表現するかもしれない。

( ^ω^)「あの……都村、さん?」

(゚、゚トソン「は」

(゚、゚トソン「はい、えっと、コーヒーですね」

(゚、゚トソン「さ、砂糖と、ミルクはどうしますか……?」

( ^ω^)「あー」

( ^ω^)「……」

( ^ω^)「一応、両方持ってきてくださいお」

( ^ω^)「あ、お金……」

彼は鞄を広げて中に手を突っ込み、二つ折りの小さな財布を取り出した。
中から五百円を私に手渡す。その手は、確かに寒さ以外の原因で震えていた。

71 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:18:17 id:Zacs9dBs0
私が注文して運んできたコーヒーに、
内藤氏は持ち上げるというよりも口を持って行くような姿勢で少し飲んだ。
カップがテーブルにぶつかって不自然な音を響かせる。

( ^ω^)「……ああ。ありがとうございますお。」

( ^ω^)「ちょっと喉が渇いていて……というより」

( ^ω^)「何かを飲まないといけないような気がしたものですから……」

そして内藤氏は柔和な笑みを浮かべ、私を眺めた。
人に見つめられるのは好きではない。大抵は恥ずかしく思うし、人によっては嫌悪すら感じる。
しかし彼に眺められている私は、何一つそれらしい感情を覚えなかった。

彼の目が、私を捉えていないからだろうか。

( ^ω^)「……『芽むしり仔撃ち』

(゚、゚トソン「え?」

( ^ω^)「面白い小説……ですお。初期の、大江健三郎の、名作だと、思いますお」

(゚、゚トソン「ど、どうして」

(゚、゚トソン「どうして、分かったんですか、タイトル……」

私がさっきまで手にしていた『芽むしり仔撃ち』には、ブックカバーが施されていた。

72 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:19:39 id:Zacs9dBs0
( ^ω^)「ああ、ち、違いますお」

( ^ω^)「その、何と言うか」

( ^ω^)「……ほら、その」

( ^ω^)「本文の上のところに、タイトルが、印字されてるのを」

( ^ω^)「さっき、見たんですお……」

(゚、゚トソン「……あ」

(゚、゚トソン「ああ……はい、そ、そうですね」

確かにそうだ。大抵の文庫本にはそのような装丁がされているし、別に今更驚くことでもない。
だが私は安堵していた。別に超能力的なものを期待したわけではない。
ただ、私は一つの明確な事実を再確認させられることになっただけだ。

私自身が、内藤氏を異質な存在として認識しているという事実を。

第一印象はそうそう拭い去れるものではない。
私の目の前にいるのは、ある意味で正常な状態の内藤氏だ。
しかし、私はその奥底に狂気の存在を予期している。

そしてその予期は、期待でもあるのだ。

( ^ω^)「……ああ、そうですお、えっと」

( ^ω^)「な、内藤ホライゾン、ですお……よろしく、お願いしますお」

(゚、゚トソン「は」

(゚、゚トソン「はい」

(゚、゚トソン「都村トソンです、よろしく……お願いします」

互いに挨拶をして頭を下げる。馬鹿みたいな社交辞令。
私はまだ、彼に対する畏怖や、希望や、尊敬や、侮蔑を、押し隠したままだ。

73 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:20:32 id:Zacs9dBs0
( ^ω^)「ハインさんから……聞いたかも知れないですけど」

( ^ω^)「僕は、初対面の人と話すのがとても苦手なんですお」

( ^ω^)「こう、直接の場合は、特に」

( ^ω^)「でも、すぐに慣れますお。いつも、そうなんですお」

そう言ってコーヒーを啜る。結局彼は砂糖もミルクも入れないようだ。
私は緘黙を貫いたまま彼を観察する。床に投げ出された両脚はスーツを装っている。
つまり彼は完全な社会人の恰好でここにやって来たということだ。

もしかして、内藤氏が無職であるという事実自体、嘘なのであろうか。

( ^ω^)「ああ……この、恰好、ですかお?」

(゚、゚トソン「あ……」

( ^ω^)「えっと、これ所謂、一張羅なんですお」

( ^ω^)「僕なんていうか、スーツ以外にまともな服を持ってなくて」

( ^ω^)「コンビニとかならジャージで構わないと思うんですけど……」

74 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:21:36 id:Zacs9dBs0
(゚、゚トソン「そう、なんですね……」

私は複雑な想いの発露のしかたが分からず、ただ困惑だけを示した。
彼は私に会うためにわざわざ一張羅を持ちだしたということになる。
つまりそれだけの労力を使わせたのだ。その点について、私は、

(゚、゚トソン「すいません」

と謝罪の定型句を口にした。

( ^ω^)「何がですかお?」

(゚、゚トソン「いや、わざわざ、来ていただいて、というか……」

周りに客が少なくて本当に幸いだと思った。
私たちが繰り広げているのは、まるで痛々しい傷口に指先を這わせているような、
そんな怖々とした会話に過ぎない。核心への入り口からわざと遠ざかり続けている不穏な緊張感。

( ^ω^)「いやいや……そんなこと、思わなくていいですお」

( ^ω^)「どうせ、暇ですし……」

彼は逡巡するように少し首を傾かせて、それから私を見遣った。

( ^ω^)「それで、何が訊きたいんですかお?」

75 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:22:30 id:Zacs9dBs0
そうだ。それが目的だった。

私は、割と本気で自分が彼を取材しようとしていたという事実を忘れかけていた。
彼が目の前に突っ立った瞬間から全ての思念が吹き飛んで、
ただこの状況をどうにか打開しようと模索していたのだ。

そして私は未だ選択していなかった。
何を訊くべきか、何を訊かないでいるべきか、何も訊かないでいるべきか……。

(゚、゚トソン「あー、はい」

(゚、゚トソン「そうですね……」

何も無いです、という言葉は許されないような気がした。

この感覚には憶えがある。
大学の入学式で、まるで興味の無い軽音サークルの勧誘を受けたときの出来事だ。

いかにも大学生らしい大学生だったその男性二人組は、
私に無理矢理チラシを手渡して様々な質問をぶつけてきた。

「ねえ、キミ音楽好き?」

「何か楽器できたりしない?」

「まあ出来なくてもいいけど、興味とかない?」

「家に何か楽器ある?」

「新歓参加無料なんだよね、連絡するからメアド教えてくれない?」

76 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:23:30 id:Zacs9dBs0
矢継ぎ早に放たれる質問に何一つ答えぬまま私は「ごめんなさい」と言ってその場から逃げ出した。

得体の知れない恐怖が胸に競り上がっていた。
相手にしてみれば私はたまたま見つかった一羽のカモでしかなかったのだろう。
別に勧誘に成功しようがしまいがどっちでも構わない、そんな存在だったはずだ。

しかし私はその彼の軽い言動によってしばらくトラウマ的な煩悶を抱えることになったのだ。
生きている世界がまるで違うことを実感した。
この大学にいれば私も同じような人間になるのかという不安さえ芽生えた。

今のところ、私はそんな人間にはなっていない、と思う。
自分自身の現在など、過去の記憶と照らし合わせたところで変化を実感できるものではない気がする。

そして、今。

私は内藤氏という人物と相対して同じような感覚を抱いていた。
今度は私が質問者である。だが、抱いているのは回答者と同じ苦々しさだった。

悔悟するべきなのだろうか。私は変人、という単語を軽々しく考えすぎていたのだろうか。
実際に精神障害者保健福祉手帳を所持している『変人』から、私は何を吸収するのか。
興味とは罪悪だろうか。この好奇心は、どこかでストップをかけねばならなかったのだろうか。

いや、もしかしたら私は何一つ有益な質問の思いつかない自分自身に言い訳しているだけかもしれない。
出来ることならあの時と同じように逃走したかった。しかしそれは許されない。
誘いをかけたのは私なのだ。それに内藤氏は快く応じてくれた。

少なくとも、私はあの大学生二人組のような質問者であってはならないと思う。
そう考えて私がようやく紡ぎ出すことの出来た質問は、

(゚、゚トソン「背、高いですね……」

という、どうしようもなく有り触れたものだった。

77 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:24:30 id:Zacs9dBs0
( ^ω^)「あー……はは、やっぱりそう思いますかお?」

(゚、゚トソン「何センチぐらい、あるんですか?」

( ^ω^)「最近測ってないけど……確か191センチ……」

( ^ω^)「猫背だから、数字よりは小さく見られますけど……」

考えてみれば背丈に関する質問というのは、
相手のコンプレックスを刺戟するものであるかもしれない。
しかしながら内藤氏は笑顔で答えを返してくれた。私にはそれだけで十分だ。

何となく、会話の糸口が見つけられたような気がした。

( ^ω^)「都村さんも、女性にしては背の高い方じゃないですかお?」

(゚、゚トソン「160センチ程度ですから……そこまででもないですよ」

(゚、゚トソン「いいですね、そこまで高いと……本屋さんとかで困らなさそう」

( ^ω^)「でも、その分有り得ないようなところで頭ぶつけたりしますお」

内藤氏のしゃべり方にはどことない後ろ暗さがあるような気がした。
きっと彼も緊張しているのだろう。ただ、それだけではないようにも思える。
根本的な性格として、彼の口調はこのように出来上がっているのではないだろうか。

78 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:25:12 id:Zacs9dBs0
(゚、゚トソン「そう言えば、この前……」

( ^ω^)「お?」

(゚、゚トソン「時間が、無いって言ってましたけど」

(゚、゚トソン「ああ、電話のときです」

(゚、゚トソン「忙しかったんですか?」

私はほんの少しだけ深みに足を踏み入れてみることにした。
それは核心を突こうという攻撃的な意志と言うよりも、
むしろこれ以上表面上の会話だけでやり取りしているわけにはいかないという打開策だった。

案の定内藤氏は少しだけ黙り込んだ。柔和な笑みのまま、ちょっと口角を動かした。

( ^ω^)「あれは……いやあ、なんというか」

( ^ω^)「そもそも、電話するのが苦手なもので……」

( ^ω^)「いや、別に嫌だったというわけじゃなく、緊張して緊張して……」

( ^ω^)「何日も悩んだうえでの行動だったんですお」

( ^ω^)「だから、薬の力を頼ったというか……」

( ^ω^)「効果がありすぎて、すぐに寝たり記憶がなくなったりするものですから……」

79 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:26:01 id:Zacs9dBs0
(゚、゚トソン「何日も……?」

( ^ω^)「ああ、ハインさんに都村さんの電話番号教えてもらったの、あの一週間前ぐらいだったんですお」

( ^ω^)「だから、七日ぐらいは悩んだと思いますお」

(゚、゚トソン「……」

心の中で、馬鹿野郎、とハインを罵った。
確かに、私に内藤氏の情報を渡した当夜に、内藤氏本人から電話がかかってくるのは不自然だ。
つまり、ハインは先に内藤氏へ、私の電話番号などをあげていたことになる。

(゚、゚トソン「私が、内藤さんの……情報をもらったのは」

(゚、゚トソン「あの日の、昼間だったんです」

( ^ω^)「えっ」

(゚、゚トソン「……私も、電話しようか悩んでいた、ところでした」

( ^ω^)「……」

(゚、゚トソン「……」

( ^ω^)「……ははっ」

( ^ω^)「じゃあ、ある意味」

( ^ω^)「ベストタイミングだったんですお」

( ^ω^)「もう一日早かったら、都村さんは僕の電話を取ってくれなかったってこと……ですお」

80 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:26:52 id:Zacs9dBs0
確かに、ベストタイミングだ。
ハインが謀ったというわけでもないだろう。
彼女の忙しさから考えて、両方に情報を渡せる機会がそれしか無かっただけだ。

本当に、都合が良かったのだ。
ただ、その都合の良さを喜ぶべきかどうかは、まだ判然としないが。

( ^ω^)「……あ、そう言えば」

(゚、゚トソン「はい?」

( ^ω^)「時間、遅れて申し訳ないですお」

そう言えば、そうだった。

(゚、゚トソン「いえ、いいですよ……」

( ^ω^)「その、やっぱり今日も緊張しちゃって……」

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「あの」

(゚、゚トソン「まさか」

( ^ω^)「一応、頓服としてもらっている薬があって、それを……」

81 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:27:34 id:Zacs9dBs0
目の焦点が合っていないのはどういうわけか、と私は納得する。
それと同時に理不尽なまでの違和感を覚えた。
何故そこまでして彼は私に会わなければならなかったのだろう。

(゚、゚トソン「だ、大丈夫なんですか」

( ^ω^)「いけますお……まだ。家、近いので……」

コーヒーを一口。その度にひっくり返してしまいそうで見ているこっちがハラハラする。

(゚、゚トソン「いや、でも、帰った方がいいんじゃ……」

( ^ω^)「いや、そういうわけにもいかないんですお」

( ^ω^)「今日は、その」

( ^ω^)「重要な質問を、しないといけないですから……」

内藤氏は薄く笑った。それは、控えめに見ても狂気の一端であると言えた。
いや、どうだろう。生来そのような笑い方なのかもしれない。
内藤氏という人物を理解するにはまだ、時間が足りなさすぎる。

(゚、゚トソン「質問……私に、ですか?」

( ^ω^)「ハインさんでもよかったんですけど……出来れば、都村さんの方が」

82 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:28:31 id:Zacs9dBs0
( ^ω^)「ハインさんは……自分のことを『俺』と呼びますお」

( ^ω^)「……だから、何というか、いわゆる、一般的な話し方をする人ではないですお」

( ^ω^)「いや、いい人だとは思いますお。というか、実際すごくいい人ですお」

( ^ω^)「……でも、だからこそこの質問はできないんですお」

( ^ω^)「都村さんは……」

( ^ω^)「ハインさんより、普通っぽいですお」

( ^ω^)「……いや、まだ貴方のことを殆ど知らないですけど」

( ^ω^)「でも、こういう違和感……は」

( ^ω^)「気になり始めると、いつまでも心に蔓延るというか……」

( ^ω^)「だから、お尋ねしたいんですお」

( ^ω^)「都村さん、どう思いますかお」

(゚、゚トソン「はい?」

( ^ω^)「この……」

( ^ω^)「語尾」

83 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:30:07 id:Zacs9dBs0
(゚、゚トソン「えっ」

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「え、何ですか?」

私は思わず二度聞き返してしまった。
重大な問題提起を覚悟していた心持ちが一瞬で溶解する。
しかし、内藤氏の表情は、あくまで笑みではあるもののその中に真剣さを湛えていた。

( ^ω^)「いや……常識的に考えて、ですけど」

( ^ω^)「もうすぐ三十になろうって男が……いや、年齢なんて関係なく」

( ^ω^)「語尾に『お』ってつけるのは」

( ^ω^)「流石にどうかと思うんですお……」

( ^ω^)「わざとらしいというか、あざといキャラ付け……というか」

( ^ω^)「だから、都村さんみたいな人から見て……どうなのか、と思って」

( ^ω^)「……どう思いますかお?」

84 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:31:47 id:Zacs9dBs0
(゚、゚トソン「……」

それは、確かに手の届く範囲での重要な問題だった。
私は内藤氏に対して、遠くの方の、見えそうで見えないような問題にばかり目を凝らしていたのかも知れない。
案外と手近な場所に違和感というものは転がっているのだ。それが、この場合、語尾だったのだ。

確かに、その語尾はおかしい。

(゚、゚トソン「……そうですね。違和感は、あります」

( ^ω^)「やっぱり、そうですかお……」

(゚、゚トソン「はい……」

(゚、゚トソン「私は別に、つけないでいるべきだ、とまでは思わないですけど」

( ^ω^)「いや、でも、僕は、そういう安易なキャラ付けは望んでない……んですお」

(゚、゚トソン「はあ……」

( ^ω^)「だから……」

内藤氏は震える手でカップを持ち上げ、ぐっと一気に飲み干した。
そして言った。

( ^ω^)「……これからは、『お』って付けないようにしますお」

( ^ω^)「……」

( ^ω^)「します、よ」

85 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:33:38 id:Zacs9dBs0
やはり内藤氏は私の期待を別の意味で裏切ってくれる、と思った。
本来変人とはそうあるべきなのだろう。
想定出来る時点で、その人は常識の枠内におさまっているのだ。

しかし、この人は、何か異質なはみ出し方をしているような気がする。

( ^ω^)「……あー、申し訳ないですけど」

( ^ω^)「ちょ、っと、眠くなってきたので」

( ^ω^)「お先に、失礼します」

(゚、゚トソン「あ、だ、大丈夫、なんですか?」

( ^ω^)「……大丈夫ですお……よ」

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「その、別に無理して口調変えなくてもいいんじゃないですか」

( ^ω^)「いや、ここは、頑張らないといけないんです」

( ^ω^)「……これは、僕の、重大な決意ですから」

そういって彼はゆらりと立ち上がった。
改めてその巨躯に驚かされる。照明の具合で暗がりに立っているせいもあって、
都市伝説にでも出てきそうな姿形に見えるのだ。

( ^ω^)「それじゃあ、また、来週の同じ時間に」

86 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 00:36:40 id:Zacs9dBs0
(゚、゚トソン「え」

( ^ω^)「大丈夫、次は……薬を飲まずに、来ます」

そう言って彼はゆらゆらと入り口の方へ向かっていき、そして消えた。
ぽつんと取り残された私の前には空のカップとすっかり冷め切ったコーヒーが並んでいる。

来週の土曜に予定はない。いや、あると言えばある。大学主催の就活セミナーだ。
それ以前に、また私の予定は彼によって埋められてしまった。前回の電話以上に、身勝手な調子で。

まだ、私には何も分からなかった。彼も、私のことを何も分かっていないだろう。
なのに一つの決意が打ち立てられた。内藤氏曰く、『重大な決意』が。

意味が分からない。まるで、意味が分からない。

(゚、゚トソン「……」

ただ、意味が分からないからこそ。
来週の土曜日、どのようにして就活セミナーと掛け持ちしようか考えている自分がいるのだ。

次こそ、考えてくることにしよう。
何を訊くべきか、そして何を訊かないでおくべきか。
何も訊かないでおく、という選択肢は、とりあえず外してしまおう。

彼が、内藤ホライゾン。
彼が打ち立てた決意の重さなど、今の私には知る由もない。



3.付けない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/07 16:07:24

4jigendaddyjigendaddy   4.書かない

90 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:46:15 ID:8BdQ//ls0
4.書かない

内藤氏と出会った翌日――冷雨の降り注ぐ、洗濯物の乾かない日曜日。
今週で通常の講義は終わり、試験期間に突入する。
といって、大抵は講義に出てさえいれば単位の取れるレベルの試験だから懸念することはない。

それが終われば長い長い春休みである。
最早二十歳も超えた大人が小学生より長い休みを取るのはいかがなものだろうか。
そう思いながらも、過去二回訪れた春休みはアルバイトと小説と多少の友達付き合いで塗りつぶした。

しかし、今年ばかりはそうもいかない。
既にして随分と存在感を発揮している就職活動が、最盛期を迎えるのだ。
噂によればほとんど毎日のようにどこかの企業の説明会へ赴くことになるそうだ。

そして、そうしなければ職にありつくことができない。

故に私は苦心している。説明会以前に就職活動は開始されているのだ。
インターネットを利用してエントリーや説明会を予約する際にも、何がしかの問答を求められることが多い。
ネット上でならまだ気楽だ。キーボードを叩くのは慣れているし誤字におびえる心配もない。

だからこそ、私は恐る恐るシャープペンシルで下書きをしているのである。

そう、つまり、私は今、履歴書を書いている。

91 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:47:40 ID:8BdQ//ls0
用意されているのはA4サイズの空白。大学指定の履歴書だ。
これが大学によってはA3――つまりA4の二倍――の場合もあるというのだから恐ろしい。

ありがた迷惑というやつだ。今のご時勢数十枚の履歴書を書くのが普通であり、
その度にA3の用紙を手書きで埋めていかなければならないなんて、私なら軽く発狂するだろう。
とはいえ、A4の用紙を完璧に書ききるというのも、それはそれで厄介な試練だ。

与えられた問題は大きく分けて四つだ。
まず自分がこれまでに歩んできた経歴。そして自分が大学で学んでいることについて。
それから大学生活で打ち込んできたこと、最後に自分の特徴……つまり、自己PR。

前者二つは何とかなりそうだ。学歴は隠さず自分の歩んできた道のりを記せばいいし、
大学で学んでいることについてはゼミや卒論について書けば埋まる程度の空白である。

問題は、後者の二つ。大学で打ち込んできたことと、自己PR。

そもそもこの二つの違いとは何だろう。自分に何らかの特徴があるから何かに打ち込めるのであって、
どちらが欠けていても成立しない文章なのではないだろうか。
打ち込んできたことと学業について、は同じでは駄目なのだろうか。

「履歴書は、貴方をアピールするための重要な書類です。第一関門なのです」

大学のキャリアセンターが主催する就活対策講座のようなもので、壇上の男性が言っていた。

「これが貴方を最初に表現する場なのです。第一印象は出来るだけよくしなければなりません。
 何故なら、それはこれからその企業と付き合っていくための、基礎となる書類なのです」

そんなこと言われても、と回想しながら思う。

92 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:50:02 ID:8BdQ//ls0
趣味のおかげもあって、私は一般的な大学生よりも多くの文章を書いてきたと思う。
だからちょっとだけ声を大にして言いたい。文章で自分を表現するなんて、到底不可能だ。

小説を書くとき、たとえそれがどんなに幻想的な作品であっても、
ところどころに実体験をちりばめなければならない時がある。
作品の現実性を際立たせるため、或いは作品の幻想性を逆側から引き立たせるための小手先の技術だ。

いわゆる、リアリティ、と呼ばれる類の。

しかしながらそこで描かれる実体験は、実体験でありながらもどこかに虚飾が施されている。
その小説にある物語に沿うような形で、常に現実は歪められていく。
字数制限や尺の配分、などといった理由を言い訳にして、現実は本物の現実ではなくなるのだ。

ここにある、数行の空白に、現実など記せるものか。

自分が真面目に考えすぎていることはわかっている。
どのような大学生であれ、自分を等身大に見せようとせず、出来る限り誇張しようと努力するだろう。
誰かが言っていた。零を一にするのは駄目だ、しかし一を百にするのはかまわない、と。

大学で打ち込んできたものなど、私には何もない。
唯一あるとすれば小説なのだが、
それをいくら豊かに書き上げたところで誰にも興味を持たれないことはわかっている。

とすると、アルバイトだろうか。
本屋のレジでぼんやりと突っ立っているだけのアルバイト。
あの過去を多少のフィクションを交えて、ある程度見れる過去に仕立てることは不可能ではない気がする。

93 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:50:59 ID:8BdQ//ls0
それで、いいのだろうか。
その行為は老夫婦との過去を改竄する、とまでは言わないにせよ、
自分自身の体験をほんの少し捻じ曲げてしまっているような気がして、些か気分が悪い。

小説ではなく、自分自身を表現する方法として、果たしてそれは適正なのだろうか。

とはいえ単純な話、そうでもしなければ私がこの履歴書を書き上げることは永遠に不可能だ。
今更何を頑張るわけにもいかない。新たな何かを興味を持つのも無理がある。
かといって真っ正直に自分自身を紹介したところで、書類選考をクリアすることは出来ないだろう。

そもそも、企業は数多の履歴書の全てに目を通しているのだろうか?

そう問いかければ企業側は無論イエスと答えるだろうし、私たちはそれを信じざるを得ない。
そして実態など知りようがないのだ。企業によっては数百枚、数千枚と送られる履歴書を、
誰も見ていないところでシュレッダーにかけていたところで、私たちに糾弾は許されない。

世の中には暗黙のルールと呼ばれる規則が無数に存在しているらしい。
例えば、『全ての就活生には平等に応募する権利があると思わせる』というのも含まれているだろう。
実際には学歴や男女の別などで篩いにかけられているにしても、だ。

(゚、゚トソン「……」

まただ。私は相変わらず考えをこじらせている。
私の学歴は大抵の企業において足きりされない程度のものであろう。その点を心配しても仕方がない。
男女の別ともなれば、これはもうどうしようもない。今更生まれる前に立ち返るわけにもいかないのだ。

それでも湧き上がるこの違和感は、いったい何なのだろうか。
誰もが無視しているであろう違和感の正体に、私は深く立ち入るべきではないのだろうか。

94 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:51:57 ID:8BdQ//ls0
考えている暇があるなら手を動かそう。
だが、手を動かすためには自己PRを考えなければならない。
何というシンプルな構造の矛盾。どうやら私のPRはオートメーションにならないらしい。

大学生活で打ち込んだこと、はアルバイトで妥協しておくことにする。
文面はあとでパソコンのメモ帳にでも書き起こすことにして、
とりあえず決められたということは一歩前進したことなのだと、自分を祝う。

さて、自己PR。

私は、斯々然々な人間であり、それというのも私はこのような体験を、云々。
はて、自分とはいったい何だったのだろう、などと在り来たりな禅問答をやってみる。
都村トソン、二十一歳、乙女座、A型、女、大学生……割と、それだけで片付けられてしまう存在。

例えば自分の目の前に何の変哲もない、凡庸な鉛筆が転がってきて、
「今からその鉛筆を宣伝してください」と言われたら私はどうするだろう。
でっち上げることはあまり難しくないかもしれない。書き味が、折れにくさが、値段が、持ち心地が、など。

しかし、本質的な問題として、私は鉛筆を宣伝するという行為に意味を感じないのだ。
都村トソンという一介の大学生が履歴書を空欄を埋めるに足りる資格を有しているとは、思えないのだ。

(゚、゚トソン「……」

ちょっと笑う。
やっぱり私は何もしないでいる理由を掘り出すのが得意で得意で仕方ないようだ。

そう言えば、本屋でアルバイトを始めるときも私は履歴書を書いたのだった。
あの時持ち込んだのはコンビニで売っている簡易な履歴書で、だから書くのにも苦労しなかった。

結果的に言えば、店主のお爺さんに「履歴書なぞ要らん」といって突き返されてしまった。

「あんたがどういう人物なのかは、まあ、大体見ればわかる」

そして採用された。
採用されたからよかったようなものの、そのまま帰されていれば愚痴のひとつでも言いたくなっただろう。

95 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:53:01 ID:8BdQ//ls0
しとしとと降り続ける窓外の冷雨を眺めて。
Youtubeにアクセスして好きなバンドのプロモーションビデオを見て。
溜息をついて。伸びをして。手遊びなんかもして。シャープペンシルで机を叩いて。

まだ、焦る時間ではない、と自分自身に言い聞かせる。
来週の土曜日に行われるセミナーで履歴書を求められるそうだが、
それにしてもまだ六日間の猶予がある。こういうものは複製すればいいのだから一度出来ればあとは楽だ。

最悪の場合、ネット上に転がっている文例を少し改造して転用すればいい。
私が私である以上、最大限のパフォーマンスを発揮するなど無理なのだから。

最低だ、と私は私に思う。しかしどことなく自分への悪罵を抑制してしまっているような気もする。
私だけが悪いとは思えないのだ。何故だろう。自虐は得意なはずなのに。

その時、携帯電話が盛大な震動音を鳴らした。
咄嗟に思い浮かんだのは内藤氏だった。
昨日の今日で彼に私への用事があるとは思えなかったが、私には彼への用事があった。

単純に、コーヒーのお釣りを返し忘れていたのである。
Mサイズのホットコーヒーのお釣り、二百円。それを今週末には返さなければならない。
まさかそのためだけに電話をかけてくるはずもないとは思ったが、もしそうであれば話が早いとも考えられる。

しかし、表示されているのは別の……私の携帯に登録されている番号だった。

96 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:53:49 ID:8BdQ//ls0
(゚、゚トソン「……もしもし」

『……デレでございます』

(゚、゚トソン「分かってますよ」

デレ――大学で同じ心理学のゼミに所属している友人の一人。
背が低めで、パーマをあてた茶色い髪が特徴の、ごく普通に見える女の子だ。

彼女はよくメールをしてくるが、直接電話をかけてくることは稀である。
そして電話をかけてくる場面は、決まりきっている。

それでも一応、訊いてみることにする。

(゚、゚トソン「どうしたんですか、何か用事でも?」

『いやー、あのさ、今度の土曜日なんだけど、空いてないかな』

(゚、゚トソン「……今度の土曜日は就活セミナーの日じゃないですか」

『そう、そうなんだよ。だからその後っていうかさ、夜に』

『お邪魔したいなーなんて、思って』

97 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:54:59 ID:8BdQ//ls0
(゚、゚トソン「……デレ」

『ほら、よく言うじゃん。エントリーシートとか履歴書とかって』

『よく言うっていうか、よく聞くじゃん、先輩とかに』

『そういうのは、互いに見せ合って評価すると良いって』

『だからさ、私たちもそういうことする時期なんじゃないかなって!』

『試験前で、ドタバタはしてるけど、就活も見過ごせないなって!』

『どう? この超圧倒的ド正論』

(゚、゚トソン「デレ」

『……』

『……何ですか』

(゚、゚トソン「言わなくても分かってるでしょう」

『……』

(゚、゚トソン「……」

『……』

『ごめんなさい! またフられました!』

98 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:56:12 ID:8BdQ//ls0
デレは、客観的に見ても十分可愛い部類に入る女の子だ。
多少は化粧が功を奏しているにしても、私は素顔も可愛らしいと推測している。
そんな彼女だが、今のところ恋が成就したと言える状況には一度もなっていない。

デレと出会ったのは入学式の直後だ。心理学科だけが集められたオリエンテーションの場で、
たまたま席が隣同士だったのを契機に私たちは友達になった。
だから付き合いはもうすぐ三年になる。

その間に、デレは両手を合わせても数え切れないほどの片想いをし、
そのほぼ全てで見事なまでに玉砕した。
たまに成功することがあっても、一ヶ月と経たずに破綻する。デレは常にフられる側だ。

何故か。
デレが、途轍もなく、『重い』からだ。

とにかくデレは男に尽くす。
尽くして尽くして、男が求めていないぐらいの愛情でもって相手を押し潰す。
最早その重量級っぷりは大学の一部では定説として扱われており、デレに近づく男は殆どいない。

普段のデレ――例えば私と話しているときのデレ――はそんな素振りを全く見せない。
私もデレ自身から恋愛体験談を聞くまでは真実だとは信じられなかった。
それが、相手を恋人と認識した瞬間、或いは相手から恋人と認識された瞬間から豹変する。

99 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:56:58 ID:8BdQ//ls0
彼女は捧げる。金銭や恋文や自分の身体にいたるまで、あらゆるものを捧げる。
去年の夏、彼女は過労で倒れて一週間ばかり入院したことがあった。

その理由は非常にばかげていた。
当時好きだった男が天文部に所属していたため、その男に最高級の天体望遠鏡をプレゼントしようと、
アルバイトを三つ、四つと掛け持ちしていたのだ。

その男には見事にフられた。あまつさえ稼いだお金もすぐに消えてなくなった。
直後に好きになった男に貢いだためだ。その男とは約二ヶ月、殆ど主従関係のような形で結ばれていたが、
結局彼女が求めるような恋人同士にはなれなかった。男が、金や身体よりも彼女からの解放を望んだのだ。

私が知る限り、借金などの不道徳な手段に走っていないだけまだマシと言える。
しかしながらいずれそういった方法をとらないとも限らないし、既に秘密裏に遂行しているかもしれない。

そう考えると、私は彼女を止めなければならないと思う。
実際に何度か彼女と話をしたのだが効果はなかった。要は私には説得力がないのだ。
恋愛のひとつもまともにしていない、私には。

『……おーい、トソン、聞いてるー?』

(゚、゚トソン「……ああ、はい。聞いてます」

(゚、゚トソン「夜なら大丈夫ですよ。空いてます……」

『ん、分かった。酒持って行くから!』

『この切ない乙女心と共に何もかもを持っていくから!』

100 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:57:54 ID:8BdQ//ls0
通話の切断された携帯を耳にあてたまま私はしばらく考える。
デレは相談相手を間違えているのではないだろうか。
そういうのは乙女心を持っている人間、または一度でも持ったことのある人間の方が適当なのではないか。

何故、私なのだろう。
土曜日、デレに会ったら訊いてみようか。

恋愛事にはまるで興味がない。女子大生として、人としてどうかと思うが、
興味が湧かないのだから仕方がない。誰かを熱心に愛せるほどの確たる信念も無ければ、
周囲に流されてただ漫然と付き合ってみるというような緩さもない。

いろいろな要素が考えられる。容姿が駄目だ、とか、性格が駄目だ、とか。
しかし他人に指摘されたことがないし、自分自身それで損をした覚えがないから、
改善する意味も見当たらない。下手をしたら一生このままかもしれないがそれでもいいと思っている。

……この、心の奥のほうまで深く根を張っている『どうでもいい』という精神は放置していいものだろうか。

そのせいで私は履歴書が書けないのではないだろうか。
特に自分のこととなると何もかもがどうでもよく感じられてきて、結局何もできない。

自己PRなどその最たるものであって、
これを書き切るには自分に過剰なまでの自信が必要なのではないか。

101 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:58:49 ID:8BdQ//ls0
……いや、もしかしたら。
書けないのではなく、書かないだけなのかもしれない。
書き方は色々考えられるのだ。例えば、こんな風に――。

(゚、゚トソン「私の強みは、小説を書くことです……」

私は中学生の頃からずっと小説を書き続けており、今もまた新しい作品を書いている途中です。
昨年は文学雑誌の新人賞に応募し、一次選考に通過することが出来ました。
そのため、私は文章力や表現力には一定の自信を持っており、御社で働くにあたっては……。

(゚、゚トソン「あたっては……」

メモ帳に淡々と打ち込んでいた手が止まる。

「誰にでも、一つぐらいは自分の能力というか、アピールポイントがあります。
 まずはそれを探してください。そしてそれを上手く志望する企業の求めているものに繋げるんです」

そんな勝手なことをのたまっていたキャリアセンターの男に問いたい。
小説を書くことが、一体社会において何の役に立つのか。
仮に何らかの形で結び付けられたとして、それは真実といえるのか。

いや、分かっている。悪いのは全て自分なのだ。
まず志望する会社が明確ではない。だから結びつける相手がいない。
そして、それ以前にそれ以外の……何というか、就活に役立ちそうな物事に興味を持たなかったのが悪い。

そういうものだ。

102 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 21:59:49 ID:8BdQ//ls0
したいことって、何だろう。

小学校の頃の作文を思い出した。
あの頃、私はまだ小説という趣味に出会ってすらいなかった。

私は、宇宙飛行士になりたかった。

何故なりたかったのだろう。多分、わけがわからなかったからだと思う。
自分が今立っている地球という惑星……その全容すら想像し難いのに、
その外側に地球の数億倍を超える空間が広がっているなんて、ゾッとするほど興味深い。

小学校の頃に宇宙飛行士になることについて書いた作文は、学校で表彰される羽目になった。
何がよかったのか分からなかったが、表彰状自体は嬉しいものだった。

ただ、今になって思えばあの作文を評価した教師たちは、
私の宇宙飛行士になる夢を応援したのではなく、
単純にそれについて書かれた文章がよく出来ていることを評価したに過ぎなかったのだ。

誰も私が本気で宇宙飛行士になれるなんて期待していなかっただろう。
夢は所詮夢物語であり、現実とは区別して語られるべきなのだ。
しかし私は、少しだけ、本当に宇宙飛行士になれるんじゃないかと思ってしまった。

私は宇宙飛行士になりたかった。そしてその夢は諦めざるを得なかった。
宇宙飛行士になるには気が狂うほどの学力と鍛錬が必要だと知ったからだ。
今更宇宙飛行士になるといっても、成功する確率は万に一つも無いだろう。

私は、分の悪い賭けからは逃げる人間だ。

103 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 22:00:49 ID:8BdQ//ls0
私は小説を書く。文学賞に送って、一次選考に通過したのは本当の話だ。
しかし私は小説家になりたいとは思っていない。なろうとしても、なれないと確信している。

これは一種の諦観だった。かつての私が宇宙飛行士になれなかったのと同じように、
何かほんの少し光明が見えたとしても、それを追い続けることにはさほど希望が無い。
期待するべきじゃない。私には私に似合った役回りがあって、それはほぼ確実に小説家ではない。

では、その役回りとはなんだろう?

就職活動とは、それを見つけるための活動なのかもしれない。
意欲的な一部の学生以外にとっては、
自分がスッポリと落ち着くのに見合った場所を選ぶための、消極的行動。

本気で何かの職に就きたいわけじゃない。
そうすれば取り敢えず世間体と、食い扶持が得られるという、ただそれだけの話だ。

だから就活生は自分自身を躊躇いなく誇張できるのだろう。
そしてそれを企業もよく理解している。そういうものだと、分かってかかる。
集団面接に鉢合わせた全員が何かの部活の部長であってもおかしくはない。

茶番だ。いや、茶番は言い過ぎかもしれない。
誰もがそれをやっているうちに、茶番であっても本気で演じるようになるのだ。
そして見事に演じきった者から目出度く社会人になっていく。

だから、茶番以上に意味がある。目的は無くとも、意味はある。

104 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 22:02:03 ID:8BdQ//ls0
そうやって突き詰めていけば、履歴書を書くのは割合に簡単ではないかと思えてくる。
最早小学校の頃のような素直さ、純粋さは誰にも求められていない。
要は自分を押し殺し、或いは改造し、或いは持ち上げて書けばいいのだ。

面接も同様だろう。如何に外面を小奇麗に整えられるか。
そしてそうやって作り上げた自分を、少なくとも内々定が出るまでは保持しておけばいい。

簡単な、ことだ。

まず素案をメモ帳で打ち込み、文字数を確認する。
それが履歴書の空白にバランスよく当てはまるかどうか、チェックする。
そして下書きの後に、ボールペンで出来るだけ綺麗に線をなぞっていく。

私は自分の文字が嫌いだ。やや丸っこくて、大人っぽさがない。
もしも世の中にワープロやパソコンが発明されていなければ、
私は小説を趣味になどしなかっただろう。

記念すべき一枚目の履歴書が完成した頃には、既に夕刻を過ぎていた。
私はそれを両手で持ち上げ、全体の構成を見てみる。
今更書き直すわけにもいかないから、あくまでも振りだけだ。

証明写真を貼る。無機質な私の顔が無機質な履歴書に糊付けされる。
そうやって出来上がった履歴書をファイルに入れて引き出しにしまい、私は薄く目を閉じる。

達成感に似ているが、どこか粘着質な悪寒を覚える。
椅子から立ち上がって、くるりと振り返り、そこにあるベッドに倒れこんだ。
シーツを握り締める。見つけられない何かを必死に掴もうとしている感じ。

しかし、そこには何も無い。

105 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 22:03:12 ID:8BdQ//ls0
時々、私は無性に自分自身が嫌いになる。
そんなとき、大抵天気は曇りか雨なのだが、因果関係は分からない。

ただ誰とも会いたくなくなって何も視界に入れたくなくなって、何も聴きたくなくなる。
皮膚感覚の全てが麻痺してしまえばいいとさえ思う。
とにかく、生きている、と教えてくる感覚の全てを遮断して閉じこもりたくなる。

それは、殆どが独りで物事を考えている時に生じるから他人に迷惑をかけることはない。
今がまさにそうであり、その原因も分かっている。

私は、私の捻くれた考え方が大嫌いだ。

もう少し素直に生きられないかな、と切々と思う。
他人を、世の中を、自分自身を、穿った見方でしか捉えられない自分のせいで、
私の生き方はより苦痛と悲壮に塗れたものになってしまうのではないだろうか。

そしてもしも、世の中が私の思うほど悪いものではなかったとしても、
私はその良さを正確に受け入れることが出来なくなってしまうのではないだろうか。
そう考えるたび、私は少しずつ、生きているのが嫌になっていく。

小説家になりたい、と素直に思えたら。
就職活動と、素直に向き合えたら。
胸の中から震えが込み上げて、嘔吐するように咳き込んだ。

106 名前:名も無きAAのようです:2013/01/27(日) 22:04:03 ID:8BdQ//ls0
布団の上で身体を丸めて、ひたすら衝動が去るのを待つ。
酸素が肺に刺さっているかのように、痛く、苦しい。
自虐と、後悔と、権利のない他虐がないまぜになって脳裏でうねる。

しかし、この悩みはある意味で贅沢な悩みなのかもしれない。
私は様々なものを所有している。ある程度のお金と、住処、
帰るべき故郷や家族、友人、学歴、その上で、悩む余裕さえ。

悩む暇も無い人が、この世の中には数多と生きているだろうに。

ただ、私には分からない。この懊悩や苦痛は異常なものなのだろうか。
私だけが抱えている、病とも呼べる症状なのか。
それとも、皆これぐらいの悩みは何とも思わずに生きているのだろうか。

(゚、゚トソン「……」

衝動が過ぎ、落ち着いたところで私は布団の上に座る。
ぼんやりと数秒過ごしてから立ち上がり、洗面台へ向かった。

そこにある大きな鏡が、私の顔を濡らした涙の量を示していた。
蛇口をひねって顔を洗う。ひたすら無心に、顔を洗い続ける。

私は、都村トソン。
私は、履歴書に、都村トソンを、書かない。



4.書かない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/07 16:10:33

5jigendaddyjigendaddy   5.会わない

112 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:20:48 id:J3pmyDm.0
5.会わない

(´・_ゝ・`)「えー、それじゃあ株式会社朝日機械設備の会社説明会を始めます……」

平日が過ぎて、土曜日。私はリクルートスーツを着て就活セミナーに参加していた。
就活セミナーでは複数の企業が同時に別々の会館で説明会を開催する。
日程は午前から午後までびっしりと埋められているが、どれを選ぶも就活生の自由だ。

(´・_ゝ・`)「まー、うちの会社は、なんていうか、地味な会社なんですよ。はは」

私は結局、午前中だけセミナーに参加することにした。
内藤氏と約束している午後二時までには、ギリギリ三社の説明会に参加できる算段だ。

(´・_ゝ・`)「基本BtoBの会社でCMもやらないから……あ、BtoBっていうのはね」

私は基本的に大学の講義でも何でも、一番後ろの席で聴くことにしている。
あまり前にいると少し恥ずかしいというのが最たる理由だが、
そこからだと何をしていてもあまり見咎められないというメリットもあるからだ。

(´・_ゝ・`)「だから今日の説明会を機会に、是非ウチに興味を持ってくれたらなー、なんて」

それはこの説明会でも変わらない。小教室で行われている説明を私は最後方で聴いていた。
ただ一つ、誤算があった。これは私の誤算でなく、恐らく企業の誤算だろう。

(´・_ゝ・`)「……ね、ねえ、キミ」

(゚、゚トソン「……私ですか?」

(´・_ゝ・`)「そ、そうだよ。だって、キミしかいないじゃない」

開始の時刻は既に五分過ぎている。
にもかかわらず、この小教室にいるのは二人だけだ。
説明者の三十代ぐらいの男と、私。……それだけ。キャリアセンターの事務員すらいない。

(´・_ゝ・`)「もうちょっと前に来ない? なんかほら、虚しさが倍増するからさ……」

113 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:22:23 id:J3pmyDm.0
(´・_ゝ・`)「あーあ、いや、やっぱりそうなると思ってたんだよね。今の時間帯って、
      大手のメーカーさんとかマスコミさんと被ってるし、ましてやまだ時期がね……」

(´・_ゝ・`)「でも課長がさ、ねじ込めるならねじ込めって言うんだよね。休日手当出るからいいけど……。
      無理なんだよねー。人集め。こればっかりは、どうしようもないんだよなあ。
      まー昔は、こんな良い大学で説明会自体、やらせてもらえなかったらしいけどさ……」

(´・_ゝ・`)「あ、これパンフレット」

こんな軽薄な口調で大丈夫なのだろうか、と他人事ながら心配する。
まあ私が密告でもしない限りはバレないだろうし、私もそんな面倒はしたくない。

(´・_ゝ・`)「ああ……そうだ。一応この説明会で履歴書、
      持ってきてたら回収することになってるんだけど、ある?」

(゚、゚トソン「あ……はい」

(´・_ゝ・`)「そか、じゃあ説明聞いて、興味持ったら僕に頂戴ね」

(´・_ゝ・`)「あ、そうそう。僕、人事の盛岡です。よろしくね」

手渡された名刺には確かに『盛岡デミタス』と書かれている。
しかし、通常会社説明会で名刺など配るものなのだろうか?

(´・_ゝ・`)「まあ……キミしかいないからね、うん。記念みたいなもんだよ」

114 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:23:25 id:J3pmyDm.0
そして説明が始まった。
当たり前の話だが、中身はいたって普通の機械製造業であるらしい。
最近の不況には参っているものの、懇意の取引先と幾つかの特許製品で何とかやっているとのことだった。

私は彼が映すスライドや話す内容を就活用に購入したノートに書き留める。
この行為にさほど意味があるとは思えないが皆がそうしているから、そうする。

(´・_ゝ・`)「えー、そういうわけで、少人数なので風通しの良い会社です……っと」

(´・_ゝ・`)「こんなところかなあ」

盛岡氏は手に持ったレジュメを眺めながら渋い顔をしている。
私は携帯で時間を確認した。まだ予定時間の半分にも至っていない。

(´・_ゝ・`)「あー、そうそう。大事なこと忘れてた。今後の選考スケジュールだけどね」

(´・_ゝ・`)「今日履歴書を貰ったら、来週ぐらいに軽い面接をしようかと思ってます」

(´・_ゝ・`)「あと、適性検査ね……簡単なやつだから気にしなくて大丈夫」

(´・_ゝ・`)「それをクリアしたら二次面接なんだけど……正直他の志望者との兼ね合いもあって」

(´・_ゝ・`)「結構後の方になりそうです。申し訳ないけどね」

(´・_ゝ・`)「それが終わったら役員面接……で、内定、と」

(´・_ゝ・`)「順調にいけば、内定は四月か五月頃に出す予定です」

(´・_ゝ・`)「以上……っかー、めっちゃ時間あまったよ」

116 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:24:23 id:J3pmyDm.0
(´・_ゝ・`)「一応、残りは質問タイム……で考えてたんだけどね」

(´・_ゝ・`)「やっぱり時間配分ミスったかなあ」

(゚、゚トソン「……」

(´・_ゝ・`)「ああ、ごめんね。僕以外は真面目な会社だから、安心して」

(´・_ゝ・`)「そうじゃないと潰れちゃうから。このご時世」

(´・_ゝ・`)「いやあ本当に、最近は残業とかにも、うるさくてねえ」

(´・_ゝ・`)「残業代削らないといけないからってサービス残業ってわけにもいかないし」

(´・_ゝ・`)「労基に突っ込まれて面倒になったって話、たまに聞くからねえ……」

変な説明会だな、と彼のぼやきを聴きながらぼんやりと思う。
それはそうだ。マンツーマンの説明会なんて効率が悪くて仕方がない。

しかし盛岡氏は盛岡氏で自分の仕事をこなさなければならないし、
私も就活生として座っていなければならない。
一体、何をやってるんだろうという愚問にも満たない自問が浮かぶ。

そして思わず目の前の彼にも問いかけたくなる。

(´・_ゝ・`)「ああそうだ、何か無い? 質問」

117 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:26:18 id:J3pmyDm.0
(゚、゚トソン「えっ」

そうだ。私は就活生だけでなく質問者の役割も担わなければならないのだ。

これまでの幾つかの企業説明会で、私は常に沈黙を貫いてきた。
「本日はお忙しいところありがとうございます、私は○○大学の」云々、などといった定型句は、
いつも他人の口から放たれ、そして私は傍観者とも言える立場でそれを横聞きしていたのだ。

しかし今日に限っては、私は当事者以外の何者にもなることが出来ない。
これはある意味でチャンスと言えるだろう。『人事に顔を覚えてもらう』絶好のチャンスだ。
……しかし、一対一という時点で既にその任務は果たされてしまっているような気がする。

(゚、゚トソン「えーっと」

相手の立場になって考えてみれば、流石にこんな女子大生一人に対して無駄な時間を使った挙句、
大した反応の一つも貰えなかったとなれば多少なりとも凹んでしまうのでは無いだろうか。
あまつさえ休日出勤でわざわざ大学に来たのに、である。

(゚、゚トソン「……」

とは言え、質問らしい質問など何も考えていなかった。
こういう質問の場では色々な常套句や禁句が存在しているらしいが、
少なくとも盛岡氏の喋り口調から考えて禁句については考えなくてもいいような気がする。

だからと言って無闇に訊きたいことが湧き出てくる筈もなく、私の口から飛び出したのは、

(゚、゚トソン「盛岡さんはどうしてこの会社に入社したんですか?」

という、如何ともし難い問いであった。

119 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:28:06 id:J3pmyDm.0
(´・_ゝ・`)「へ、ああ、僕?」

(´・_ゝ・`)「僕は……はあ、どうだったかなあ」

(´・_ゝ・`)「ああ、こう見えても僕、入社して十年以上経ってるんだよね。
      その頃ってもうとっくにバブルは弾けてて就職氷河期みたいなもんだったから……。
      正直、選択の余地は無かったよね。上位の大学にいる人は別として、さ」

盛岡氏は教卓の横にあった丸椅子を勝手に引っ張り出して、座り込む。

(´・_ゝ・`)「だから僕も色んな企業を回った末にここに内定が得られたんだよ。
      入社した理由はそれだけ……かな。うん。本当にそれだけ。
      ああでも、やっぱりこういうのって前向きな志望動機とか語るべきだったよねえ」

他の人がどう思うかはともかくとして、私は彼の口調に好感を持った。
外連味が感じられないのがその最たる理由だ。
彼は恐らく嘘をついていない。ついていたとしても、それはある意味謙虚な嘘だ。

しかし、もしも意欲的な学生が彼と対面すれば、その学生はたちまち企業自体に失望するだろう。
大抵の学生は自分より十以上も年の離れた会社員の愚痴など聞きたくもないだろうし、
そのために費やされた時間の全てを徒労であったと感じることになるはずだ。

121 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:30:32 id:J3pmyDm.0
(´・_ゝ・`)「あ、うちは残業はほぼ、ありません。
      さっきも言ったけど残業代削らないとだし、何しろ仕事の数自体も減ったからね。
      たまにあっても、ちゃんと残業代は出ます。なので安心してね」

(´・_ゝ・`)「年収はまあ……業界じゃ平均よりやや下って感じかな。
      ただ、そう詳しく他社と調べたわけでもないし、
      そういうのは就活生の方がよく知ってるんじゃ無いかな、はは」

(´・_ゝ・`)「一応転勤はある……けど、今の感じだとしばらくは本社のような気もするね。
      や、確証は持てないけど。家賃補助はあるし交通費も全額支給しますよ。
      年間休日はほぼカレンダー通り……たまに僕みたいに休日出勤があります」

彼が勢いよく並べ立てたのは、いわゆる『就活生が本当に知りたい内容』だ。
大抵の質問タイムで就活生が自分で口にするのは躊躇われるような話題。
盛岡氏はそれをいとも簡単に口にした。それだけ陰が無いというアピールでもあろう。

(´・_ゝ・`)「他に、何かあるかな。やり甲斐とか聞きたい?」

ペンを走らせていた私はふと顔を上げる。
盛岡氏の顔は内藤氏とは違って年相応に老けているように見える。
それは苦労の証明なのだろうか。それとも、いわばそれが『順応』なのか。

(゚、゚トソン「……聞かせて下さい」

は、と盛岡氏は笑みとも何とも言えない表情を作った

(´・_ゝ・`)「無いよ、そんなの」

123 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:32:01 id:J3pmyDm.0
(´・_ゝ・`)「まあこれは一つの考え方で、僕も就職してから上司に教えてもらったんだけどね」

(´・_ゝ・`)「結局人は何で働くかっていうと、そりゃ色々理由はあると思うよ。
      でも大抵の場合は、お金を稼いで、生活をしていくためだと思うんだ。
      そして生活っていうのはご飯を食べるってだけじゃない、もっと豊かなものであるべきだ」

(´・_ゝ・`)「僕は国内や海外を問わず旅行するのが趣味でね。これがまた結構お金がかかるんだ。
      あと奥さんと、子ども……まだ三歳の、子どもがいる。この人達も食べさせないといけない。
      僕はそういう人や物のために働いてるのであって、働きたくて働いてるわけじゃないんだ」

(´・_ゝ・`)「言ってしまえば、僕が働くべき場所は別に、この会社じゃなくてもいいんだよ。
      たまたまあの時に、僕の手の届く範囲にあったというだけの話でね」

贅沢な人だな、と私は思う。私なんかとは別の意味で、贅沢な人だ。
実感したことは無いが、世の中には働くために働いてそのために身体を壊す人が大勢いるらしい。
そういう人たちにとって、彼のような生き方はどう映るのだろう。

人によっては、彼を撲殺したいとさえ思うのではないだろうか。

(´・_ゝ・`)「だから申し訳ないけど、やり甲斐なんていうのは、無いんだよなあ。
      仕事より楽しいことなんて色々あるし。仕事ごときで満足してちゃ駄目だ。
      ……あ、ごめんね、自分で振っておいて」

(゚、゚トソン「いえ……」

124 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:32:57 id:J3pmyDm.0
(´・_ゝ・`)「あ、そうだ。僕も一つ、質問していいかな」

(゚、゚トソン「はい?」

(´・_ゝ・`)「あ、心配しなくてもこれは選考とはまったく関係ないからね。
      ……と、言っても信用してもらえないだろうなあ。そんな嘘、普通にまかり通ってるもんね。
      いや、本当に、単純な僕の興味だよ、他意は無いんだ」

(´・_ゝ・`)「ただね、どうして今日、この説明会に来たのかなって」

私は、非常に、戸惑った。
実際のところ、今日この企業を選んで説明会を受けたことに大した理由はない。
何となく、だ。時間が空いていたから埋めただけにすぎないようなものなのだ。

他の有名な企業にはどうせ縁がないだろうと思ったし、
何より派手派手しい業界よりも自分にはこんな感じの企業の方が似合っていると思った。

本当は友人などと一緒に説明を受けてもよかったのだが、
内藤氏に会いに行く際、抜ける理由を作るのが面倒そうなのでやめておいたのだ。

ただ、それを正直に暴露して良いものか。

彼自身がいくら選考に影響ないと豪語したところで、
私という人間の印象はある程度固定されてしまうだろう。
確かに盛岡氏は気にしなさそうだが、意外と選考は真面目にやるのかもしれない。

(゚、゚トソン「えっと……」

本格的に面接が始まったら、毎度毎度その企業にふさわしい言葉を探さないといけないのだ。
その事実を今更ながら再認識し、本当に反吐が出そうになった。

125 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:34:09 id:J3pmyDm.0
(´・_ゝ・`)「いや、理由が無いなら無いで、いいんだよ。僕だって、無かったし」

そう言って笑う盛岡氏は、不意に切なげな表情を浮かべた。

(´・_ゝ・`)「去年もね、面接になるとみんな、色んな理由を考えてきてくれるんだ。
      色々対策もしてるんだろうね。そのおかげで、全然その人の本当の姿が見えない。
      でも、そうやって自分を包み隠すのも、ビジネスでは必要だからね……」

(´・_ゝ・`)「僕なんかからしたら、一緒にいて不愉快じゃないような人ならそれだけでいいんだ。
      うちみたいな少人数の企業だと、やっぱりある程度仲良くやっていきたいからさ。
      ……それにしても、一体誰がこんなよく分からない就職活動なんて始めたんだろう」

(゚、゚トソン「……」

(´・_ゝ・`)「……なんて、こんな事が平気で言えるのもこの時期までだね。
      もうすぐ、真面目に採用活動しなくちゃならない。いや、今もしてるんだけどね、うん」

この人は、良い意味で、恥ずかしい人だなと思う。
やり甲斐などないと豪語するかと思えば仲良くしたいなどと大学サークルみたいなことも言う。
それは確かに誰もが思っているであろうことなのだろう。しかし、誰も口にしないことでもある。

126 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:35:13 id:J3pmyDm.0
(゚、゚トソン「……あの」

(´・_ゝ・`)「うん?」

(゚、゚トソン「まだ、私、就職活動というもの自体に慣れていないものですから……。
     その、色々な業界や、企業を知りたいなと思って……。
     御社の説明会に参加したのも、就活セミナーを機会に色々な企業を知れたら、と……」

したいことなど何も無い。
しかしそれでも、私の想像を現実の社会というものが凌駕しているというなら。
私はそういった企業に興味を持つことができるかもしれない。

それは、私にとって精一杯の、『それらしい真実』だった。
完全に嘘というわけではない。本当の言葉も含まれている。
しかしその言葉は幾重もの気遣いやテンプレートで取り繕われていた。

(´・_ゝ・`)「……うん、そうか」

盛岡氏は口角を上げて何度か頷いた。

(´・_ゝ・`)「そういうものだよね、僕だって、他の業界なんて全然知らないし」

127 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:36:41 id:J3pmyDm.0
興味を持つ、とはどういうことなのだろう。
私はこの企業に興味を持っていると言えるのだろうか。

後々になって悔やむことになりそうな気はする。
仕事自体には全然と言って良いほど面白味が見出せないし、
結局のところ私は目の前にいる盛岡氏への興味だけでこの企業に応募しようとしているのではないか。

しかし、それでさえ切っ掛けには違いないのではないのだろうか。
そのような切っ掛けすら逃してしまっては、私は一つも選考に進めないような気がする。
そして、働くために必要な条件というのは、案外そのような遭遇であるのかも知れないのだ。

(´・_ゝ・`)「さて……もう質問は、ないかな」

(´・_ゝ・`)「どうだろう、うちの会社に興味持ってもらえたかな?」

会社には興味を持っていない。それは確実に言える。
しかし私はこの先いかなる企業にも興味を持てないだろう。
ならば、些少であれ、好材料ならば拾い上げるべきではないだろうか。

鞄から履歴書を入れたファイルを取り出そうとしたのを見て、盛岡氏は言った。

(´・_ゝ・`)「ああ。ありがとう。こんな説明でも興味持ってくれて、嬉しいよ」

(´・_ゝ・`)「……」

(´・_ゝ・`)「あーでも」

盛岡氏は私の方へ伸ばしかけた手を止めて、視線を彷徨わせてから呟いた。

(´・_ゝ・`)「やっぱり、言っておくべきなんだろうなあ」

128 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:37:37 id:J3pmyDm.0
(´・_ゝ・`)「いや、これはね、本当は言っちゃいけないんだよ。決まりって言うか、法律、なのかな。
      ともかく課長にも口にするなって言われてるしさ、僕もマズいとは思う。
      ただ、今日ここに来てくれたのはキミだけだし……忠告ぐらいはいいかなって」

(´・_ゝ・`)「うちの会社……仮に僕がキミを二次面接に進めても、キミに内定にできないんだ、ほぼ確実に」

(´・_ゝ・`)「何でかっていうとさ、キミが、その」

(´・_ゝ・`)「女性だから、なんだよね」

(´・_ゝ・`)「今回一応、募集させてもらってるのは営業職なんだ。
      営業職ってことは、基本的に外のお客様との取り引きがメインの仕事になるんだよね。
      うちの業界……というか、うちの周りはすごく、なんていうか、男社会でさ」

(´・_ゝ・`)「やっぱりそこに女性を一人だけ置くっていうのは凄く難しいし、
      多分働く女性の側からしてもとても面倒なことになると思うんだ。
      だから……何て言うか、一応門戸は開いてるんだけど、女性は採れないんだよね」

(´・_ゝ・`)「事務とか、僕みたいな人事なら、まだいいかもしれないんだけどね……」

129 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:38:40 id:J3pmyDm.0
彼の声が、何だか途轍もなく奇妙な言語のように不可解なまま脳裏を過ぎていく。

それと同時に幾つもの思念が浮かび上がった。
やっぱり、そういうものなのか、という納得。何故先に言ってくれなかったんだろう、という疑問。
時間を無駄にしてしまったな、という徒労。そして、自分には無理なんだな、という、諦め。

女性の就職が厳しいことは何となく知っていた。
しかし、このような形で身を以て実感することになるなどとは、全く思っていなかったのだ。

(´・_ゝ・`)「ごめんね、途中まで迷っていたんだよ。でも、知ってて言わないのはやっぱり裏切りだよね。
      まあ、僕は去年も何人もの女性の応募者を裏切ってきたわけだけどさ……」

私は、恐らく盛岡氏を誤解していた。
彼は、私が思う以上に――いや、もしかしたら彼自身が思っているよりも――自らの役目に忠実なのだ。

だから彼は、可能性の無い私一人のためだけに時間を費やした。
誰にも見られていないにも関わらず。誰にも評価されないにも関わらず。

もしかしたら先ほどまでの彼の饒舌は、迷いを晴らすために、
……言い方を変えれば私のためだけに用意された、饒舌だったのかも知れない。

そうまでしてさえ、彼の会社は私を採用できないし、たとえそうであったとしても、
まるで全ての就活生に平等な権利が与えられているように振る舞わなければならない。

そういう、ものだ。

130 名前:名も無きAAのようです:2013/01/29(火) 21:39:49 id:J3pmyDm.0
(´・_ゝ・`)「……やっぱり、やめとくよね。履歴書」

(゚、゚トソン「……はい」

挽回の可能性など万に一つも考えられなかったし、そうするつもりもなかった。
私はただ粛々と、用意された社会のルールに則って脱落するだけだ。

ちょっとした惑いで得られた盛岡氏との遭遇、そして興味。
それが失われてしまうことなど、さして辛いことではあるまい。
そしてそうやって自分を納得させることも、さほど惨めではあるまい。

(´・_ゝ・`)「ごめんね、時間を取らせて」

(゚、゚トソン「いえ……」

私は立ち上がり、彼に向かって慇懃無礼ですらある一礼をして見せた。

(゚、゚トソン「本日は、貴重なお話を、ありがとうございました」

そして身を翻し、小教室を出た。
最後に垣間見えた盛岡氏の表情は、無表情に悲痛の一滴を落としたような、奇妙なものであった。

(゚、゚トソン「……」

彼は、盛岡デミタス。
彼と会うことは、この先もう二度と無いだろう。



5.会わない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/07 16:12:16

6jigendaddyjigendaddy   6.引かない

137 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:33:57 id:X83vS9yU0
6.引かない

(゚、゚トソン「はっ……は」

電車が駅に到着するなり私は駆けだした。
行き先は喫茶店『浪漫S区』。時刻は午後二時十分。
約束の時間に、既に遅刻してしまっていた。

(゚、゚トソン「ふ……」

リクルートスーツの上に更にコートを羽織っているせいで走りにくいことこの上ない。
あまり靴音を鳴らすのも恥ずかしいと感じてしまうので、駆けているというよりは早歩きの調子。
その姿は傍から見て余計に滑稽なのでは無いかと考え始めて、結局黙々とした歩行に落ち着く。

(゚、゚トソン「……」

盛岡氏による企業説明会の後、私は更に二つの企業の説明を受けた。
遅刻を余儀なくされたのは最後に訪れた説明会が予想外に長引いたからだ。

私は、盛岡氏のことを考えた。いや、それはある意味で自分自身のことでしかないと言える。
彼は私に、幾つかの見落としがちな事柄を教えてくれた。
どうしようもない性差の存在、働きがいの不在、流されるままの、社会生活。

彼の就職方法はある意味理想的であるのかもしれない。
不況や、その他諸々の理由で盛岡氏には就職先の選択肢が限定されていた。

それは誰も推奨しない、しかし多くの人が最終的に行き着く場所でもあるのだろう。

138 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:35:06 id:X83vS9yU0
したいことの無い私にとって、社会に出たいと思わない私にとって。
彼のような方法で無理矢理社会に追い出されるのは理想的なのかもしれない。

もっとも、時間を追えば、ただ怠惰に沈んで就職活動をやり過ごせば、
いずれはそういう場所に落ち着けるのかもしれない。無駄に気を逸らせなければいいのだ。

しかし、私は盛岡氏と同じ道筋を歩むことは出来ない。
それは彼が男性であり、私が女性であるかららしい。

私は結局、今日受けた三社の説明会で一度も履歴書を提出しなかった。

就職活動においてサークル勧誘のビラのごとくばらまけるだけばらまくものであるはずの履歴書を、
私は虎の子のようにして手元においたままでいたのだ。
興味の湧く企業が無かった、などという理由だけでは済まされないだろう。

私は、漫然と、盛岡氏のことを考えていたのだ。

奇妙な心持ちだった。盛岡氏にやんわりと拒絶された事実自体はさほど驚愕に値しない。
むしろそういった噂は幾らでも耳に入っていたし、
だからこそ女子大生は『社内での女性の立場』についてよく質問を投げかけるのだ。

それにしても、この閉塞にも似た思いは何なのだろう。
もしかして、私は盛岡氏に、過剰なまでに失望してしまったのだろうか。
ようやく掴みかけた就職への興味を持てあまして、藻掻いているのだろうか。

残りの就活期間で盛岡氏のような人物と再会するのは有り得ないだろう。
故に私は、機会の損失を悔いているのか。自分の力では、どうしようもないというのに。

などと、漠然と考えながら歩いていると、いつの間にか『浪漫S区』の前だった。

139 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:36:39 id:X83vS9yU0
少し息を整える。内藤氏との接触はこれで二回目だ。
しかも前回は接触したとは言え、殆ど会話を交わさずに終わってしまった。

あまつさえ今回は、より憂うべき事情があった。
似合いもしない就職活動や試験勉強のせいで、彼への質問が全くまとまっていないのだ。

とは言え遅刻してしまった事実の方が何よりも罪深く思える。
覚悟を決めて自動ドアのボタンを押す。薄暗い店内には、相変わらず客数がまばらだ。

その中で、内藤氏の存在感は、やはり不可思議なまでに際立っていた。
身長と、それにそぐわぬ体型。ゆらりとした、『雰囲気』。
それらが店内の最も奥の隅から十分なまでに異彩を放っていた。

( ^ω^)「あ……都村さん」

私が駆け寄ると内藤氏は仄かな笑みを浮べて迎えてくれた。

(゚、゚トソン「ごめんなさい……遅くなってしまって」

( ^ω^)「いえいえ、構わないんですよ……ほら」

(゚、゚トソン「え?」

( ^ω^)「持ってこれたんです。コーヒー。こぼさずに」

140 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:37:32 id:X83vS9yU0
多少汗ばんでいると言っても過言ではない私だったが、
結局のところホットミルクティーを注文して持ってくることとした。

( ^ω^)「かけますか? コート」

(゚、゚トソン「あ、はい……すいません」

ハンガーを受け取り、コートを被せる。少し身軽になった自分の腰を回してから、席に着いた。
内藤氏は相変わらず分厚いコートを装っている。
その下にあるのは、恐らく私と同じ就活スタイルと言えるだろう。

(゚、゚トソン「内藤さんは……いいんですか? そのままで」

( ^ω^)「ああ、僕は寒がりなので……。動きにくいんですけどね。
      でも、なんだか、落ち着くというか……」

(゚、゚トソン「……あ、そう言えば、口癖……」

( ^ω^)「ええ、頑張りました」

( ^ω^)「イメトレ」

(゚、゚トソン「イメトレ?」

( ^ω^)「はい」

(゚、゚トソン「……なるほど、ですか」

141 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:38:19 id:X83vS9yU0
( ^ω^)「えっと……その服装ってことは……就活ですか?」

(゚、゚トソン「ええ、今日は大学で説明会があったものですから……」

( ^ω^)「ああー……そうか、そうですね。もうこの時期からですよね」

(゚、゚トソン「もう面接まで進んでいる人もいるみたいですけど、私はまだ……」

余白のような会話で時間を埋めながら私は、話の切り出し方を考える。
先週の同時刻に今度こそ訊くべき事を訊こうと決意したのを、私はしっかりと覚えている。
言葉が、喉の隙間で引っ掛かっている気がするのはそのせいだろうか。

畢竟、私は過度に緊張してしまっているのかもしれない。

あらゆる人付き合いは流れるようにして進んでいく、と私は勝手に理解している。

大学に進んだ際には多くの知り合いが出来た。
彼らとはある段階までは常套句だけで話を進めることが出来た。
そこで何らかのイベントが発生する。帰りにケーキを食べに行く、でも飲み会が開催される、でも構わない。

そうしたイベントにおいて、私たちは徐々に自分自身をひけらかしていく。
互いが互いを知ったつもりになって、それぞれのプライベートを侵略していくのだ。
そうして得られた情報は関係が持たれている以上常に保存され、いつ何時でも活用される。

今、この場には流れが存在していない。

幾つもの理由が考えられた。まだ出会って間もないということ。共有した時間が少ないということ。
如何ともし難い年の差、性差。コミュニケーション能力の欠如。本質的に、何を問うべきか、という問題……。
そのどれもが正解であり、だからこそ解きほぐすのに苦心せねばならないのだろう。

143 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:39:22 id:X83vS9yU0
( ^ω^)「あー。懐かしいな、就活……」

(゚、゚トソン「え?」

( ^ω^)「いや、僕もね、やりましたから。もう、七、八年も前になりますけど」

その言葉を聴いた私は――失礼を承知で表現するならば――絶句、した。
彼が現時点で無職であるという事実には疑問の余地が無いだろう。
ハインの証言にせよ、薬の作用にせよ、真っ当な生活を送れているとはとても思えない。

しかし、だからといって最初からそのような状態であったというわけではないのだ。
考えてみれば当然の話であり、高々その程度の話で驚愕する自分を恥ずべきでもあろう。
むしろ、そうした過去があるからこそ、彼の存在は一層、説得力を増しているのではないだろうか。

( ^ω^)「どうか、しましたか?」

(゚、゚トソン「ああ、いえ、違うんです……」

( ^ω^)「意外でした? 僕が、働いてたって……」

(゚、゚トソン「……」

( ^ω^)「僕も、今となっては随分意外だなって、思うんですよ。
      あの頃はまだ両親もいましたし、僕にも働くべき理由みたいなものがあったんでしょうね。
      二年か、三年ぐらい働きましたよ……金融機関で。大変だったな……」

(゚、゚トソン「あ……」

( ^ω^)「はい?」

(゚、゚トソン「私の父も……銀行員なんです。私の、地元で、働いていて……」

144 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:40:35 id:X83vS9yU0
私は父のことをよく知らない。たまに顔を合わせたら恐縮してしまうほどに。
だからこの話を広げることは出来ない。会話の糸口として、とても正解とは言えないだろう。

それでも、私は内藤氏との共通性を見出せたような気がして嬉しくさえあった。
流れるような人付き合いに必要なのは、より多く共通項を発見することである。
ただそれだけで人間関係が円滑になる場面を、私は何度か目撃している。

ただ、内藤氏という『変人』を相手にして、それで構わないのだろうか、という忸怩たる思いも無くはなかった。

( ^ω^)「あー……そうなんですね。弱ったな、当時のことは殆ど覚えてないから……」

(゚、゚トソン「いえ、いいんです。私も、父の仕事をあまり知らなくて」

( ^ω^)「……じゃあ、別に親御さんと同じ仕事に、とかも無いんですね」

(゚、゚トソン「ああはい、そういうのは、全然……」

( ^ω^)「都村さんは、何かやりたいことって、あるんですか?」

内藤氏の何気ない一言は真っ直ぐに私の心へ突き刺さった。
それは直球でありながらも不意打ちであると言える。
まさか内藤氏からそのような……いわば社会的な発言が飛び出すとは思ってもみなかったからだ。

145 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:42:02 id:X83vS9yU0
この一週間、自問自答を繰り返した題材。『したいことは?』
最早盛岡氏の真似をして笑いながら言ってしまいたくなる。そんなもの、ないです、と。
それでも近いうちに私は自分の意思を虚飾せねばならないし、し続けなければならない。

(゚、゚トソン「……ないんです、よ」

その言葉を吐いた私はどんな顔をしていただろう。
筋書きを棒読みする出来の悪い演者だったろうか。それとも、真意を横溢させられただろうか。

最早全世界に知らしめてしまいたい。したいことなど何もない。だからもう訊かないでほしい。
貴方が悪いわけではない。むしろ内藤氏だからこそ、『変人』にだからこそ告げられることもある。

だが、いずれ私は、社会を相手取って同じ懺悔を繰り返さなければならない。
だから、どうか、今はまだ訊かないでほしい。

( ^ω^)「……ハインさんに、聴いたんですけど」

( ^ω^)「都村さんは、小説を書くのが趣味だと」

(゚、゚トソン「あ……はい。そう、です」

(゚、゚トソン「すいません」

( ^ω^)「……どうして謝るんですか?」

(゚、゚トソン「何だか、その、ハインが私のことを色々喋ってるみたいで……。
     いや、内藤さんに知って欲しくなかったというわけではないんです。
     ただ、何だか、とても……恥ずかしくて、申し訳ないような気がして……」

146 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:43:27 id:X83vS9yU0
私にありがちな思考回路を働かせるなら、こういう結論に辿りつくだろう。
すなわち、相手を知ろうとするならば、自分自身をさらけ出すことも覚悟せねばならない、と。
相変わらず私は、六十点程度の解答用紙を提出するのが得意なようだ。

時々、私は自意識過剰である。
自分自身を他人に知られ、そして他人の記憶を埋めてしまっていることが無性に後ろめたく思える。
感覚としては羞恥心に近いのだろうか。相手の記憶の中にいる自分は、どうしようもなく無防備なのだ。

いわれのない被害妄想を弁護しようとする私に、内藤氏は、

( ^ω^)「いえ、そんなことないです。というか、むしろ逆で……」

( ^ω^)「都村さんが小説を書くような人だから、会ってみようと思ったんですよ」

と、やや陽気な調子で言った。

(゚、゚トソン「え……?」

そこで内藤氏が口にした言葉は、私の予想の斜め上を行くものだった。

( ^ω^)「僕も書いていましたから……小説。小学生の頃から、十年ぐらい」

147 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:44:24 id:X83vS9yU0
(゚、゚トソン「小説……ですか?」

( ^ω^)「そうです。もっとも、もう随分前に書くのを止めてしまいましたが……」

私はあらためて内藤氏を繁々と眺めてみた。
瞬きをするだけで消失してしまいそうなほど曖昧な存在感。
幼げな風貌、それに似合わない、生気を失った表情……。

なるほど、確かに、作家という肩書きが似合いそうではある。

(゚、゚トソン「でも、やめてしまったんですね……」

( ^ω^)「ええ。まあ、それ以前に今は物事に集中出来ませんので、
      パソコンの前でキーボードを叩き続けるのも、苦痛にしか感じられないでしょうけど……」

何故、やめたんですか?
そう問いかける前に、内藤氏が矢継ぎ早に言葉を発した。

( ^ω^)「都村さんは」

( ^ω^)「どうして、小説を書くんですか?」

148 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:45:23 id:X83vS9yU0
ふとした瞬間に足を踏み入れることになる思考の奈落。
『何故、私は、小説を書くのか?』という疑問はまさにそれに値していると言えるだろう。
私は深く考え込んだ。不自然なまでの沈黙が私たちの間を支配してもなお、考え続けた。

例えばそれは、そこに漫画が落ちていたから試しに読んでみよう、
というような一種の受動的感覚なのだろうか。煙草があるから吸ってみよう。
お酒があるから飲んでみよう。そんな、即発のような感情の結果に過ぎないのだろうか。

しかし、それにしては私の小説を書くという趣味は長続きしているような気がする。
空白期間は幾つもあれど、私は何とはなしに小説を書いていたし、今もいずれ書くだろうと予期している。

それは、何故なのか。

( ^ω^)「……あー、ごめんなさい。そんなに悩ませようと思ったわけではないんです」

流石に時間の経過を気にしたのか、内藤氏が取り繕う言葉をかけてくれる。

( ^ω^)「ただ、小説を書くっていう好きなことがあるなら、それを目指してもいいんじゃないかなって」

(゚、゚トソン「それは」

(゚、゚トソン「小説家を目指すということですか……?」

( ^ω^)「はい」

私は、今度こそ、息を吐くように笑うのを耐えられなかった。

149 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:46:07 id:X83vS9yU0
(゚、゚トソン「私、そんな、そんな大変なことが出来るような人間では、ないんですよ。
     いや本当に、そうなんです。小説家というか、そういう方達の書く作品って、すごいじゃないですか」

(゚、゚トソン「確かに私は多少そういう趣味を持ってますけど、それはあくまで趣味の範囲で。
     高校や大学にたまたま小説を書くサークルがあったから入りましたけど、
     そうでもなければ書くのを止めてしまう程度の、意志しかありませんでしたから……」

私は何を喋っているのだろう、と頭の隅の私が警鐘を鳴らす。
それ以前に、質問をしに来た私が何故苦心して回答しているのだろうか。
とにかく私は、内藤氏に自分の『程度』とでも言えるものを伝えなければならないと思った。

それが、やけに困難だった。

(゚、゚トソン「私が就職活動をしてるのは、何と言うか、私自身が、そういうレベルなんだなって、
     思うからなんです。色々な、してみたい物事に、手が届かないと、気付いているんです。
     いや、それに、仕事をしながらでも小説は書けますし、まずは、生活の、基盤を……」

自らの無能を語ることは、快楽にも似た愉悦を得られるのではないだろうか。
私はただ頷いて聴いてくれる内藤氏を前にしてひたすら自分を紹介していた。

他人の記憶の中で自分が貶められるのは我慢ならずとも、
自分で自分を貶める分には何の躊躇いも必要無いのだ。

( ^ω^)「……都村さん」

(゚、゚トソン「……な」

(゚、゚トソン「なんですか」

( ^ω^)「落ち着きましょう。紅茶、飲みましょう」

150 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:47:16 id:X83vS9yU0
二週間近く前にハインと講義中に会話していたのをふいに思い出す。
周りが見えなくなってしまうのは私の悪癖だ。
客観的に見て、私よりも内藤氏のほうが遙かに正常人だろう。

(゚、゚トソン「すいません……何だか、自分でもよく分からなくて」

( ^ω^)「そういうものだと思いますよ。僕も、そうでしたから」

( ^ω^)「……」

( ^ω^)「都村さん。才能って、何だと思いますか?」

唐突で抽象的な問いだった。
まさか内藤氏が自己啓発本のような方法で私を前向きに正そうとはするまい。
抽象的な質問は質問者の手によって幾らでも答えをねじ曲げられる。故に厄介だ。

( ^ω^)「僕は、こう思うんです。
      なんていうか……能力の一覧を棒グラフにしたものが横に、
      ほとんど無限にズラッと並んでいるんじゃないかなって」

( ^ω^)「そこには例えば……野球が出来る能力とか、曲を作れる能力とか、
      そんな大したものではなくても、こぼさずにカップを運べる能力とかも、あると思うんですよ。
      人によってその能力値は様々で、グラフも不規則に波打ってるんじゃないでしょうか」

( ^ω^)「そして、人々の平均値から抜きん出ている能力を、才能と呼ぶのではないかと」

152 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:49:22 id:X83vS9yU0
(゚、゚トソン「……はい」

( ^ω^)「僕はあなたの小説を読んだことがありません。
      だから何とも言えないのですが、能力が無限にある以上、才能も存在しているのではないかと」

( ^ω^)「ただ、僕の経験からはっきり言えるのは、僕自身には小説を書く才能が無かった、ということです」

(゚、゚トソン「……どうして、そんなことが言えるんですか?」

( ^ω^)「……どうしてでしょう? 満足できなかったからでしょうか。
      自分の伝えたいことを文字を通して伝えるというのが、
      どうにもまどろっこしかったのではないでしょうか」

頭が痛くなるほど自意識に充ち満ちた主張だ。
人によっては一笑に付すだろうし、私も正直なところ諸手を挙げて賛同したくは無い。

しかし、彼の言葉には私と通底している部分がある。
程度の差はあれ、彼も私も、自分自身にある一線を境に見切りをつけているのだ。
そう思うと変に同意出来ると同時に少し底意地の悪い質問をしてみたくもなる。

(゚、゚トソン「では、内藤さんにはどのような才能があったんですか?」

( ^ω^)「僕は……」

そう言って内藤氏はおもむろにコートの左袖を捲り始めた。

後悔すら浮かばぬほど、突然に。
私は彼がコートを脱がない理由を、寒さ以外で見つけることになった。

( ^ω^)「僕には、自分の手首を傷つける、という才能がありました」

リストカット、などと呼べるほど生易しいものでは無い。
それは巨大な傷痕となって、まるで趣味の悪いブレスレットのように手首を一周していたのだ。

153 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:51:05 id:X83vS9yU0
内藤氏の主張と整合性を取るなら、そこまで出来るからこそ、才能だと言える。
また、そうした自傷行為でさえも能力の一つであると、言えるのだろう。

その傷は非常に歪だった。今までに見たことがない類いの、どす赤いリングだった。

(゚、゚トソン「切ったんですか、それ」

( ^ω^)「切れ味の悪い刃物だと、まず深く傷つけるのが非常に難しいんです。
      ですから、切るというよりは突き立てるんですよ。
      こう、輪になるように刺していったんです。右手で。だから、ちょっと変な傷痕に……」

(゚、゚トソン「……痛そう、ですね」

( ^ω^)「痛かったです。何だか、左手を動かすための神経も少し途絶えたらしくて」

( ^ω^)「今もまだ、あまり上手く動かせないんです。
      もっとも、左手が利かなくても何とかやっていけるものですけれど」

(゚、゚トソン「死なない、ものなんですか。それだけ、しても」

( ^ω^)「僕はそれをしたあと、残った右手で電話をしたんです」

( ^ω^)「119番に」

(゚、゚トソン「……自分で、ですか?」

( ^ω^)「僕には、死ぬ才能が無いものですから」

154 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:52:38 id:X83vS9yU0
救急車をタクシー代わりに使う、などという、はた迷惑なニュース記事を読んだことがあるが、
この場合はそれに近しいのだろうか。目の前の内藤氏はどのような顔をして救急車を呼んだのだろう。
やはり痛切に叫んだのだろうか。或いは、淡々と、今と同じようにしていたのだろうか。

( ^ω^)「ただ、どうも、本当に死ぬ才能が無かったらしくて……。
      お医者さんが仰るには、普通だったら失血死していても不思議では無い傷だったと。
      ただ、私の腕は若さに似合わず枯れ木のようで、出血量が少なかったから助かったと」

( ^ω^)「本当かどうかは分からないですが、ともかく幾つかの手術を経て、生き存えたわけです」

(゚、゚トソン「……自分で救急車を呼んだのは、自分の死ぬ才能を予知していたんですか?」

( ^ω^)「というよりは……」

( ^ω^)「死にたくなかったけれど、周りに誰もいなかった……んですね」

一連の会話の間、内藤氏は口の動き以外に表情を殆ど動かさない。
貼り付けたような笑顔に、まるで青春時代を懐かしむような口調で、痛々しい病歴を語った。
そしてそうした『変人』たり得る経験談こそ、私が本当に求めていたものなのである。

ものだった、はずなのだ。

にも関わらず、この満腹感は何だろうか。
飽きたわけでは無い。確かに興味深い体験談であることも分かる。

それでも、もう十分だった。

私は彼の生き様に何らかの文句をつけたいのかもしれない。
しかし一切は過去の出来事であり、
現在の内藤氏は既に『そのような人間』として出来上がってしまっているのだ。

私は、ハインやデレに時折抱く、他人の人生に対する無力感を彼にも覚えているのかもしれない。

155 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:55:12 id:X83vS9yU0
( ^ω^)「今思えば……あの頃が僕の絶頂期でした。はは。
      Youtubeにアップロードした動画も反響を得ましたしね。
      すぐに消されましたけど。流石にグロテスクすぎたようです」

( ^ω^)「後々、なんだか晒されてしまったときも、一番人気の動画でした」

( ^ω^)「今も、どこかにあるのかもしれないです……」

(゚、゚トソン「内藤さん」

( ^ω^)「はい?」

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「コーヒー、飲みましょう」

(゚、゚トソン「私も、紅茶、飲みますから……」

言うべき言葉が見つからないとき、とりあえず現状を乗り越えようと努力してみる。
場合によってはそれが過剰に持て囃される場合もあるが、
その後に残る虚脱を相手にして、私などに何が出来るというのだろう。

冷え始めた紅茶に無駄に長い時間口をつけたまま、私は思考を巡らせる。

たった二回。電話を含めてさえ三回のコミュニケーションでしか無いのに、
私たちは不必要なまでに互いを暴露し合ってしまったのではないだろうか。

内藤氏は『変人』だ。だから彼が自己顕示欲に溢れているのは分からなくもない。
片や、私もまた小説という創作趣味を持っているから表現への意欲は旺盛なのだろう。
あまつさえ私は就職活動という不慣れな行為によって心身ともに疲弊している。隙がある、といえる。

それでも、ちょうど今のように、理由が納得の種にならない場合もある。

156 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:57:23 id:X83vS9yU0
( ^ω^)「……ごめんなさい」

(゚、゚トソン「え?」

( ^ω^)「僕は、無駄に喋りすぎてしまう癖があって、それは自覚してるんですけど」

( ^ω^)「時々、というか殆どの場合、その衝動を抑えられないんです」

( ^ω^)「今もまた、貴方のような若い女の人にグロテスクなものを見せつけてしまいました」

そういう内藤氏の左袖は、いつの間にか元通りになっていた。

(゚、゚トソン「……いえ、傷痕の、なんというか、様子、は、いいんです……。
     ただそれがもう消えない、取り返しのつかないものだと考えると少し……嫌ですけど」

( ^ω^)「……僕が、精神障害者の……手帳、持ってるって、知ってますか?」

(゚、゚トソン「はい、ハインに……」

( ^ω^)「……僕には、そういう、傍から見れば自殺まがいのことを繰り返す才能もあったらしくて」

( ^ω^)「本当に、ごめんなさい……」

その謝意は本物なのだろう。ただ表情がついてこないだけなのだ。
私はそうやって自分自身を納得させる。彼の湛える微笑みを見ながら、納得させる。
彼が何に対して謝罪しているのかさえ判然としなかったが、それでも私は納得せねばならなかった。

それ以外に、何ができる?

157 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 00:59:46 id:X83vS9yU0
私はふと壁にかけてある時計に目を向けた。
夕刻に迫る時間。この後、家に帰ってデレの愚痴に付き合わなければならない。
……何と濃密な一日だろう。普段何もしていないツケが回ってきたのだろうか。

( ^ω^)「都村さん……帰りますか?」

(゚、゚トソン「え、あ……」

内藤氏が幾分寂しそうに見えるのは、私の主観でしかないのだろうか。
私は割と本気で悩んでいた。まだデレとの約束までには時間がある。
しかしこの場から逃れてしまいたいのも事実だった。同時に、逃れたくないと思っていることも。

(゚、゚トソン「内藤さん……一つ、教えて下さい」

( ^ω^)「なんです?」

(゚、゚トソン「さっきの才能の話ですけど……私は、結局のところ、小説を諦めた方が良いのでしょうか?」

訊いたところでどうしようもない質問だった。
しかしそれを訊かざるを得ないほどどうしようもない状況なのだ。
案の定内藤氏は押し黙った。それからすぅ、と深く息を吸い込んだ。

( ^ω^)「……僕は、あまり嘘をつきたくないんです。
      それ以前に僕には才能を見抜く才能はありませんから、貴方の才能も見抜けません」

( ^ω^)「それでも構わないなら」

( ^ω^)「今度……小説を、読ませて下さい。そうしたら、少しだけ、何か言えるかもしれません」

158 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 01:00:43 id:X83vS9yU0
(゚、゚トソン「……」

私は、唖然としてしばらく内藤氏の顔を見つめてしまっていた。
その言葉は、まさに、正論であった。だから答えを返しようもない。
確かにその通りだ。現時点で内藤氏が私の才能の有無について言及できるわけがない。

例え些少であるにせよ、内藤氏は私に可能性を抱いているのだろう。

(゚、゚トソン「……わかりました」

内藤氏は『変人』である。傷痕は最早取り返しがつかない。
ならば、私に出来ることなど何もない。何もないなら、開き直ることも必要だ。
彼が私に才能が無いと断言するであろうことを覚悟してでも、私は小説を読んでもらうべきなのだ。

(゚、゚トソン「それでは、私も、二つ、お願いしていいですか」

( ^ω^)「は……なんですか?」

(゚、゚トソン「まず……敬語、じゃなくていいんですよ。
     内藤さん、私より随分年上ですし……」

( ^ω^)「あ……そうですね。言われてみたら、そうなんですよね……」

( ^ω^)「分かりました……また頑張ります、イメトレ」

159 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 01:02:00 id:X83vS9yU0
(゚、゚トソン「もう一つは……次に会う日なんですけど」

( ^ω^)「あ、はい」

( ^ω^)「あ、僕は……いつでも大丈夫ですよ……は、は」

(゚、゚トソン「では、水曜日の午後でも構わないですか」

( ^ω^)「次の、ですか?」

(゚、゚トソン「はい……試験期間の関係で、その」

( ^ω^)「わかりました……いや、わかった、ですね」

私は、内藤氏から撤退する権利を有している。
ただ二回、同じ喫茶店で同席しただけの関係、で済ませられるのだ。
しかし何故そうならないのか。或いは何故そう考えられないのか。

その答えを見出すためにも、私はまだ内藤氏から離れるわけにはいかない。
それは『変人』として彼を呼び出した私の義務であり、意志でもある。
今までに感じたことのない何かが得られるならば、それは立派な体験と言えるだろう。

160 名前:名も無きAAのようです:2013/02/01(金) 01:04:21 id:X83vS9yU0
愉快、だ。

何だか今私は途轍もない充足感を覚えている。
それは直前に感じていた鬱屈を吹き飛ばし、今や異様なまでの昂揚を心に与えている。
何故だろう。内藤氏に小説を読んでもらえるからだろうか。現状を乗り切ったからだろうか。

分からない。分からないが、私はとても嬉しい。

奇妙だ。頭の中でファンファーレが鳴り響いているような具合。
これから何かが始まるような。つまり、今まで続いていた何かが終わるような。
胸が、キリキリと、痛みを伴わずに軋んでいる。これは、何なのだろう。

内藤氏という存在に近づけたのが、そんなに嬉しいのか?

私がもう少し幼かったならこれを恋心か何かだと解釈して自認していたことだろう。
しかし目の前の内藤氏が視界から消えてもなお、この昂揚が失せないことを私は確信している。

(゚、゚トソン「あ」

( ^ω^)「お?」

私が突如発したやや大きな声に、内藤氏は今日初めて口癖を用いた。

(゚、゚トソン「忘れてました。この前のお釣り……お返しします」

( ^ω^)「ああ……いや、別に、いいのに……」

(゚、゚トソン「いえ……それでは、私はお先に、失礼します」

二百円を手渡して私は『浪漫S区』を出た。
やはりまだ、何かが、胸や、頭や、つまり心とやらが在りそうな場所で沸き立っている。
その中で私は一つの言葉を見出した。

私は、生きている、と。

私は、都村トソン。彼は、内藤ホライゾン。
私は、まだ、彼から、手を、引かない。



6.引かない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/07 16:14:08

7jigendaddyjigendaddy   7.明けない

164 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:22:34 id:vVsfI4ms0
7.明けない

私は、たぶんお酒には強い方であると思う。

そもそも所属しているゼミやサークルでお酒を飲む機会があったとしても、
その性質からして飲酒を無理強いされることはないし、一貫してソフトドリンクでも勿論構わない。
周りを見ても大抵は一、二杯飲む程度の女性ばかりだし、うわばみ、というものも見たことがない。

今、目の前でくだを巻いているデレを除いては。

(゚、゚トソン「……デレ。いつもいつも、たくさんお酒を買ってきてくれるのはありがたいのですが」

ζ(゚ー゚*ζ「んー?」

デレと知り合うことが無ければ、私もさして酒飲みにはならず、
アルコールに対する耐性もつかなかっただろう。
人間関係というのは、時として食生活にすら干渉する場合があるらしい。

(゚、゚トソン「いつもいつも、言っているのですが、何故、ビールばかりなのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「そんなことないよ……アサヒスーパードライ、サッポロ黒ラベル、サントリープレミアムモルツ……」

(゚、゚トソン「全部、ビールです」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

ζ(゚ー゚*ζ「ハイネケン」

(゚、゚トソン「ビールです」

ζ(゚ー゚*ζ「なーぁ。そんなことないよぉ。私が本当に好きなのは琥珀エビスだから」

(゚、゚トソン「それもビールです……」

165 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:24:15 id:vVsfI4ms0
ドアを開けるなり倒れ込むようにして私の部屋に入ってきたデレは、
両手に抱えきれない量のビール缶と酒の肴を持っていた。

デレがどんな気持ちでこれを購ったのか、また幾らかかったのか。
そしてそのお金がどこから出てきたのか、考えたくはなかった。
しかし今日のささやかな飲み会はそれを聞かされるための飲み会である。

大量のアルコールを酸素として吐き出された二酸化炭素のような愚痴は、留まるところを知らない。

おおよその粗筋はすでに聞かされてしまった後だ。
今回のデレの恋愛対象は三歳年下の、早生まれの十八歳であったらしい。
大学に入学して一年にも満たない彼に対し、デレはいつものように貢いで貢いで貢いだらしかった。

まるで行き遅れのOLが新入社員を捕まえようと必死になるかのように。

それから何だかんだあって――その何だかんだが長ったらしいのだが――彼から正式に告知されたらしい。
「俺、デレ先輩と付き合うつもりはありませんから」と。
つまり、今回の相手とはまだ付き合ってすらいなかったらしい。

ζ(゚ー゚*ζ「結局ね……思うんだ」

デレは五本目ぐらいのビールを一気に呷って、呟く。

ζ(゚ー゚*ζ「何かこう、やっぱり私は、間違ってるんじゃないのかって」

アルコールは胃である程度消化されるために水よりも多量に飲めるという話を聞いたことがある。
もし本当なら、人間は自分の身体をもう少し大事に扱うべきだ。

166 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:25:33 id:vVsfI4ms0
デレの語り口は既にマシンガンから単発式の銃器に切り替わっている。
吹き荒れて去っていった嵐の後に残る、穏やかながらも熱を帯びた風。
何となく気持ちの遣り場に困る時間でもある。愚痴の波濤に身を任せることが出来ないからだ。

(゚、゚トソン「……間違ってるとは、思いますけど」

ζ(゚ー゚*ζ「それにしても、相変わらず片付いてる部屋だよね、トソンの家」

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「何も無いだけですよ……」

デレはにへら、と笑って缶を転がす。
私の部屋には本当に物が少ない。衣服の類いはクローゼットにしまわれているし、
幾つかの文庫本とノートパソコン、それに些末な生活必需品を除けば、本当に何も無いのだ。

だからデレがやってきて床に好き放題に缶を散らしたりしていると、
別に嫌悪感は覚えないのだが、何とはなしに違和感がある。
普段見えていない側面を見ているような感じ。自分の部屋であることには間違いないのだが。

ζ(゚ー゚*ζ「いいよね、トソンは」

(゚、゚トソン「何がです?」

ζ(゚ー゚*ζ「んーん、別にぃ」

167 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:26:50 id:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「試験どう? ヤバいかな、私」

(゚、゚トソン「……デレはいつもそう言ってますけど、結局単位は取れてるじゃないですか」

ζ(゚ー゚*ζ「まー、大学生の口癖みたいなものだよね」

(゚、゚トソン「今期は……発達心理学だけ、気を付けていればいいんじゃないですか?
     確か、試験は記述式だったはずですから……」

ζ(゚ー゚*ζ「あー、私あのオバさん嫌い。イヤミなんだもん。
       絶対男とか出来ないタイプだよ、あれは」

(゚、゚トソン「……」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

ζ(゚ー゚*ζ「何さ」

(゚、゚トソン「いえ……」

よくよく考えれば、学期の最後になって講義の担当教授の愚痴が話題にあがるというのもおかしな話だ。
そういう話題は最初の方に消化され、後は延々と繰り返されるのが普通であるはずなのに。

つまり、デレとは普段そのような会話をしないということなのだ。
それ以前に、彼女と『普通の話』に華を咲かせることがあるだろうか?
彼女が恋に破れたとき以外に、私は彼女と会話を弾ませるだろうか?

私たちは常日頃、それぞれ別々のグループに所属しているような気がする。
同じゼミとはいえ一枚岩ではない。数人のグループによる複合体なのだ。
付き合い自体は長いと言っても、友人関係と呼べるほどに私たちは会話しているのだろうか?

それでも、彼女は私に遠慮が無いし私も遠慮しない。そういう関係なのだ。

168 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:28:18 id:vVsfI4ms0
納得はしつつも、やはり、どうしてもデレが失恋の際に常に私を頼る理由が今もって分からない。
彼女との『慰め会』は私たち二人きりで行われるのが鉄則であるし、
彼女は私に他人へその経緯を話さないようにと望んでいる。

単純に、私の部屋なら自由に使えるから、というのも考えられるのだが……。

ζ(゚ー゚*ζ「やっぱ勉強とかした方がいいかなぁー。全部レポートになればいいのになあ」

(゚、゚トソン「……それはそれで面倒そうですけど」

ζ(゚ー゚*ζ「えー、絶対その方が楽だって」

私は、まだ聞き出せていない。
デレが何故私を頼るのか。何故愚痴の相手を常に私に設定しているのか。
それを躊躇するのは、私がまだ心の準備を整えられていないからだろうか。

ただ、この場合の心の準備とは、一体何を意味するのだろう。

ζ(゚ー゚*ζ「あー、そうだ、思い出した」

(゚、゚トソン「はい?」

ζ(゚ー゚*ζ「履歴書! エントリーシート! 自己PR!
       見せ合おう、そしてお互いを高め合おう!」

(゚、゚トソン「デレ」

ζ(゚ー゚*ζ「なに?」

(゚、゚トソン「何故その言葉と同時にお酒の缶を開けるのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

169 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:29:53 id:vVsfI4ms0
彼女はビール缶に押しつぶされて袋の底に沈んでいたと思われる、
しわくちゃになった履歴書を取り出して、私に突きつけた。

ζ(゚ー゚*ζ「読んで。私も、トソンの、読むから」

(゚、゚トソン「……」

私は午前中に持てあました履歴書を彼女に手渡す。
自分自身の履歴を他人に見せびらかすのは恥ずかしいものなのではないかと予想していたが、
実際に渡して彼女が読んでいる姿を眺めてもさしたる照れくささは感じない。

やはり、自分自身を書いていないからだろうか。

(゚、゚トソン「……」

私は私で、デレの履歴書に目を通す。
そこに浮かび上がっていたのは至極真っ当な女子大生のプロフィールだった。

彼女は恋愛という巨大な核を持ちながらも、それを保つためにあらゆる経験をしている。
アルバイトにせよ、ゼミにせよ、様々なコミュニケーションにせよ、
恋愛そのものを押し隠してでも彼女には履歴書に載せられるような内容が溢れているのだ。

それ自体は素直に羨ましい。誰も彼女の書き上げた履歴に疑問を抱かないだろう。
……彼女と同じ道を歩みたいかと問われれば、即座に否定するのも、事実だが。

170 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:31:49 id:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「どう? どう?」

(゚、゚トソン「良いと思いますけど……インパクトに欠けている気はします。
     何と言うか、普通……なんです。悪いことでは無いですけど、目立たないのではないかと」

ζ(゚ー゚*ζ「あー……やっぱり? 行儀良すぎるかなーとは自分でも思ったんだけどね」

ζ(゚ー゚*ζ「やっぱり茶色に戻そうかな」

(゚、゚トソン「……髪の話ではないです」

だが、確かに彼女の言うとおり、デレの黒髪はどうにも異様に見えてしまう。
生まれた時にはそういう髪色であったのだということを理解していてさえ、
デレのような人物は茶髪であるべきなのではないかと思ってしまうのだ。

(゚、゚トソン「私の履歴書は……どうでしたか?」

何気ない風を装って放った質問に、デレは随分と考え込んだ。
「んー」とか「あー」などと呻いた後に彼女は、

ζ(゚ー゚*ζ「何だか、トソンじゃないみたい」

という回答を導き出した。

173 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:33:39 id:vVsfI4ms0
(゚、゚トソン「……」

ζ(゚ー゚*ζ「いや、何て言ったらいいかわかんないんだけどさ。
       ここに書いてあることはすごく常識的だし、それでいいと思うんだよ。
       でもそれがトソンなのかって考えると、どうなんだろってなるよね」

ζ(゚ー゚*ζ「自己PRなのに自己をPRしてない感じ?」

……デレは私の小説を読んだことがない。
出会って間もない頃、私は他の人にするのと同じように自らの趣味が物書きだと披露したのだが、
その際に彼女は悪びれる風もなく、

ζ(゚ー゚*ζ「あー、私、小説読むの苦手なんだよね」

と言った。

ζ(゚ー゚*ζ「ほら、作者の気持ちとか考えるの嫌いなんだよ。
       大体、好きな相手の気持ちも分からないのに、
       まったくの他人の気持ちなんて分かるわけないじゃん」

……当時はまだ彼女が恋愛に執心する人間であると言うことを知らなかった。
彼女の言葉には同感だった。きっと彼女には教科書以外で小説に触れる機会がなかったのだろうし、
そうであるならば小説イコール作者の気持ちを考えたり文脈を正しく捉えるもの、と見てしまうのも仕方ない。

彼女は自覚しているとおり、よく他人の気持ちを取り違える。
特に男性に対しては顕著だ。正確に読み取れないが故に、彼女はよく同じ失敗を繰り返す。
しかし時々、私は彼女がわざとそのような振る舞いをしているのではないかと思うことがある。

例えば、今のように。彼女は無意識に、的を射るのだ。

174 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:35:34 id:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「まあ、言うだけなら楽なんだけどねー。
       私も自己PRの正しいやり方なんて分からないし」

(゚、゚トソン「そう、ですね……」

無論六本目のビールを空にしかけているデレの言葉を真に受ける義理はない。
しかし彼女の言は紛れも無く弱点を突いたものであるし、そうなると些か考え直さねばならない。
企業が彼女と同じようなことを考えないとは言い切れないのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「というか」

七本目の缶が開けられて泡を吹く。

ζ(゚ー゚*ζ「どうして小説のこと書かないの?」

(゚、゚トソン「どうしてって……」

つまるところ企業が望んでいるのは小説を書くことではなく、
人と洒脱な会話を繰り広げたりリーダーシップを発揮したことなのであり、
そういった経験とは縁遠い私の履歴書が薄っぺらになってしまうのは仕方ないのかもしれない。

しかし私は、これからそういった履歴書を欲するような社会に進出するのだ。
と言って、私にとって小説とはデレにとっての恋愛ほどの核なのだろうか。

『何故小説を書くのか……』。
その問いの答えは、小説が私の中でどれほどの存在感を放っているかによって変わるのではないか。

175 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:36:42 id:vVsfI4ms0
(゚、゚トソン「いいですね、デレは……」

ζ(゚ー゚*ζ「なにがー?」

(゚、゚トソン「いえ……でも例えば、デレだって履歴書に恋愛経験は書かないでしょう?」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

ζ(゚ー゚*ζ「あはー。そりゃそっかー。そだよねえ」

意識が混濁し始めたのか、デレは床に転がってまるで猫のように身体をよじらせる。
それを見ながら、私のお酒は今何本目だろうか、と考える。
デレよりは少ない気がする。が、それでも結構な酒量であることは間違いない。

昼間に感じた昂揚は、もうどこかに消えてしまっている。
あれはいったい何だったのだろう。生存に対する確信、それでいて、私が私ではないような錯覚……。
答えなど得られず、延々と自分を誤魔化し続けられるのなら、それはそれで構わないのだが。

ζ(゚ー゚*ζ「あー、どうしよっかな、次」

(゚、゚トソン「次?」

ζ(゚ー゚*ζ「私ぐらいになるとね、わかるんだよ。自分が次に誰を、好きになるか」

176 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:38:48 id:vVsfI4ms0
(゚、゚トソン「……また、同じことを繰り返すんですか」

ζ(゚ー゚*ζ「そっかもね。いや、もしかしたら今度こそ……みたいな」

ζ(゚ー゚*ζ「無いかなー」

くぁ、と欠伸するデレを見てつくづく思う。
彼女は、失敗を引きずらないのだろうか。すぐに次へ切り替えられるのは何故だろう。
この『慰め会』はそんなにも彼女のストレスを発散できているのだろうか。

(゚、゚トソン「……いいですね、デレは」

ζ(゚ー゚*ζ「二回目だよ、トソン」

(゚、゚トソン「デレは、いつも、そうやって恋愛に対して前向きでいられますよね。
     私は、そういうのに興味が無いですから……わからないのですが。
     でもそれって、凄く、エネルギーの必要なことだと思うのです」

(゚、゚トソン「それを続けられるって、単純に、すごいなって……」

彼女はこれからも誰かを恋い慕い続けるのだろうか。
社会に出てどこかの企業で働きながら、失敗のための失敗を繰り返すのか。
それとも、たった一度の大当たりに賭けているのだろうか。

ζ(゚ー゚*ζ「んー」

彼女は口角を吊り上げてまるで作り笑いのような表情をした。

ζ(゚ー゚*ζ「トソンはねえ、根本的な、勘違いをしてると思うなあ」

177 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:40:59 id:vVsfI4ms0
(゚、゚トソン「勘違い……ですか」

ζ(゚ー゚*ζ「そだよ。それじゃまるで、私が恋愛したくて恋愛してるみたいじゃん」

(゚、゚トソン「……違うんですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「違う違う。だってしんどいじゃん。消えていくお金を稼ぐのって。
       脈の無い相手に恋心を持ち続けたりさ。それだけじゃないよ、
       噂なんて勝手に広がるもんだから、周りの女の子にも変に思われてるし」

ζ(゚ー゚*ζ「表面上の付き合いとかフェイスブックだと親しく見えるけど、
       実際はそこまで深く関わりあえない。あの感じだよ、分かるでしょ?」

(゚、゚トソン「ええ……」

ζ(゚ー゚*ζ「私はね、恋愛したくてしてるわけじゃないの。
       恋愛するしか能が無いから恋愛するんだよ。恋愛脳なめんな、ですわ」

アルコールに浸されているはずのデレの言葉が、何故か刺々しく聞こえる。
もしかしたら、デレは、ほんの少し、怒っているのかもしれない。

ζ(゚ー゚*ζ「人にはそれぞれ能力みたいなのがあってさ。
       それに、しがみ付いていないと生きていけない人もいるんだよ。
       私は、そういう人なんだと思う。その能力が高いかどうかはともかく、ね」

179 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:42:31 id:vVsfI4ms0
また『能力』という言葉が出てきた。しかも全く因果関係の無い場所から。
しかし彼女の言い分は内藤氏と似通っているような気もする。
彼女も彼も、結局は自分が持ちえていた能力を使わざるを得ないのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「私のこの才能はさ、中学ぐらいからずっとでね、自分でも変だとは思ってたんだ」

ζ(゚ー゚*ζ「だから心理学科に進めば、自分のその変な感じが分かるのかなって」

ζ(゚ー゚*ζ「でも、今のところ何にも分かってないよね。むしろバイト出来るようになって酷くなってる」

ζ(゚ー゚*ζ「あー、そういえば、遺伝とか、家庭環境がどうって話も聞いたことあるなあ」

ζ(゚ー゚*ζ「私の家は……とっくに父さんと母さんが離婚してて、母さんは再婚しててね」

ζ(゚ー゚*ζ「でも別にそれぐらいかな……。ああ、父さんは、もう死んじゃったって」

ζ(゚ー゚*ζ「……そういうのってやっぱり関係したりしてるのかな?」

ζ(゚ー゚*ζ「ああ、母さんの再婚相手、今の人で三人目だけど、そういうのも……なぁー」

ζ(゚ー゚*ζ「自分の人格を親のせいにするのは二十歳までにしろ、とかいうけど」

ζ(゚ー゚*ζ「実際、二十歳の私と二十一歳の私に何の違いがあるんだろう。そういうのって、流れ、だよねえ」

ζ(゚ー゚*ζ「私、おかしいのかな」

180 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:44:23 id:vVsfI4ms0
お酒のせいか、デレの独白のせいか、私はやや苦しげに息を吐いた。

例えば彼女の『能力』を遺伝のせいにしたとして、それを彼女にどう告げれば良いのか。
DNAに対する悪口が何の役に立つと言うのだろう。ならば、彼女自身が変わるしかあるまい。
しかし変化や成長というものは、口にするほど、或いは物語に仕立てられるほど単純なものなのか。

(゚、゚トソン「……私にはデレの気持ちがよく分かりません。
     それでも、その考え方は、常識と照らし合わせておかしいのではないかと思います」

ζ(゚ー゚*ζ「うん、おかしいよね、絶対」

(゚、゚トソン「ただ……決して、マイナーなおかしさではないとも思うんです。
     恋愛を生き甲斐にしている人は、決して珍しくはないでしょう」

私は訊くべきことを訊くことにした。そのタイミングが、訪れたと思った。

(゚、゚トソン「私よりもデレのことを理解できる人はいると思うんです。
     デレのことを、その、より良い方向に導いてくれる人も……きっと、いるはずです。
     だからこの『慰め会』は……そういう人と、行うべきなのではないかと、思うのですが」

デレはふと起き上がって座り込むと、じっと私を見つめた。

ζ(゚ー゚*ζ「……んー」

(゚、゚トソン「なんですか」

ζ(゚ー゚*ζ「ふふ、やだよ。トソン怒るもん」

(゚、゚トソン「……どういう、意味です?」

181 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:45:47 id:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「あのねー、それには二つ、理由があってねー」

ζ(゚ー゚*ζ「一つはねー、もう、色んな意味で手遅れだよ。さっき言ったじゃん。周りにも知られてるって。
       今更新しい友達を作っても、その人にもすぐ誰かが私のこと教えるだろうし、
       ある程度以上には仲良くなれないよ。なれたとしても、何だか蔑まれてるようで、やだな」

ζ(゚ー゚*ζ「もう一つはねー、これは本当に、トソンと一緒にいてよかったと思えることなんだけどねー」

ζ(゚ー゚*ζ「トソンといるとさ、私の、こんな能力が、まるで才能であるかのように思えてくるんだよね。
       何ていうか、全能感? みたいなやつなのかなあ。
       ああ、私まだ、こんな感じで大丈夫なんだなあって」

デレの猫撫で声を噛み砕くのには少し時間がかかった。
そしてようやく発見した解釈も、正答である自信はまるでなかった。

つまり私は、彼女に、恋愛によって生きると言うある意味で自転車操業のような生き方を許しているのだろうか。
本来ならば怒られて然るべき、或いは止められて然るべき生き方をただただ継続させているのだろうか。
彼女がその『能力』を糧にして生きているという事実をあるがままに受け止めていたのだろうか。

(゚、゚トソン「私は、断罪から逃れていたと言うことですか」

ζ(゚ー゚*ζ「……そういう、難しい言葉は分からないけどね」

182 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:47:56 id:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「私がお母さんを嫌いになれない理由はね、たぶんそういうところにあると思うんだ」

ζ(゚ー゚*ζ「私、何回か言ったことあるんだよ。自分の恋愛体質? みたいなやつのこと」

ζ(゚ー゚*ζ「そしたら毎回同じこと言われるんだ。
       デレももう大人なんだから、自分のことは自分で考えなさいって」

ζ(゚ー゚*ζ「それを聴くたびに思うんだよね。この人、めんどくさいだけなんじゃないかなって」

ζ(゚ー゚*ζ「一応娘である私がこれだけ失敗してるのに、
       何もしないのは、自分のことのほうが楽しくて、それだけで手一杯だからじゃないかなって」

ζ(゚ー゚*ζ「トソンは、それに似てるのかもしれない。もちろん、お母さんより私のことを考えてくれてるよ」

ζ(゚ー゚*ζ「でもね、お母さんと一緒で、私や周りを変えようとは、しないんだ」

ζ(゚ー゚*ζ「私だって変わりたくないしね。そういうところが、好きなんじゃないかなあ……」

確かに私はデレの経験には否定をするものの、彼女の人格自体を貶すことはない。
だが、決して私はデレの行動を容認していない、はずだ。
しかし彼女が私に求めているのは現状を受け入れてもらえる安寧なのだという。

そして私は、デレの望み通りに彼女を変えないでいるのだという。

ζ(゚ー゚*ζ「今はね、私はまだ、今のままで、変なままで、いいと思ってるんだ」

ζ(゚ー゚*ζ「いずれ、年齢的に無理が利かなくなるだろうけど……その時にはどうせ、勝手に変わってるだろうし」

183 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:49:19 id:vVsfI4ms0
恐らく、随分と年をとるまで、私たちは恋愛に年齢は関係ないと断言できるだろう。
流石に老人にもなってしまえば夢は叶わなくなるだろうが、それまでの間、
私たちは十分に、やりたいように、恋を謳歌することができるのかもしれない。

実際、デレの母親が三度も再婚しているのと同じように。

それでいいのだとデレは言う。当人が言うのだから横槍を入れる意味も無い。
しかしネガティヴな私は、どちらかというと悪い未来を想像してしまう。
彼女がいずれ精神的に完膚なきまでに打ちのめされ、捨てられてしまう姿を、描いてしまう。

それでも、それでいいのだと、今のデレは言うだろう。

結果的に、私が抱いている彼女への想いは、表現しなくてよいものだったのだ。
彼女の生き方や、考え方や、そういった人生に根差しているものを変えようとする想いは、
彼女自身にとってはどちらかというと邪魔で、目にするのも嫌な代物であったのだ。

(゚、゚トソン「……そう、ですね」

私は空気のような肯定の言葉を漂わせる。
彼女は変わろうとしない。だから変わらないし、それ以前に恐らく、変われない。
それでも変わらざるを得ないというなら、彼女は変わる努力ぐらいはするだろう。

だからそれまでは、現状を維持したいという、ただそれだけのこと。

ζ(゚ー゚*ζ「まあ、つまり、それだけトソンと一緒にいるのが楽しいってことだよ」

(゚、゚トソン「デレ」

(゚、゚トソン「お酒くさいです」

いつの間にか至近距離に迫っていたデレに私は言う。

184 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:50:39 id:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「まー、失礼な」

デレは機械的な動きで立ち上がるとツカツカとベッドに歩み寄ってそのまま飛び込んだ。

ζ(゚ー゚*ζ「私、今日、ここで、寝るから!」

(゚、゚トソン「……明日、用事はないんですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「ある! けど、ない!」

布団に潜り込み始めるデレを眺めながら私は新しいビールの缶を開ける。
別に私にも用事はない。あるとすればエントリーシートの記入ぐらいだ。
だから、割とどうでもいい。この夜を穏やかに過ごすほうが余程大事だ。

ζ(゚ー゚*ζ「私、タバコ、吸おうかなあ」

(゚、゚トソン「……やめておいたほうがいいですよ。におい、嫌う男性も多いですから」

ζ(゚ー゚*ζ「だよねえ……」

185 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:52:09 id:vVsfI4ms0
私は、私のことを考え始める。
デレの人生に干渉したいと思っていた自分は、彼女自身によって否定されたことになる。
それ自体はどうしようもあるまい。私は彼女に無理強いできる立場ではないし、何よりそうする勇気が無い。

ζ(゚ー゚*ζ「……タトゥーとか、彫るかな」

(゚、゚トソン「……どんな、ですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「恋人の、名前とか……」

(゚、゚トソン「無いですね」

ζ(゚ー゚*ζ「無いよね……」

しかし、私はそれで納得しているのだろうか。
彼女を変えない、変えられないことによって何か取り返しのつかない磨耗を覚えているのではないか。
自己中心的でしかないその想いは、どうしてこんなにも私の中で膨らんでいたのだろう。

ζ(゚ー゚*ζ「パチンコだけはしたくないんだ」

(゚、゚トソン「どうしてですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「昔バイトしてたんだけど、音で死にそうになったから」

(゚、゚トソン「ああ……すごいらしいですね」

ζ(゚ー゚*ζ「うん。時給が高いってことはそれだけ何か理由があるってことなんだよね……」

(゚、゚トソン「……」

ζ(゚ー゚*ζ「でも、好きな男、多いからね……」

186 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:53:55 id:vVsfI4ms0
胸の中で疼く、奇妙な違和感。
デレという他人を相手にしているというよりは、自分自身に失望しているような、感覚。
私にとってデレという存在は、友達以外の何かだったのだろうか。

ζ(゚ー゚*ζ「麻薬なんてどうだろ……」

(゚、゚トソン「高いらしいですよ……」

ζ(゚ー゚*ζ「本当に幻覚とか見えるのかなあ……どんな感じなんだろう……」

もしかしたらそれは、デレ一人だけに抱く感覚ではないのかもしれない。
私は心の中で、他人の一部分を切り取って、アルバムを作っているのではないだろうか。
無数のアルバムが脳内に格納されていて、私は日々その出来栄えを注視しているのだ。

特にデレやハインといった人物のアルバムは、緻密に作り上げようとする。
友人だから? 親友だから? 放っておくことが出来ない存在だから?
そうした他人を優先する心持ちは果たして正しいのだろうか?

私は、彼女たちのことを一割すらも理解していないだろうに。

188 名前:名も無きAAのようです:2013/02/02(土) 22:55:13 id:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「整形しようかな……面倒なんだよね、アイプチ……」

(゚、゚トソン「……さっきから、いったい何の話をしてるんですか?」

私は、私の中を他人で満たすことに快楽を覚えているのかもしれない。
それはまるで透明なガラス瓶にとくとくと色のついた水を注ぎ込むような。
私の口にする忠告は他の誰でもなく、私自身に向けられた忠告、なのだろうか。

ζ(゚ー゚*ζ「結構安く出来るらしいよ……手間もかからないし」

(゚、゚トソン「……そう、ですか」

ζ(゚ー゚*ζ「……ふふ、そう言えば、さっき怒らなかったね」

私の自尊心は他人に文句をつけることによって充たされるようなものなのだろうか。
いや、自尊心とはそういうものなのだろう。人間関係において、自分を認めてもらったり、
或いは自分を論われることによって、ようやく得られる感情なのだ。

私は小説を書く。そしてそれが褒められれば嬉しいし、貶されるにしても、
相手がしっかりと読んでいることが分かれば、それはそれで充足できる。
だから、私は自尊心というものについて人一倍理解していて、なおかつ敏感なはずだ。

にも関わらず、この悪寒にも似た不快感は何なのだろうか。

(゚、゚トソン「……デレ」

ζ(゚ー゚*ζ「私、テロリストになろうかなあ……」

(゚、゚トソン「貴方は、本当に、変わりたくないと思っているのですか?」

明確に自分に突き刺さったその問いに、答えは返ってこなかった。

彼女は、デレ。
彼女と過ごす夜が、明けないような不安を覚える。



7.明けない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/08 09:57:01

8jigendaddyjigendaddy   8.消えない

191 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:36:59 ID:10yWY8Xc0
8.消えない

(゚、゚トソン「ハイン!」

六番会館の一階ホールに私の、やや甲高い声が響いた。

大抵の人が思っているのと同じように、私も自分の声があまり好きではない。
だから大声を出すのは躊躇われるし、出来れば囁き程度の声だけで生きていきたいとも思っている。

それでも、声を高めなければならないときも、ある。

そそくさと会館を後にしようとしたハインがぴたりと立ち止まった。
私は少しずつ歩み寄り、彼女の前へ回り込んだ。

从 ゚∀从「よ、よう」

ハインは相変わらず美しい顔立ちをやや斜めにして、私に目を合わせようとしない。

从 ゚∀从「久しぶり、だな」

(゚、゚トソン「ええ。二週間ぶりですね」

从 ゚∀从「……あー、悪いけど俺、急いでるんだよ。その、バイトでさ」

192 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:38:25 ID:10yWY8Xc0
(゚、゚トソン「分かりました。じゃあ一緒に行きましょう」

私は、たぶん少し怒っている。
彼女がどのようにしてこの場を逃れても決して許さない覚悟があった。
それは臨床心理学の試験の開始寸前に講堂に入ってきたハインを見た、その瞬間に完成したのだ。

故に私は、さっさと解答用紙を埋めて退出可能時刻である終了三十分前に即座に講堂を出たのだ。

(゚、゚トソン「駅まで、行きましょう」

从 ゚∀从「あ、ああ……」

ハインが後ろめたい表情をするのをあまり見たことがない。
あるとすれば、最初に私へ件のアルバイトについて詳らかにしたときだろうか。
ただ、あの時は私自身の衝撃が軽く彼女の表情を上回ってしまった。

从 ゚∀从「……や、悪かったって」

会館を出て駅へと向かう下り坂を二人で歩きながら、ハインは言う。

从 ゚∀从「流石にな、人としてやっていいことと悪いことがあるよな」

(゚、゚トソン「……」

从 ゚∀从「はい、分かりました。もうカンニングペーパーは使いません」

194 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:39:47 ID:10yWY8Xc0
(゚、゚トソン「ハイン」

从 ゚∀从「……はい」

(゚、゚トソン「そんなことは、どうでもいいんです」

(゚、゚トソン「と言うか、わざわざバラされなければ私も知らずに終わりました」

从 ゚∀从「……そう、か」

今の問答ではっきりと分かった事実が一つ、ある。
ハインは私が問い質そうとしていることを理解しているし、そのうえでそれを押し隠そうとしている。
当然といえば当然かもしれない。私だって、同じ姿になれば何とか逃げ切ろうとするだろう。

(゚、゚トソン「……」

ただ、だからといって何も言わずに見過ごすことが、いつ何時でも出来るわけではない。

(゚、゚トソン「ハイン、どうしたんですか」

(゚、゚トソン「その、痣は」

彼女の相変わらず美しい顔の、左頬に。
巨大で、ただ痛々しいだけの青黒い痣がくっきりと浮かんでいるのだ。

195 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:41:14 ID:10yWY8Xc0
从 ゚∀从「……あー」

从 ゚∀从「昨日……こけた」

(゚、゚トソン「どんなアクロバティックなこけかたをしてもそんな傷にはなりません」

私は直感する。それは何者かに殴られたことによって出来た痣だ。
そうでもなければこんなに綺麗な痣など出来まい。しかも、最近殴られたものに違いない。

从 ゚∀从「あー、いや、違うんだよ」

从 ゚∀从「違うんだ、これは……」

ハインは次に続ける言葉を探して視線を宙にもたげる。
私はただ待ち構えることしか出来ない。
彼女が黙り込むならそれに従うしかないし、仮に嘘をついたとしても、真実は知りえない。

从 ゚∀从「……治ったんだ」

(゚、゚トソン「はい?」

从 ゚∀从「いや、マジで。治った、治ったんだよ」

从 ゚∀从「……んー、いずれ話す、よ。だから今は、一応納得しといてくれ」

196 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:42:26 ID:10yWY8Xc0
真に迫った表情でそう言われれば、首肯せざるを得ない。
頭の中にある数多の疑問を帳消しに出来るわけではないが、
取り敢えずは『いずれ』が早くやってくることに期待するしかないのだ。

从 ゚∀从「……本当は、行くかどうか迷ったんだよ、今日も」

(゚、゚トソン「試験、ですか?」

从 ゚∀从「ああ。単位取っても、どの道留年するだろうし」

从 ゚∀从「けど、トソンにレジュメ全部取ってもらってたからな。
      ……それでも、カンペ用意しないと駄目だったけど」

(゚、゚トソン「……おだてても、その痣のことは忘れませんけどね」

从 ゚∀从「いやいや、そういうのじゃないって、マジで……」

同じ学科に所属していながら、ハインと帰路を共にすることは殆ど無い。
ハインがアルバイトに忙しいという理由もあり、そもそも大学に来ないという理由もある。
だからこうして彼女と二人で坂を下るのは、何となく新鮮な気分になる。

从 ゚∀从「そういやお前……ブーンとは、会ったのか?」

(゚、゚トソン「……ええ、会いましたよ」

197 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:43:50 ID:10yWY8Xc0
私は彼女に、内藤氏とのいきさつや彼に抱いた印象などを簡単に説明した。

(゚、゚トソン「確かに……腑抜け、というか、動画とは全然雰囲気が違って見えました」

从 ゚∀从「だろ? つかお前、あいつのこと『内藤さん』って呼ぶのな。ブーンの方が呼びやすくね?」

私が彼をそう呼ばないのは、そもそも彼が『ブーン』であった時代を知らないからでもあるし、
そこまで親しげに呼べるほど友好的な関係には至っていないからでもある。
ただ、それにしては随分と深い会話を交わしたような気もする。この関係性はどうにも説明しがたい。

(゚、゚トソン「……それで、今度小説を持ってきて欲しい、と言われました」

从 ゚∀从「ああ、好きそうだわあいつ。そういうの」

ハインが最も驚いたのは私と内藤氏が既に二度も接触していることらしかった。
確かに頻度で言えば高いかもしれない。しかも次に接触するのは明日だ。

最近は色々と忙しなく、あまつさえこの短期間で新しい小説など書けるわけもないので、
一年ほど昔に書いた、それなりに自信のある短編を印刷して持って行こうと考えている。

从 ゚∀从「あー、やっぱり」

一連の話を聞き終えたハインは大きく頷きながら言った。

从 ゚∀从「俺の勘は間違ってなかったな。お前好みだよ、あいつは」

198 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:44:49 ID:10yWY8Xc0
(゚、゚トソン「そう……なのでしょうか」

从 ゚∀从「だってよ、常識的に考えて喫茶店で演説聞かされるなんざ、
      普通の人間だったら耐えられないぜ。
      あいつは変人だけど、それ以前に死ぬほど面倒くさい人間なんだ」

(゚、゚トソン「……ハイン。その言い方だと、私に面倒を押しつけたかのようですが」

从 ゚∀从「一石二鳥と言うべきだ」

飄々とそう言ってのけるハインだが、確かに彼女の言葉通りだろう。
私と内藤氏のような――いわば偶発的な出会いが発展するには、
余程上手く互いの持つ歯車が噛み合わない限り有り得ない。

私にとって内藤氏はそういう人間だったということだし、彼にとってもそうだったのだろう。

(゚、゚トソン「でも、彼はハインにも何度となく会いに行っていたのでしょう?」

从 ゚∀从「って言っても数回だけどな。話すためだけによく店に来てたよ」

そもそも、彼は何故……所謂、そういう店に足を運んだのだろう。
ハインによればそもそも、性的な欲望を発散させるためではなかったようだし、
そうであるなら尚更、決して安くは無い代金を支払ってまでハインを指名したのか、気にかかる。

从 ゚∀从「こっちとしては楽でもあり、でも精神的にはしんどくもあったな。
      別に付き合ってやる義理もないんだが、分からないところで評判落とされてもアレだし」

(゚、゚トソン「……」

199 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:45:59 ID:10yWY8Xc0
从 ゚∀从「つーか、ブーンにばっか構ってる場合でもないんじゃねえの?」

(゚、゚トソン「まあ……色々ありますね。就活とか、試験も、そうですし……。
     ああ、この前はまた、デレが失恋したそうなので、その慰め会を……」

从 ゚∀从「なんだ、そいつまたフられたのか」

ハインとデレは、お互いを私を通じてしか知っていないのではないだろうか。
二人が会話しているのはあまり想像出来ないし、普通に出会って友達になるタイプでもない気がする。

私も私で、それぞれに相手のことを少ししか話さないから、
二人は知らず知らずにお互いのことを大いに誤解している可能性がある。

(゚、゚トソン「明日また内藤さんに会う予定で、もう企業の個別説明会も開催されているので、
     そちらのためのエントリーシートなども書いていかないといけないですね……」

从 ゚∀从「ふうん……」

从 ゚∀从「なんつーか、あれだな。就活に試験にブーンにデレとやらに……、あと、何だ?」

(゚、゚トソン「貴方のことです。ハイン」

从 ゚∀从「……ま、それはともかくとして」

从 ゚∀从「お前の最近は、アレだな、結構ぐっちゃぐちゃだな」

200 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:46:58 ID:10yWY8Xc0
ハインの口調は先ほどとは打って変わって、やや不安げなものになる。
私にはその理由が分からず、ほんの少し首を傾げた。

確かに、色々と立て込んでいるのは事実だ。
多くの物事を考えなければならないし、多くの人物について思いを巡らせている。
しかし、それはそんなに珍しいことだろうか? 生きている以上、必須科目ではないだろうか?

从 ゚∀从「……あー、まあ、ブーンを呼び込んだのは俺だからなあ。
      こんなこと言っても説得力ないんだけどな」

(゚、゚トソン「それは私が頼んだことですから……それに、彼と会ったことは良い経験です」

从 ゚∀从「うん……まあ、お前はそう言うだろうけどさ……」

从 ゚∀从「お前さ、どどめ色って知ってる?」

(゚、゚トソン「どどめ?」

从 ゚∀从「うん。色の名前……か、なんかわかんねーけど、取り敢えずそう呼ばれるものがあるんだ」

(゚、゚トソン「聞いたことはあるような」

从 ゚∀从「どうにも濁った色でな。黒ってわけでもなく、もっと澱んだ色のことを言うらしい」

从 ゚∀从「全部の絵の具を混ぜ合わせたような色って言う奴もいる」

201 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:48:15 ID:10yWY8Xc0
(゚、゚トソン「……私が今、そんな感じだというわけですか?」

从 ゚∀从「いや……そうならないといいなって感じだ」

(゚、゚トソン「そう思うなら、不審な痣なんて作ってこないでください……」

从 ゚∀从「面目ない」

初めてハインが素直に謝罪した。突然に態度を翻されても戸惑ってしまう。
これは、彼女なりの心配の証なのだろうか。そうだとして、彼女はいったい何をそんなに心配しているのだろう。
私にしてみればハインやデレや、内藤氏などの方がよほど心配なのだが。

从 ゚∀从「世の中、ままならないもんだよな」

限りある時間を埋め尽くそうとするかのように、ハインが呟いた。

从 ゚∀从「現実世界は漫画じゃないからさ、色んなことが順番とか考えずに起きるんだ。
      それに、いちいち立ち向かっていかなきゃならないんだから、本当にウザったいよ。
      大人が守りに走るのも分かるぜ。こんなこと八十年もやってられっか」

从 ゚∀从「まあ、俺なんて考えてみりゃシンプルな生活してるよ。
      バイトと大学と……ま、多少の用事ぐらいしか、ない。毎日が決まりきってる。
      ある意味で既に守ってばかりなのかもな。皮肉なもんだが、その方が生きやすい」

202 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:49:21 ID:10yWY8Xc0
(゚、゚トソン「ハインの生き方が、生きやすいとはとても思えないのですが……」

从 ゚∀从「いやいや、俺からしてみりゃ、トソンの方が生きづらそうだぜ。
      ……な、トソン。俺のこと漫画みたいな奴だと思ってるだろ」

(゚、゚トソン「え……」

从 ゚∀从「一人称は『俺』、どっから出てきたのかも分かんないし、大学はサボってばっか。
      不埒なバイトに現を抜かしてるくせに金が無い金が無いってボヤきまくり。
      で、挙句の果てには不自然な傷作って現れる。こりゃ漫画だぜ」

(゚、゚トソン「……」

从 ゚∀从「それでも俺は自分を漫画みたいな奴だとは思ってない。
      何故なら、俺の人生は、とても漫画にできるほどスッキリとはしてないからだ」

从 ゚∀从「でもトソン、お前はちょっとだけ漫画みたいな奴なんだよ。
      お前は俺とか、ブーンとか、そういう漫画っぽい奴を、全部受け入れる。
      変人を好むから清濁併せ呑むんだ。それ自体は悪いことじゃないし、確かに良い経験だろうぜ」

从 ゚∀从「でもな、あまりに全部を呑み込んでたらどうなるだろう。
      お前が新しく一つ呑み込むたびに、お前の人生に登場人物が一人増える。
      更にお前はその人物を理解しようとするから、増えるどころか複雑にもなる」

从 ゚∀从「それって、お前が思ってる以上にお前にとって負担になってると思うぜ」

203 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:50:53 ID:10yWY8Xc0
(゚、゚トソン「……だから、どどめ色になるな、ですか」

从 ゚∀从「勿論、俺はお前のことを全部知ってるわけじゃないからな、何とも言えない。
      ただ、もし俺が思うようにお前が漫画みたいな性格の持ち主なんだとしたら、
      ちょっと現実世界じゃ生きづらいだろうなっていう話だよ」

从 ゚∀从「清濁併せ呑むのもいいけどな、割り切るというか、線引きはしておいたほうがいいぜ。
      何かの講義で聴いた憶えがある、精神科医は、ある一定のラインで手を引くから、
      どれだけ狂った話を聴いても大丈夫だって。逆にそうしないと引きずり込まれるって」

(゚、゚トソン「……それでも、ハインは」

(゚、゚トソン「私に、その痣の理由を聞かせてはくれないのでしょう?
     それだけでも納得させてくれたら、私はほんの少し、安心出来ると思うのですが……」

从 ゚∀从「……ああ。そうだな。その通りだ」

从 ゚∀从「現実世界ってのは誰の都合のためにも動いてないからな。
      望まなくても太陽は昇って沈むし、適当にやってても、そのうちしわくちゃになってくたばる。
      俺はな、何回も同じ一年が来るタイプの漫画が嫌いなんだ。羨ましくて仕方なくなるからな」

从 ゚∀从「結局、どいつもこいつも自分の人生ってやつを持っていて、それぞれが同時に動いてる。
      それを数人分だけでも理解しようとするなんざ、そりゃ無理な話なんだと思うよ。
      だから俺はお前にこんな意味の分からん話をしてるし、お前の訊きたいことは話せない」

204 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:52:16 ID:10yWY8Xc0
从 ゚∀从「自分勝手に生きるっつーかさ、そういうのを、しないといけないんだよ。
      俺がお前にこの痣の理由を話せないのは、単純に思い出したくないからだ。
      怖いからでもいい。俺は漫画みたいな奴じゃないから、こんな出で立ちでも怖がりなんだよ」

从 ゚∀从「その恐怖心が少しでもおさまったら、お前には話す。絶対に。約束するよ」

(゚、゚トソン「……そう、ですか」

从 ゚∀从「他人の気持ちを理解しよう、とかさ、そういう心意気を否定するつもりはないぜ。
      むしろ大事なんだろう。でも、本質的な部分で、俺たちは、どうしたって自分勝手なんだ。
      何をするにしても、自己満足を前提にする以外は有り得ないんだよ」

(゚、゚トソン「……」

从 ゚∀从「お前は、自分が危なくなったらブーンでも、俺でも、蹴っ飛ばして逃げなきゃならない。
      そういうもんだよ。まあ、そうならないように俺も精一杯努力するけどな。友達だし。
      心にはまず自分のことを入れておいて、出来た余裕で他人のことを考えようぜ」

(゚、゚トソン「……ハイン。私には、よく分からないですけど」

(゚、゚トソン「……本当に、怖いん、ですね……」

彼女の饒舌は何よりも雄弁に物語っている。
ハインのそれが何によるものなのか分からない。たぶん、痣だけが理由ではないだろう。

私に出来ることは聴くことと、そして並び歩くこと。それだけだ。

从 ゚∀从「ああ……俺は、自分勝手だからな」

205 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:53:15 ID:10yWY8Xc0
从 ゚∀从「さ、着いたぜ」

(゚、゚トソン「え……」

私は立ち止まって思わず辺りを見回した。そこは最寄り駅の風景では無かった。
ハインの話を聴くのに夢中になりすぎて全く気がついていなかった。
そこは、私の、アパートの前だったのだ。

从 ゚∀从「……さあて、走るか」

(゚、゚トソン「ハイン、どうして……」

从 ゚∀从「いやー、お前の好きそうな話をしたつもりだったけど、どうだった? そこそこ楽しめたか?」

(゚、゚トソン「……」

从 ゚∀从「やっぱこの痣、色々言われるんだろうなあ。もうちょっと化粧濃くしたら何とかならないかな」

ハインは自分勝手などではない、と思うのは私が彼女のことを理解していないからだろうか。
ただ、私が彼女へ抱く心情は、彼女があまりにも私のことを考えてくれているがための悲痛だった。
私にはそれをどう表現すべきかわからない。もしかしたらハインは私を私以上に理解しているのではとさえ思う。

206 名前:名も無きAAのようです:2013/02/03(日) 21:54:16 ID:10yWY8Xc0
从 ゚∀从「それじゃ、行くわ。たまには電話でもしてこいよ」

(゚、゚トソン「しても、出ないじゃないですか……」

从 ゚∀从「……出るようにするよ、努力するって」

(゚、゚トソン「ええ……。ハイン」

(゚、゚トソン「その、お元気で」

从 ゚∀从「……ああ。お前こそな」

なぜ、私は二度と会えないかのような挨拶を交わしたのだろう。
去っていくハインの背中を眺めながら、私はやり場のない別れの思いを持て余している。
私は、彼女に不吉を予期しているのだろうか。あの、誰よりも溌溂としているハインに。

彼女の饒舌には憶えがあった。それは、私が時々発散しようとする言葉の洪水に酷似しているのだ。
しかし私は口にしない。その言葉さえも呑み込んで自分の中に溜め込むようにしている。
いったいそれはどうしてだろう? 私はまだ、自分を正確に表現する言葉を探し当てていないのだろうか。

そうやって何もかもを自分の内側に保持しているはずの自分が、
履歴書の自己PRすら満足に書き上げられないのはなぜだろうか。

私は、少し前に自分が描いた色つき水と透明なガラス瓶を思い返す。
そうやって自分を満たすことを私は快楽だと自認した。
しかし、自分の中に複数の色つき水を混ぜ合わせていたら、私の心はどどめ色になるのだろうか。

彼女は、ハインリッヒ高岡。
彼女に抱いた、或いは自分に抱いた不安が、消えない。



8.消えない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/08 10:00:14

9jigendaddyjigendaddy   9.耐えない

214 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 22:51:31 id:uGcmYyVQ0
9.耐えない

( ^ω^)「……」

(゚、゚トソン「……」

場所は、喫茶店『浪漫S区』、時刻は午後二時半。
私と内藤氏は、もう二十分以上も口を利いていない。
彼は私が持ってきた自作品をじっと読み耽っている。

傍から見れば中堅の編集者と新米の小説家には見えない……だろうか。
いずれにしても奇妙で滑稽な光景だと思う。何だか、一人前を演じているみたいだ。
私はただ趣味で物を書いているだけの存在であり、内藤氏もまた、一介の読者でしかないというのに。

それにしても、私の小説はそんなに長いものだったろうか?

( ^ω^)「……ん」

ようやく彼は原稿から目を離し、それを傍らに置いた。
そして相変わらず震える右手でコーヒーを啜り込む。

( ^ω^)「……どうも、申し訳ない。
      集中して小説を読んだりするのが難しいものですから……」

215 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 22:52:18 id:uGcmYyVQ0
(゚、゚トソン「その事は……ハインから聞かされていました。
      こちらこそ、申し訳ないです。わざわざ、時間を取らせてしまって……」

( ^ω^)「いや……そもそも僕が望んだことだし……。
      読めてよかったですよ。貴方という人間をよりよく理解できたような気もするし……」

ここまでの彼の台詞を聞いた限り、どうも今回の彼の『イメトレ』は、
半端な具合で成功してしまったようだ。敬語が外れる場合もあれば、
そうでない場合もある。それが半々の割合でまぜこぜになっているものだから、違和感が大きい。

( ^ω^)「久々に小説に触れると……自分の想像力を発揮しないといけないから、大変ですね。
      能動的に読まないといけない。受動的に読んでいると、いつの間にか言葉が通り過ぎる」

(゚、゚トソン「……そういうものですか」

( ^ω^)「うん……」

(゚、゚トソン「それ、で、えっと」

(゚、゚トソン「どうでしたか、私の、小説……」

高校や大学の小説を主とする部活動では、大抵部員の作品を批評する場が設けられるのだが、
私はそのたびに、どうしても緊張する。常に最悪の可能性を想定し、それよりはマシな言葉を得て、
ほっと一息つくような感じだ。デレがよく単位への危機感を口にするのと似ているかもしれない。

216 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 22:53:43 id:uGcmYyVQ0
( ^ω^)「面白かったですよ」

彼は相も変わらず少しも表情を動かさずに、そう言った。

( ^ω^)「文章は読みやすかったし……すんなりと呑み込めました。
      内容はまあ、ありがちと言えばありがちだけど、
      ありがちなものを丁寧に書ききるのって難しいと思うから……」

言葉をそのまま鵜呑みにするのもどうかとは思うが、彼の好感は単純に嬉しかった。
しかしどうだろう。彼の言葉には裏があるように見え、またその裏側を隠そうともしていないようだ。

(゚、゚トソン「……何か、悪いところでもありましたか」

感謝でもなく、謙遜でもなく、最初にそのような言葉が出てきてしまうのはやはり、
自虐的な性分のせいなのだろうか。それとも、彼の態度から受け取るべき当然の反応なのか。
案の定内藤氏はやや唇を噛んで、少し黙ってから言いづらそうに口を開いた。

( ^ω^)「うーん……いや、本当に丁寧な文章だと思うんです。が」

( ^ω^)「……都村さん、音楽を聴きますか?」

(゚、゚トソン「え……音楽……ですか。はい、まあ、それなりには」

( ^ω^)「僕もよく聴くんです……たまに、その歌詞が自分を代弁してくれてるんじゃないかと思うほどに、ね。
      で、そういう音楽を聴いてますと……何と言うか、たまに、言葉が多すぎると思うんですよ。
      必死に伝えようとしてるけど、全部を伝え切れてはいないような感じが……するんですね」

( ^ω^)「まるで、言いたいことを言うための言葉が見当たらないかのような……。
      いや、そりゃメッセージだけが音楽の良さではないですけどね。
      でもメッセージソングなのにメッセージが埋もれている……遠回りしすぎている恋文……」

( ^ω^)「都村さんの小説は、そんな感じに見えるんです」

218 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 22:55:03 id:uGcmYyVQ0
(゚、゚トソン「……」

彼の言葉が、よく理解できなかった。
私の小説を何らかの方法で批判しているのだけは分かる。
しかしその方法が分からなければ、改善はおろか納得すらも出来ないだろう。

( ^ω^)「都村さん、不躾な質問にはなると思うけど……」

( ^ω^)「もしかして、自分の書く文章に自信が無かったり、しませんか」

私は俄に停止した。彼が先ほど言った台詞が蘇る。
受動的に聴いていると、言葉は即座に脳裏を過ぎ去るのだ。
それを呼び戻すのに時間がかかった。いや、そもそも呼び戻す気があったのだろうか。

彼の言葉は、私の核心に触れていたのでは無いか。
いや、触れるどころか鷲掴みにしたせいで、私は向き合えなかったのではないか。

(゚、゚トソン「……つまり、私は、必死に言い訳しているのでしょうか」

( ^ω^)「前も言ったけど僕は批評家じゃないから、的確なアドバイスができるわけじゃない。
      ただ僕が、ほんの少し貴方の文章を読んで感じたのは、そういう、弱気さだったんです」

弱気さ。反芻し続けても上手く飲み込めない言葉。
私の根底に常に流れ続けている、最早人格とも呼べる、性質。

(゚、゚トソン「それが、私の、本質なのでしょうか」

( ^ω^)「……さあ。それは、僕より知っている人がいるんじゃないかと、思います」

219 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 22:56:00 id:uGcmYyVQ0
何度だって私は了解しなければならない。
私はまだ内藤氏と出会って間もない人間であり、故に互いが互いを理解するには無理がある。
だから彼の言葉を傾聴するのは結構だが、深みに嵌るべきではないのだ。

しかし、それならば私は彼よりも長く付き合っている人物について把握していると言えるのか。
ハインのことを、デレのことを、理解していると言えるのだろうか。

いや、それは思考方法として間違っている。間違っているはずだ。
しかし私には何が間違っているのか具体的に自分に教えることが出来ない。
そもそも内藤氏と私がある意味で非常に相性が良いのはハインの言からしても証明されている。

それでは、私は彼の言葉を受け入れるべきだろうか。
私の弱気さや、自信のなさが文章にそのまま表れているという批評を、承認すべきだろうか。

彼に手渡した作品は私の自信作であることには間違いない。
たとえそれが大学の小さな部活動のためだけに書かれたものだとしても、
私は殆ど手を抜いたつもりもなければ、少なくとも自分で面白いと保証できるものに仕上げたつもりだ。

そして、私が書いているのは、『純文学』だ。

そこには一定以上に『自分自身』が含まれている。
私はそれを否定しないし、大まかにいってそれがフィクションに分類されるのだとして、
ノンフィクションの度合いが低いとは思わない。純然たる私小説ではないが、私小説的ではある。

もしも私が、誰よりも自作品の理解者であるとするならば、内藤氏の批評に太鼓判を押さねばなるまい。
彼の言葉が脳味噌に叩き込まれ、それが衝動となって私を茫然とさせたのならば、
どうしたって私はその言葉を認めざるを得ないのだ。否定したところで、惨めになるだけだろう。

むしろ、堂々と証言されてありがたいぐらいだ。瞼の裏に目を背けていた問題を塗りたくられたような、感じ。

220 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 22:57:11 id:uGcmYyVQ0
( ^ω^)「……都村さん」

(゚、゚トソン「はい」

( ^ω^)「お気に障ったようでしたら謝ります。
      僕も、少し読んだだけで全部を分かったようになるのは嫌いですから……」

彼の謝罪したということは、私が随分と長く黙していたということだ。
こんなにも自分の小説について考えるのは久しぶりだった。最近、就職活動を名目に、
小説どころか部活動自体からも離れていたことが大きな理由である。

ただ、部活動に勤しんでいたとしても彼の台詞のような批評が聴ける機会は少ないだろう。
所詮は学内の小さな世界だ。そこには商業的視点も、芸術的視点も介入しない。

互いを、漫然と褒め合うだけだ。真剣な批判をぶつけたところでさしたるメリットは無い。
むしろ、時々現れる、『しっかりと意見を言える人』が神様のように崇め奉られるような始末だ。
文化系の部活などそのようなものだろう。特に、小説には吹奏楽のような客観的な規則性が存在しない。

私自身も、今日までそのようにして『創作仲間』とでも呼べる人々と生き凌いできた。
彼らの漫然とした褒め言葉に充足し、そして自分も同じような台詞を並べることにしていた。
それで十分だったからだ。何一つ不自由しない、矮小なアイデンティティーはそれだけで保たれていた。

(゚、゚トソン「……私、やっぱり」

(゚、゚トソン「小説が、すごく、私の中を、占めているのかも知れません」

内藤氏の些少な言葉でたちまち背後から襲ってきた創作への矜持。
いや、矜持と呼ぶにはあまりにも狭小な、ただの稚拙な感情。

221 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 22:58:19 id:uGcmYyVQ0
( ^ω^)「……僕が昔、小説を書いていた時のことだけど」

泡沫のような言葉しか述べられなくなった私に代わって、内藤氏が時間を埋める。

( ^ω^)「やっぱりそっち方面の才能は無かったみたいだから、まるで手応えがなくて。
      小説って、そもそも読まれること自体難しいじゃ無いですか。それこそサークルとかでないと。
      僕の表現、みたいなものは、誰にも感じ取られないまま、消えるしか無かったんです」

( ^ω^)「僕は割と馬鹿な人間だから、それを誰も僕を理解出来ないんだと勘違いして。
      違うんですよ、理解出来ないじゃなく、理解しようとされないだけなんです。
      これは今でもまだ痛感する。結局、僕らが持てる表現はその程度なんだって」

( ^ω^)「……その点、都村さんの小説は、私が読んだ限りではまだ読者に理解されたがっています。
      そのために読みやすくもしてあるし、展開にも配慮がなされているのではないかと。
      面倒な過程だと思うんです。それをきっちり踏めるのは、素晴らしいんじゃないかな」

……私は、書きたいことを書きたいように書いているつもりだ。
誰かに配慮をそいたつもりはない。もしそう感じ取られるのならば、それは結果でしかないだろう。

(゚、゚トソン「……それは、たぶん、偶然みたいなものですよ」

( ^ω^)「才能なんて、偶然みたいなものだと思います」

(゚、゚トソン「じゃあ、内藤さんは」

(゚、゚トソン「私に、小説を書く才能が、あると、思いますか」

222 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 22:59:38 id:uGcmYyVQ0
( ^ω^)「……無い、と思います」

少し間を置いてから内藤氏は、そうハッキリと断言した。

( ^ω^)「もっとも、これは都村さんの一年前の作品ですから、
      今貴方が書いたら違うものが出来上がるかも知れません。
      才能なんて、いつ開花するものやら分かりませんからね……」

(゚、゚トソン「それでも、内藤さんは御自分の才能に見切りをつけたのでしょう?」

( ^ω^)「……」

内藤氏は珍しく、黙るべくして黙り込んだ。何かに迷っているような具合。
ただ、表情や姿勢は変わらなかった。彼は何一つ、動じることが無いのだろうか。
それとも、この程度は動ずるに値しないのか。彼の精神は曖昧ながら頑健なのだろうか。

( ^ω^)「その話をし始めると、長くなるのですが……要約しますと」

( ^ω^)「僕は、それほど『小説』という方法そのものに拘っていたわけではないんですよ。
      ただ表現が出来れば何でもよかった。そして、それを成功させるに『小説』では足りないと思った。
      だから『小説』を手段から外したんです。その後、例えば僕はYoutubeなどを利用した……」

(゚、゚トソン「足りない、というのは?」

( ^ω^)「前も言ったけど、まどろっこしいんですよ。小説は。
      相手に読ませて、想像させて、その上で言いたいことを呑み込ませないといけない。
      馬鹿みたいじゃないですか。それに今の時代じゃ、需要と供給が大きく食い違っている……」

( ^ω^)「まあ結局、僕が僕である以上、方法が何であれ、変わらなかったんですがね……」

223 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:00:51 id:uGcmYyVQ0
才能が無い、と宣告されたところで特段の衝撃は無い。
むしろ逆に「ある」と言われていれば驚愕していただろう。目の前の人物に失望さえしていたかもしれない。

自信がある、といったところで、例えばプロの作家とは程度が違うのは誰よりも自分がよく知っているし、
ましてや才能の種子ですらも無いと思っている。せいぜい自分が満足出来るレベルのものであり、
周りにいる箱庭の住人を満足させられるレベルでしかないのだ。内藤氏は箱庭の住人ではない。

しかし、ほんの少し疑問が生じた。

(゚、゚トソン「内藤さんは、前回……」

(゚、゚トソ「私に、小説家になる、という道がある、と仰いましたね」

( ^ω^)「……うん」

(゚、゚トソン「しかし、今の貴方の口ぶりは、小説そのものを否定しているように聞こえたのですが」

( ^ω^)「……うーん」

内藤氏は頬に手を当てて、コツコツと指で頬骨を叩いた。

(゚、゚トソン「内藤さんは、私に、自分が見切りをつけた……あまつさえ否定に走る道を、勧めたのですか?」

224 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:02:06 id:uGcmYyVQ0
私は彼に何を求めているのだろう。ふと、そんな問いが湧く。
真意だろうか、誠意だろうか。それを向けられたところで、私は積極的に応えようとはするまい。
それでもなお、彼の言葉の矛盾を突き詰めようとするのは、私が小説を肯定するからだろうか。

私は、ムキになっているのだろうか。

( ^ω^)「三つほど、言いたいことがあります」

やがて考えをまとめたらしい内藤氏は、私を諭すような口調で言った。

( ^ω^)「最初に……僕は誰にとっても小説が無意味であるとは思いません。
      現実問題として多くの小説が書店に並び、多くの人が手に取るのですから。
      それを否定しても仕方がない……無論、そういった小説を紡ぐ人を否定しても……」

(゚、゚トソン「……」

( ^ω^)「それから、都村さんの小説に対するひたむきさ……みたいなものはよく伝わりました。
      やはり僕には、都村さんが小説を書き続ける道を選ぶのが最良であると思えます。
      貴方は、貴方が思っている以上に小説に、執念を燃やしているんじゃないでしょうか」

(゚、゚トソン「それは……」

何か反論の言葉を見出そうとする私を尻目に、彼は『三つ目』を放った。

( ^ω^)「最後に……これは直接、小説には関係ないのですが……。
      都村さん、僕以外に……例えば、ハインさんや、そういった友人にも敬語だったりしませんか?」

225 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:03:34 id:uGcmYyVQ0
(゚、゚トソン「え……」

突然冷や水を浴びせられたような気分だった。
それはまるで想像もしていなかった方向から射られた指摘であり、
そのうえ図星を突いているのだ。私は思わず硬直し、開いた口を塞ぐのも忘れていた。

( ^ω^)「貴方の敬語は非常に自然です。不自然なほどに、自然なんです。
      学生である貴方がそうそう敬語を使う場面があるとは思えません。
      しかし貴方は……馴れているんです。それが、まるで……」

( ^ω^)「……」

内藤氏はふと口を噤んだ。言ってはいけないことを思わず声に出してしまいそうになった感じ。
最早下手な芝居のような沈黙だった。変わらない表情の奥で何かが蠢いているように見えた。
それが私の――怒気を孕んだ攻撃心に火をつけた、らしかった。

(゚、゚トソン「……まるで、何だと言うのですか?」

( ^ω^)「……」

(゚、゚トソン「内藤さん」

後悔には幾つか種類があるだろう。問い質すべき事を問い質さなかったことによる後悔。
問い質してしまったことによる後悔。詰問に答えを吐くことによる後悔。吐かないことによる後悔。
そして内藤氏の後悔はさしずめ――後悔を予期していた後悔、なのではないか。

( ^ω^)「……まるで、僕のようだ、と」

226 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:04:39 id:uGcmYyVQ0
( ^ω^)「都村さんが前回、僕に敬語をやめるように言いましたよね。
      でもその約束を、今回僕は殆ど守れていないような気がするんです……ね。
      それと言うのも、僕も貴方のように……元々敬語で話す人間だったからなんですよ」

(゚、゚トソン「語尾は……簡単に、取れたじゃないですか」

( ^ω^)「……都村さん。
      例えばの話ですけど、小学校の時分、クラスに『お』を語尾にする人がいたら、どう思いますか?」

( ^ω^)「僕は、確実にいじめ抜かれると思うんです」

(゚、゚トソン「……話が見えません」

( ^ω^)「何かのアニメや漫画の影響でそんな語尾に憧れたのだとしても、人はいずれ改善します。
      小学校でいじめられるか、中学校で自覚するか、高校ともなれば……自明でしょう。
      そういう、あからさまな、個性っぽいものなんて、人生において生き残るわけがないんです」

( ^ω^)「それが、演技でもない限りは」

(゚、゚トソン「演技?」

( ^ω^)「僕はYoutubeの動画投稿において様々な工夫を凝らしました。
      まあ昔の僕なら表現方法の模索とでも言っていたでしょうが……所詮愚策を弄したに過ぎません。
      あの語尾は……初期に思いついたもので、いつの間にか染み付いていたんですよ」

( ^ω^)「大の大人が『お』なんて……滑稽でしょう? そういうユーモアの『手法』だったんです。
      それ以外の何者でもありません。大人が後付けした語尾なんて、簡単に取り外しできます」

227 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:06:13 id:uGcmYyVQ0
( ^ω^)「でも敬語は違う……僕は昔から敬語で話していました。
      逆に言えば、敬語以外で他人と会話する方法がよく分からないんです」

(゚、゚トソン「……動画では、普通の口調でしたけど」

( ^ω^)「あれは、結局のところ独り言ですから……」

ぐちゃぐちゃする。
内藤氏の台詞が、全て虚言であるように思えてきた。その方が、私が楽なのだ。
実際、相手の言葉から真実を汲み取ることにかける労力は尋常なものではない。

しかし、ここで内藤氏が告白した事実は、彼が口にした唯一の真実であるように感じられた。
だからといって彼は私に何を言いたいのか。私はどのような反応をするべきなのか。
全てを含めて、まぜこぜにして、頭の中がぐちゃぐちゃになる。文字がほつれて糸と化し、絡み合う。

(゚、゚トソン「……それで、結局何が言いたいんですか」

絡み合った思考を丸めて握り潰した末に私が向けたのは逆上にも近い敵意だった。

(゚、゚トソン「私が、内藤さんに似ているとして、だから、何だというのですか」

( ^ω^)「……僕は、真意として、貴方には僕のようになって欲しくないと思うんですよ。
      貴方が小説を書き続けるならその方がいいと思うんです。
      決して、僕みたいに拗らせるべきじゃない。創作意欲や、人生を、拗らせるべきじゃないんです」

228 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:07:37 id:uGcmYyVQ0
(゚、゚トソン「余計な……お世話ですよ」

時々、キリキリとした感情に苛まれながらも無意味にテンションを上げなければならない場面がある。
それは飲み会や就職活動や友達付き合いであり、私は柄にもなく大声をあげたりする。
後になって訪れる疲労感は並大抵のものではないし、私はそういう時に、一番人生に向いていないと感じる。

そして今、私は激情でもって限りなく大声に近い声を出そうとしている。
内臓が縮んで固結し、鉛を抱えているような気分になる。

(゚、゚トソン「内藤さんは、まだ私とほんの少ししか交流していないじゃないですか。
     幾度かの会話と、一編の小説と、ハインの伝聞だけじゃないですか。
     たったそれだけでしょう。それだけで見透かせるほど、私を底の浅い人間だと思うんですか」

攻撃性で塗り固められた心の裏側に冷静な自分が内在している。
全てが自分に向かって牙を剥いているからこそ、彼を罵るのだと冷ややかに分析している。

(゚、゚トソン「私は確かに敬語で話します。話しますが、内藤さんと似ているなんて、限らないじゃないですか。
     そんなに私を理解したつもりになりたいですか。そんなに私を、いなしたいのですか。
     私だって、私だって一人の、人間なんです。私は、そこまで単純じゃないんですよ」

単純。

その文字――というよりも感覚――が脳裏にはりついた。
目眩を覚える。原因は分からないが、自分の頸動脈をナイフで突き刺したかのような、疼痛。

私は何をどこまで言えばいいのか分からなくなっていた。
自分が結局何を伝えたいのかも、それをどうやったら伝えられるのかも。

それが私の弱気さであり、自信のなさであると言うのならば、どうやったって否定できまい。

229 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:08:31 id:uGcmYyVQ0
時間が過ぎる。

内藤氏は私の言葉を待ち受けるかのように黙り込んでいるし、私は私で針路を見失っている。
気の利いた一言でも言えたら良い。場の空気を和ませることが出来れば、それで十分だ。
私には脱兎の如く逃走する勇気もなければ、これ以上彼を糾弾する言葉も持たない。

自分の中で蟠っている思念を解きほぐすのにも集中出来ない。
目の前にいる内藤氏の存在が気にかかるからでもあるし、そもそも解きほぐす能力が無いからでもある。
ヒントのない意識の暗号文がただプカプカと浮遊しているのだ。手の施しようがない。

だからただ漫然と時間だけが過ぎていく。意味も目的も無く、描くに描けない時が流れ去っていく。

ふと、ハインやデレのことを思い出した。彼女たちは私の友人の中でも取り分け奇矯な人物だ。
大抵の知り合いはその場の環境や流れによって徐々に関係が築き上げられていく。
しかし二人は違った。私が興味を持ち、尚且つ手放そうとせずに今まで育ててきたのだ。

そんな記憶に、『単純』という文字を冠した雨滴が落ちた。意味は分からない。そういう想像なのだ。

そう言えば、前回内藤氏と出会った際にも、私は無意味にヒートアップしたような気がする。
あの時は今日よりもやや前向きだった。前向きというよりは、陽気だったとでも言えようか。
私は、自分があの時に何を得ていたのか今もって分からない。

小説か。やはり小説なのか。前回の陽気さも、今回の、怒気も、全て小説に因っているのか。

私にとって小説とはそこまで人生に深く打ち込まれている杭なのか。
いや、小説に限らず、人間というものが生きていくに際して、そうした生き甲斐はどの程度必要なのか。

230 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:09:37 id:uGcmYyVQ0
他の人々が……例えば戦場で死んでいった兵士や、一生を奴隷として終える民や、
信仰に縛られ続ける教徒や、飢餓に苦しむ子どもが何を考え、そして何を糧に生きているのか。
そんなこと分かるわけもない。他人の私には、生きるべくして生きて死ぬべくして死ぬようにしか見えない。

しかしこの私が――都村トソンという、二十一歳で、乙女座で、A型で、女で、大学生の私が。
どのように生きるか、そして何をもって生きていると言えるのかも、私には分からないのだろうか。
平凡に平凡を極める一介の女子大生の生き様にさえ、正鵠を射ることは叶わないのだろうか。

いや――しかし私は、確かに生きているという実感を得た。

それが前回だった。
そこで起こった事実を列挙するなら、ただ内藤氏に小説を読んでもらえることになった、だけだ。

小説を書くとはどういうことか。少なくとも、表現に対する意欲を外側に向けて発散させることだ。
あの昂揚は、承認欲求が満たされたという、高々その程度の充足だったのだろうか。
あー、よかった、これでまた、私の作品を読んでくれる人が増える、と。それだけだったのか。

他ではない、内藤氏という人物に小説を求められた時、私は何を想ったのだろうか。

(゚、゚トソン「……」

ふと、思う。大学を卒業して、部活動という場を失ったら、その時、私はいったいどうすればいいのだろう。
表現として、今まで何とか口を糊してきた私の小説は、どこへ向かうのだろうか。
さして考え惑っている暇もない。その時がくるまで、最早一年程度しかないのだ。

231 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:10:52 id:uGcmYyVQ0
( ^ω^)「僕が敬語を使うようになったのは……」

前触れもなしに内藤氏が口を開いた。

( ^ω^)「やっぱり……僕も変に子供じみていたんだと思います。
      他の人とは違う風になりたかったですし、それと現実の人生の、
      均衡を保つためにとった手段が……敬語だったんです」

( ^ω^)「もっとも、それが通用したのも大学生までで、社会に出れば敬語が当然ですが……」

(゚、゚トソン「……」

内藤氏は今や本物の――役所からも公認されたと言える――変人である。
それは手首の縫合からしても、客観的に明らかであると言えるだろう。
しかしそんな氏でさえ、少年時代はそうした『変人』に憧憬を抱く一少年でしかなかったというのか。

確かに、彼は一度は社会に出たこともある、真っ当な生き方を選ぶことも出来たであろう人だ。
それが何の因果か、豊富な資産背景と共に自室で鬱ぎ込むことになった。
『表現』に固執し、ネット上に自分の動画をアップロードして、ささやかな騒ぎを起こした。

そして、腑抜けに……。

(゚、゚トソン「一つ、伺っても良いですか?」

( ^ω^)「はい?」

232 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:12:00 id:uGcmYyVQ0
(゚、゚トソン「何故……ハインの、働いているところへ行ったんですか?」

直接的に口にするのは躊躇われたが、要するに何故ソープランドなどへ足を運んだのか、ということだ。
ハインの言葉によれば内藤氏は何をするでもなく、ただ話をするために訪れていたそうである。
しかもその相手は常にハインであるらしかった。ハインでなければ、ならなかったのだ。

( ^ω^)「……これを、言うと、彼女の友達である都村さんには怒られそうだけど……」

( ^ω^)「あの時の僕は煮詰まっていたんですよ。煮詰まっていたというか……いよいよネタが切れたというか。
      でもやはり、この、弁舌を止められなくて……そして、あのお店に辿りついたんです。
      つまり、あのお店にいるような人であれば、僕のような腑抜けでも、受け入れてくれるだろう、と」

(゚、゚トソン「……そういう目で、ハインを見たんですか?」

( ^ω^)「誤解してほしくないんですが、ハインさんは個人的に素晴らしい人だと思います。
      彼女に出会うことが無ければ続けてあの店に行かなかったでしょうし……。
      むしろ、あんな店で彼女のような人に出会えるなんて考えもしませんでした」

(゚、゚トソン「……」

( ^ω^)「彼女は鬱陶しがっていたと思いますが……僕は、とても救われましたよ。
      ……もう、たぶん、行くことはないでしょうけれど」

233 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:13:13 id:uGcmYyVQ0
(゚、゚トソン「……何故ですか?」

( ^ω^)「何故でしょうね……」

明らかな、はぐらかしの言葉を受けて私は考える。無論、私自身のことを、だ。
私が敬語を使い始めたのはいつ頃からだったろうか。
確か中学生の頃には既に敬語だったような気がする。小学生の時はどうだったろう?

それは、突き詰めると些細な切っ掛けでしか無いのだろう。
少なくとも私は『変人』願望を敬語に反映させるような真似はしなかったような気がする。
私は、どちらかと言えば変人を自己でなく他者に求める人間だった憶えがあるのだ。

それでは、いったい何故敬語を使うのだろう。

(゚、゚トソン「例えば、ですけど」

( ^ω^)「……」

(゚、゚トソン「他人と、一定の距離を置くために敬語を使う、ということは考えられませんか。
     私は自分が、あまり素晴らしい人間ではないと思っています。
     むしろ自分を貶めて生きているタイプです。それはそれで、自分のプライドを守る方法ではないかと」

私は理論立てて喋ってなどいない。むしろ話ながら、考えをまとめているような具合だ。

(゚、゚トソン「そんな自分は矮小であり、ともすれば吹き消えてしまうような灯火のようなものです。
     それは他者によって簡単に侵略されるものであって、自我を保つのも困難なのです。
     だから敬語を使うのではないでしょうか。それは、一種の境界線ではないでしょうか」

234 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:14:06 id:uGcmYyVQ0
我ながら奇妙な理屈だと、言い切ってから思う。
しかし自分自身が敬語を使う確固たる理由などそれしか思いつかないのだ。
今までにも何度かしゃべり方について指摘されたことがある。それでも私は敬語を貫いた。

それほどの不動の意志が自分に眠っているとしたら、
それは殆ど生きることそのものであるといえるのではないか。

( ^ω^)「……都村さんには、他人を是認する能力があると思います」

(゚、゚トソン「はい?」

( ^ω^)「他人がそのままでいて良いと思えるような……何といえばいいのか、分からないのですが。
      ともかく、それは人を寄せ集めるでしょうし、現に僕も、そういった人間の一人なんですよ」

( ^ω^)「これはある意味で、嗜虐心なのか……」

デレの言った、全能感を思い出す。
私は内藤氏にさえもそういった、影響を与えているのだろうか。

私は自らが他人に与える影響力について殆ど考えたことがない。
常に影響される側だったからだ。しかしながら、私は確実に、他人を蝕んでしまっているらしいのだ。

その影響力は、善なのだろうか。

235 名前:名も無きAAのようです:2013/02/06(水) 23:16:14 id:uGcmYyVQ0
不意に破壊的な衝動が身を襲う。一人きりでいる時によく起きる衝動だ。
涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。頭を抱えたくなる気持ちを、何とか抑えつける。

目の前に、内藤氏がいるのに。

もしかしたらこれは凶兆なのかもしれない。
生きていること、そのものへの凶兆。或いは、それに似た自己嫌悪の極致。
いや、それ以上に、汚泥じみた感覚が潜んでいる気がする。

( ^ω^)「……都村さん?」

私は生きている。私は何かを希求している。私は、表現を、しようとしている。
表現は影響を与えようとすることだ。私は、望まぬ形で、誰かに何かを及ぼしているのか。
そしてそれ以上に私自身が他人に塗れてしまっている。昨日のハインの言葉がまざまざと甦る。

どどめ色の、心。

様々な色付き水を好んで飲み込んだ。
まるで何も考えずに多彩な薬を併せ呑むかのように。
結果としてそれは酷い副作用を起こした。私の心を、穢していった。

私は私が思っている以上に、私の心を大事に扱うべきだったのかも知れない。

(゚、゚トソン「内藤さん」

私は立ち上がった。もう耐えられなかった。一言も発したくなかった。
そのまま去りゆく間際に私は、反吐のような言葉を落とした。

(゚、゚トソン「やっぱり、私たち、似ているのかも知れません……」

私は、都村トソン。
私は、喫茶店を出て、無心に歩き、それからようやく耐えることなく号泣した。



9.耐えない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/08 10:04:38

10jigendaddyjigendaddy   10.呼ばない

241 名前:名も無きAAのようです:2013/02/09(土) 23:56:39 ID:2C/3M8TA0
10.呼ばない

最寄りの駅から電車で十数分ほどの場所にある、都会。
今なお再開発を繰り返しているその場所は、休日ともなればどこからともなくやって来る人々で溢れかえる。
私には休みの日にまでわざわざ群衆に紛れようとする、その心があまり理解出来ない。

にも関わらず、私は今、駅のコンコースに聳える柱を背にして立ち尽くしている。

噎せ返るような息苦しさ。本当に酸素が不足しているのではないだろうか。
地球温暖化を叫ぶ人々は、実際のところ人混みが嫌で仕方なかったのではないだろうか。
そんな風に勘繰りたくなるほど、私にとって都会の空間は異質で、不気味だ。

時々、大学のキャンパス内でも同じようなことを思う。
しかしそこにいるのは大抵が私と同年代の若者達である。だから私は疎外感を覚えない。
目の前に蠢いている群衆は文字通り雑多、である。故にどうしてもその中へ溶け込めない。

つまり、私は単に人混みが嫌いなのだ。

(゚、゚トソン「……」

その私が傍観者のようにして立ち竦み、行き交う数多の通行人とすれ違う。
そこに浮かび上がる喜怒哀楽に……私はほんの少しだけ、安堵する。
表情の存在が嬉しく思えるのだ。それは確かに人間らしさの証明であり、共同体の証明でもあろう。

しかしこれが全くの他人同士の集まり――例えば朝の満員電車――ともなれば、目も当てられない。
並び立っているのは無数の無表情であり、それぞれが新聞や、
携帯を使ってそれぞれの世界に没頭している。感情を失った歪な機械の塊だ……。

無論、一人一人が自在に感情表現していても、それはそれで怖ろしいと分かってはいるが。

242 名前:名も無きAAのようです:2013/02/09(土) 23:58:21 ID:2C/3M8TA0
時々、私は追放される。
他の誰でもなく、私自身によって追放され、自分の部屋にさえ居場所を失うのだ。

それが起きるのは大抵憂鬱が頂点に達したり極端な自己嫌悪に陥った場合で、
自分の存在自体を許容したくなくなるのだ。だから私は何の意味も無くこんな場所に立っている。
止め処なく流れる群衆が、私を流してくれるような、そんな淡い期待すらをも抱いて。

内藤氏と会ってから既に一週間。私は結局、彼から逃走した。

試験には全て出席した。身に覚えの無い失敗をしていない限りは単位取得に問題無いだろう。
エントリーシートの提出も、予定している分は済ませた。
一つ、書類選考通過の知らせが届いた。面接への案内だ。これにはまだ日がある。

そのため、現時点の私には何も存在していない。

あれ以来、内藤氏には連絡を取っていない。自らを恥じているためか、彼を怖れているからか、
理由は判然としないが、とにかく彼と連絡を取るのは躊躇われた。
そもそも、連絡を取る方法は電話しかないのだ。私は会話せねばならない。

私は、自分自身を抑えられそうにない。

『浪漫S区』には近寄ってもいないし、携帯が震える度に不安が積み重なっていく。
いったいどうすればいいのだろう。どうしようもない。だから私は追放されている。

柱を背にして携帯など弄るフリをして、ただ漫然とやり過ごしている。
イヤホンから聞こえてくる音楽は、いつの間にやらノイズほどの存在感も失ってしまっていた。
私は大嫌いな人混みの中に居ることで、私自身を虐げ、そして逃げ込んでいるのだ。

現実から、内藤氏から、薄汚れた自意識から……。

だからこそ、私は不意に肩を叩かれ、必要以上の大声をあげてしまったのかもしれない。

243 名前:名も無きAAのようです:2013/02/09(土) 23:59:32 ID:2C/3M8TA0
/ ,' 3「……」

イヤホンを付けているせいで彼の言葉はまるで聞こえなかった。
しかしその姿には見覚えがあった。当然だ、約三ヶ月前まで、私は彼の個人書店で働いていたのだから。
私は慌ててイヤホンをはずし、そのせいで服のあちこちに引っ掛けたりしながら、軽く会釈をした。

(゚、゚トソン「こんにちは……。店長」

/ ,' 3「ボーッとしとったな」

店長……荒巻氏は、私に向かって無骨な口調でそう告げた。

/ ,' 3「こんな所でそんな真似しとったら、財布なんぞすぐスられるぞ」

(゚、゚トソン「あ、はい。すいません……」

釈然としない謝罪をしながら、私はどうしても思い出してしまう。

そもそも、店長と出会った一回生の春、アルバイト用の履歴書と私を交互に睨む店長は、
どうも第一印象からして私に好感を抱いていなかったらしい。だが私は採用された。
理由はよく分からなかったが、それからの日々も、店長との関係は決して良好ではなかった。

店長は無口な人であり、滅多にレジに立つことも無く奥に引っ込んでいた。
たまに本の入荷や返本について奥さん――お婆さんと話していたりもしたが、
その度に隣にいた私は細々とした注意を受け続けた。

ただし特段に説教をされることはなく、不始末を私に負わせるようなことはしなかった。
その割に私はバイトを辞めさせられるようなこともなく、何となく曇った関係を継続していたのだ。
私が良くしてもらっていたのはお婆さんだった。

店長について最も印象的だったのは採用後にこう言われたことだろう。

/ ,' 3「儂のことは店長と呼べ。名前なんぞで呼ぶんじゃない」

244 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:01:19 id:V8ZUjCnc0
その店長が私の肩を叩き、目の前に立っている。
これはどうしたことだろう。偶然出会ったとしても、店長は私など無視しそうなものだが。

……そうだ、私は最も気になっていることを訊くべきではないだろうか。
即ち、お婆さんの死が真実なのかどうか、について。
しかしいざ口にするとなるとどうにも躊躇われる。所詮部外者の私が口にすべきなのか。

/ ,' 3「都村……だったな」

(゚、゚トソン「は、はい……」

/ ,' 3「時間、あるか」

(゚、゚トソン「え?」

店長は相変わらず顔中に皺を寄せて、まるで睨むようにして私を見つめている。
随分と腰が曲がっているせいか背丈の違いはそれほど感じられないが、
背筋を伸ばせばそれなりに大柄なのでは無いだろうか。

何より、線の細かったお婆さんとは対照的に肩幅も広く太い指をしていたから、齢の割に頑健に見える。

/ ,' 3「暇があったら、そこの百貨店の珈琲屋にでも行かんか」

私は、店長の表情が読めない。彼が何を考えて私を誘っているのかも、理解出来ない。
ただ、私には彼の誘いを断る合理的な理由が無かった。
と、言うよりは別に行こうが行くまいがどっちでもいいのだ。

ならば、別に目の前の老爺の期待を無碍にする必要もあるまい。

(゚、゚トソン「……はい。大丈夫です」

そう応えた私に、店長はふん、と鼻を鳴らしてさっさと歩き出した。

245 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:03:11 id:V8ZUjCnc0
彼によって案内された喫茶店は、少なくとも『浪漫S区』よりは遙かに立派だった。
流石は百貨店、ということなのだろう。こんな場所には普段ならおいそれと近付かない。
客層も、どことなく裕福に見える。コーヒーの値段も、流石にただ事ではない。

自分などがこんな場所にいていいのだろうかと恐縮しながら、私は店長に続いて席へ向かう。

/ ,' 3「ほれ」

(゚、゚トソン「え」

/ ,' 3「奥、行け」

そう言われて、忙しなく奥側のソファに腰を下ろす。
注文を訊きにきた店員に、店長はホットコーヒーを求め、私もそれに倣った。
静かにさざめいている客を見渡し、店長はいかにも老人然とした咳払いを放った。

/ ,' 3「ここの、地下にな」

/ ,' 3「旨い揚げ物を売っとる惣菜屋がある」

(゚、゚トソン「……はい」

/ ,' 3「今日はそれを買いに来た……そしたら、あんたがおった」

246 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:04:44 id:V8ZUjCnc0
(゚、゚トソン「だから私に声をかけた……ですか?」

/ ,' 3「ハナからそのつもりやったわけじゃない……ただ」

/ ,' 3「どうも、死にそうな顔をしとったからな」

運ばれてきたコーヒーを啜りながら店長は何事か案じているように目を細めた。
死にそうな顔……という表現は決して的を射たものではないが、
少なくとも、そう見られてもおかしくない顔ではあっただろう。

他人の無表情に怯える私の顔にこそ、何一つとして感情が宿っていなかったのだから。

/ ,' 3「まあ……もっとも、あんたは最初からそんな面しとったがな。
    儂は、最近の若者を一括りにして活力がない、なぞと喝破したか無い」

/ ,' 3「しかしあんたには言える。あんたには、活力が無かった」

(゚、゚トソン「はい……」

/ ,' 3「そのあんたが、益々気迫の無い面、晒しとったからな。
    せっかくの美人が、台無しやないか……」

私はようやく、店長が店長なりに私を激励しようとしてくれているのだと悟った。

247 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:05:46 id:V8ZUjCnc0
とは言え、店長はやはり他人を励ますのが苦手らしく、私に上手く言葉を吐けないでいるらしかった。
そんな気遣いを店長がしてくれるとは思ってもみなかった。再会の形としては、殆ど最高であるといえる。

(゚、゚トソン「……すいません、ありがとうございます」

/ ,' 3「……」

私の感謝に店長は少し鼻を動かした。慣れない励ましに返された慣れない謝意に戸惑っているのだろうか。

どちらかといえば店長は根性論を語るようなタイプの人間に見えた。
だから私のように『活力の無い若者』を自分の書店で働かせ、
なおかつ辞めた後でも私を励まそうと尽力する……その人間性が非常に奇妙だ。

/ ,' 3「……言葉は、文字通りに取らん方がええ」

沈黙を貫いていた店長は、ようやく苦しげな言葉を出した。

/ ,' 3「儂があんたに話しかけたのはそれだけが理由やない」

/ ,' 3「ただ、伝えといた方がええと思ったからな」

248 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:07:04 id:V8ZUjCnc0
(゚、゚トソン「伝えた、方が?」

そう反復しながらも、私は店長の意図を掴み始めている。
それは書店を閉めたことであり、お婆さんのことであるのだろう。
そして彼が口にしたことで、私の中に僅かながら残っていた否定の意思が完全に消え去ってしまった。

/ ,' 3「店、畳んだのは知ってるか」

(゚、゚トソン「……はい、その、見ました。張り紙を……」

/ ,' 3「ああ……それでな」

/ ,' 3「婆さんも、逝った。暮れの辺りのことやが」

時々、私には世の中がどうしてこんなにも絶望的に作られているのかわからなくなる。
お婆さんの生死はたった今、店長が口にするまで、その両方の可能性が頭の中で宙ぶらりんだったのだ。
それが、悪いほうで確定してしまった。噂通り、お婆さんは、亡くなったのだ。

(゚、゚トソン「そう……なんですね」

/ ,' 3「あんたが思とるほど悲観するような話でもない。大往生やった」

/ ,' 3「婆さん、五年ほど前に胃をヤッて半分以上切り取ったんや。
    それからは、いつ死んでもおかしか無い、と医者に言われ続けとった」

/ ,' 3「よう、保ったよ」

249 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:07:59 id:V8ZUjCnc0
初耳だった。私などに話す義理はないし、当然かもしれないが、それでも相当に衝撃的だった。

確かに時々お婆さんが店にいないときもあったし、臨時休業の数もそこそこ多かった気もするが、
それでも、それがお婆さんの不調と関係しているなどとは少しも思っていなかったのだ。

/ ,' 3「儂なんかよりよっぽど質素に生きとったんやがなあ……分からんものや。
    まあでも婆さんは親父さんもお袋さんも癌で逝ってもうてたから……遺伝なんかもな」

(゚、゚トソン「その……お悔やみ……申し上げます」

その定型句の用法が正しいのかどうかさえいまいち分からない。
ただ私は遣り切れないままに言葉を口にした。言いようの無い言葉を含ませるために。

私は既に祖父母を失っている。しかしそれはまだ私が幼かった頃の話だ。
曾祖父母については私が生まれる前になくなっていたから、結局どちらもよく分からない。
お婆さんの死は、間接的ながらも初めて私に死の実感を与えた経験ということになる。

/ ,' 3「……ふん、どうも、おかしな話やな」

/ ,' 3「偶然会うたあんたに婆さんのことを話しても、詮方ないんやが」

(゚、゚トソン「……」

/ ,' 3「ただ、あんたが辞めてたちまち倒れた婆さんが、病院でよう話してたんや。
    都村さんが、都村さんが、てな。嬉しそうに、そら本当に嬉しそうにな」

250 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:09:17 id:V8ZUjCnc0
(゚、゚トソン「私……ですか?」

私は半ば愕然とした表情で店長に問い返した。

/ ,' 3「他に誰がおるかね。ウチで雇とった『都村』はあんただけや」

(゚、゚トソン「……」

/ ,' 3「そも、儂が本屋をやりだしたのは、ほんの数年前からでな。
    婆さんがさっきのあんたみたいに死にそうな顔しとったから。
    仕方なしに婆さんの好きな本を扱う店屋を始めることにした」

/ ,' 3「儲けなど頭から考えとらんかったよ。今時分に本屋なぞ、流行らん。儲かるわけもない。
    それでも多少身銭を切っても腹が痛まん程度には、金があったからな……」

(゚、゚トソン「そこまでして、お婆さんのために……?」

/ ,' 3「儂も仕事を辞めて道楽に耽るのに飽いていたしな。
    まあ、金回りを考えん商売なぞ道楽と変わらんかったが」

店長はあくまでも淡々と話し続けていた。
昔を懐かしむわけでもなく、お婆さんの死を悲しむわけでもなく、想い出を惜しむこともなく。
ただ淡々と、私に向かって過去を述べていた。

251 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:10:00 id:V8ZUjCnc0
/ ,' 3「本屋言うのは結構な肉体労働やったからな。儂でも厳しい時は息子に手伝ってもらったりもした。
    が、息子には息子で他にちゃんと仕事をせなあかん。やからバイトでも雇おうか、となった。
    出来れば芯の太い、根性のある連中がよかった。それが、儂の本音や」

(゚、゚トソン「……」

/ ,' 3「しかし結局雇ったんは都村トソンという、根性とは真逆を行く女を含めた数人やった。
    儂からしたら不安でたまらん。何か客と面倒起こしてしまったら、
    ただでさえ小さくなった婆さんの胃が益々縮んでしまう」

/ ,' 3「けど、婆さんに必要なのはフトい若者でなく、針金みたいな奴やと、思った」

(゚、゚トソン「それで、私を……?」

/ ,' 3「あんた、大丈夫やったか」

(゚、゚トソン「はい?」

/ ,' 3「腰とか……痛めんかったか」

(゚、゚トソン「は、だ、大丈夫です」

/ ,' 3「なら、ええが……」

252 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:11:19 id:V8ZUjCnc0
店長にとって、書店を開くという行為はお婆さんのための一種のリハビリだったのかもしれない。
落ち込んでしまったお婆さんを元気にさせようとする、尽力の結果だったのだ。
故にその存在はお婆さんの不調から始まって、お婆さんの逝去によって幕を下ろした。

(゚、゚トソン「……あの、店長」

/ ,' 3「今の儂は店長でも何でもない」

(゚、゚トソン「……そのことについて、お聞きしたかったんです。
     店長が私を採用したときに、名前では呼ぶなと仰ったではないですか。
     私にとってはそれが一番印象的だったんです。何故、そう仰ったのか、と」

/ ,' 3「……」

(゚、゚トソン「勿論、マナーであると理由なら、それはそれで納得できるのですが」

店長は今までに無い渋面で私を睨めつけて、それから目を閉じて溜息をついた。

/ ,' 3「マナー、マナー……か。儂が働いておったころ、よくそんな言い訳を聞いたわ。
    何でもかんでもマナーと名前をつければ通用すると思っている……。
    あんた、ジジイに昔話をさせると長なるぞ。マナーの一言じゃ終わらん」

(゚、゚トソン「……大丈夫です」

253 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:12:17 id:V8ZUjCnc0
/ ,' 3「……儂はな、ドカタやった」

(゚、゚トソン「どかた?」

/ ,' 3「建設業……あんたも職探ししとるんやろ?」

(゚、゚トソン「はい、まあ、一応は……」

/ ,' 3「したらまあ……いや、ドカタは止めとけ。あんたにゃ似合わん。
   何より、業界全体が景気悪いからの……そもそもどこも人採らんやろうし」

/ ,' 3「しかし儂が中卒で働き出したころはそんなことは無かった。
    穴掘って役所から金をふんだくる仕事が山のようにあった。
    儂も毎日毎日駆り出されてはお天道さんの下で汗水流し続けた」

/ ,' 3「当時は、あんたが言うようなマナーなんてもんは無かった。
    軍隊気質みたいなもんが残ってたのかもしれん。
    とにかく上に従って右に左に、ぶっ倒れるまで動き続けるのが当たり前やった」

/ ,' 3「そうせな、仕事が追っつかんかった」

254 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:13:19 id:V8ZUjCnc0
/ ,' 3「高度経済成長期、言うんはドカタにとっては天国やった。
    彼方此方で道が出来、家が建ち、橋が架けられ、トンネルがぶち抜かれ、しとった。
    おかげで儂が働いておった会社もデカなってな。笑いが止まらんかったようだ」

/ ,' 3「まあ儂は相変わらず現場の人間やったが……一応、野心みたいなもんはあった。
    上の人間に従い続けるのはいい加減しんどなってたし、やがては独立でもしたろうか、と。
    まあ、一端の若者の夢に過ぎんかった。が、努力はしたつもりや」

/ ,' 3「そん頃に……三十前ぐらいか。儂に見合いの話が来た。
    あの頃は今みたいにのんびりしとらんかったからな。儂はええ加減結婚せえと発破をかけられとった。
    何でも、相手も儂と同い年ぐらいの娘さん……まあ、言っちゃなんだが行き遅れ、やった」

/ ,' 3「それが、婆さんだ」

/ ,' 3「婆さんは……箱入り娘やった。ま、儂と違う人種なのは見てても分かったやろ。
    最初、儂と相見えた婆さんは、随分と儂のことを怖がったらしい。
    まあ、当時はやくざ者みたいな人相しとったからな、無理もないわ」

/ ,' 3「儂も儂で、そんな良家のお嬢さんみたいな人間をどう扱っていいか分からんかった。
    それでも相手も自分も周りに急かされてたからな。何となく、断りきれんままに結婚する段になった」

/ ,' 3「なあ、あんた」

(゚、゚トソン「は。はい」

/ ,' 3「もし儂を店長ではなく、別の呼び方をするとしたら、何と呼ぶ?」

255 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:14:51 id:V8ZUjCnc0
(゚、゚トソン「……荒巻さん、ですかね」

/ ,' 3「やろうな」

店長は頷いてから、首を伸ばして遠くの方を眺める仕草をした。
それは、もしかしたら彼が初めて取った懐古の行動だったのかもしれない。

/ ,' 3「当然の話やが、婆さんは最初から荒巻という苗字ではなかった。
    せやから結婚するまでの間、婆さんは儂を荒巻さん、と呼び続けた。
    上品な娘さんやな、と思とったよ。が、それは結婚前の話だけやなかった」

/ ,' 3「結婚後も婆さんは儂を荒巻さんと呼び続けた。
    儂は何度かおかしいと言うたが、それでも婆さんの口癖は直らんかった」

/ ,' 3「でもな、それはそれで、慣れてくると良く思えるものやったよ。
    婆さんは婆さんの意思で荒巻さんと呼ぶ。それが、良かったのかもしれん。
    ……結婚して三年経ち、儂と婆さんの間に息子が生まれた」

/ ,' 3「その時、初めて儂への呼び名が『荒巻さん』から『お父さん』に変わった」

/ ,' 3「儂は何とも悲しかった。荒巻さん、はたぶん儂のことだろう、と思える。
    が、『お父さん』は仰山いるから誰を指しとるのか分からんのではないか。
    そんな、つまらん誇りのせいで儂は当時機嫌を損ねとった」

/ ,' 3「やが、それも結局は慣れに過ぎなかった」

256 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:16:01 id:V8ZUjCnc0
/ ,' 3「五十手前ぐらいで、儂は独立を決心した。細々と金も溜め取ったからな。
    息子も、高校生で、儂に言わせればもう立派な大人やった。やから博打しても構わんな、と」

/ ,' 3「婆さんは本のことはよう知っとるが建設のことはちんぷんかんぷんやった。
    そも、社会に出た経験にも乏しかったからな。儂が打って出た博打のデカさも理解しとらんかった。
    そろそろええ中年になってた婆さんは、お父さんのやりたいように、と言っただけやった」

/ ,' 3「……運が良かった」

/ ,' 3「頼んだ覚えも無いのに独立して間もなくバブルが来た。今んところ建設業界最期の大舞台や。
    婆さんの実家がまとまった金を貸してくれたのも大きかった。
    過去のツテで仕事をくれるところも有難かった……」
    
/ ,' 3「そうして、何とはなしに一つの会社が出来た。頭に儂がいる、会社がな」

(゚、゚トソン「じゃあ……店長は……その、社長さんだったんですね」

/ ,' 3「そういうと聞こえはええがな。実際は小さい一軒家みたいな事務所があるだけや。
    それでもまあ、あんたの言うとおり、儂は社長、ということになった。
    婆さんがな、たまにふざけて『社長さん』と呼んどったわ」

/ ,' 3「バブル崩壊後は地獄やった……銀行は金を貸してくれん、下請けしようにも仕事が回ってこん。
    スーツの襟だけ正しても何の解決にもならんことがはっきりした。
    ともかく、他人のことなんて考えず自社優先で死に物狂いで仕事をした」

/ ,' 3「当たり前の話ではあるけどな。が、そのために時には人の命も飛ぶ」

257 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:17:08 id:V8ZUjCnc0
/ ,' 3「要らん話をしたな……そうやって還暦を迎えた頃に、孫が出来た。
    儂が四の五の言って齷齪働いとる間に、息子がいつの間にか結婚して子供まで産まれとった」

/ ,' 3「改めて儂の呼び名が変わった。今度は『お爺さん』だ。もう、変わることも無いやろうと思った」

/ ,' 3「それから数年経って……儂は息子に社長の椅子を譲ることにした。
    業界自体が景気のどん底まで落ち込んだ後やったし、それでも一応稼いでもいる。
    息子も息子で余所の建設会社で経験をつんどったから、いけるやろう、と思った」

/ ,' 3「実際、今日も事務所は何とかやっていけてるようだ」

/ ,' 3「退職してみると……さて、やるべきことが無い。ここまで言っておいてなんだが、
    儂にとってドカタは生きる手段であって、目的ではなかった。独立するという野心を持ち、
    それを何とか叶えてしまっても、後には特に何も残っとらん」

/ ,' 3「そう思うと、無性に、昔が懐かしくなった」

/ ,' 3「儂の人生なぞ居酒屋の小汚いジョッキに注がれるビールと、
    それなりに食える味のする揚げ物があればそれだけで事足りる。
    そしてその程度の人生に隣で歩んでくれたのは、今にして思えば婆さんだけだった」

/ ,' 3「願わくは婆さんにもう一度『荒巻さん』と呼んでほしかった。
    後ろを振り返る暇も無く、ただ前へ歩み続けるためにあったあの時代が、
    そして婆さんと出会い、愛情の結晶とは言えずとも結婚し、徐々に互いを理解できたあの時代が」

/ ,' 3「頭にしがみついて、離れんままやった」

/ ,' 3「儂は婆さんに、ただ婆さんにだけ『荒巻さん』と呼ばれたかった。
    あんたみたいな若い娘でなく、今の婆さんにそう呼ばれたかったんだ」

258 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:18:17 id:V8ZUjCnc0
/ ,' 3「結局……その夢は叶わずじまいやった。
    思えば儂と婆さんの間にどれぐらい距離があったか、今もってよう分からん。
    大の大人が、ついてくる嫁を相手に幸せか、なぞ口が裂けても言えん」

/ ,' 3「ましてや呼び名を変えろなぞ……」

(゚、゚トソン「……でも、店長は、書店を、開いたではないですか。
      たった一人のためだけに、開いて、そして一緒に、やっていたではないですか」

/ ,' 3「……確かに、儂は婆さんに精一杯のことがしてやりたかった。
    ただそれが正しかったとは到底断言出来ん。あれは仕事やなかったからな。
    正解どころか、結果すら見えん。過程が延々と続いておる」

/ ,' 3「婆さんが喀血して倒れたのは、あんたが辞めてすぐのことやった。
    医者の説明を受けて、ようわからんが色んな臓器が限界だということだけ分かった。
    すぐに入院、ということになって、やることの無かった儂は殆ど毎日婆さんを看取った」

/ ,' 3「……都村。儂は」

/ ,' 3「儂は、お前が、恨めしい」

(゚、゚トソン「は……え……?」

259 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:20:04 id:V8ZUjCnc0
/ ,' 3「婆さんの口から出てきたのは殆どがあんたの話やった。
    あんたと話した内容や、あんたの振る舞いや、そういうことを事細かに教えてくれた。
    儂は黙ってそれを聴いとった。そんなこと話してる場合やないやろ、と思った。が」

/ ,' 3「そういう時だからこそ、そんなことを話してるんやと分かってからは、
    とにかく、あんたが恨めしくて恨めしくて仕方がなかった」

/ ,' 3「誰よりも、何よりも、都村という若者の存在が婆さんを支えておる。
    そこに儂の入る隙間などない。儂は聞き役になって黙って椅子に座ってるしか能が無い。
    臥せっとる婆さんはいつもの幾倍もよう喋っとった。ちょうど、今の儂みたいにな」

/ ,' 3「なんやよう分からん呼吸器みたいなのを付けてまで」

/ ,' 3「……若さ、言うのは怖いな。簡単に人を生かすし、人を死なせる。
    何が怖い言うて、当の若者がその力に気付いてないところや」

(゚、゚トソン「……」

/ ,' 3「……都村。あんたには言いたいことがあった。
    それをこんな、偶然に出会ったような場所で言うべきでは無いのかも知れん。
    やが、もう次があるとも分からんし、多分無いやろう。そう思う」

/ ,' 3「これはあくまで仕事でも何でも無く、道楽者としての言葉や」

/ ,' 3「あんたの働きぶりは、まあ、程度で言えば並か、それより少し下やったと思う。
    意欲で言えば、殆ど無いようなもんやった。その点ではもっと他にええ奴がおったやろ。
    でもあんたは婆さんの話し相手になってくれた。婆さんの隣に立ってくれた。婆さんの思い出になった」

/ ,' 3「やから」

/ ,' 3「……本当に、ありがとう」

260 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:21:04 id:V8ZUjCnc0
堰を切ったように喋り始めた店長は、不意の感謝と礼によって完全に途切れた。
私も私で絶句した。白い頭を眺めながら、私はどうしようもない気持ちの遣り場に困惑していた。

店長の感謝からは、無念さが切々と伝わってくる。
私への羨望や私怨、自分自身の寡黙さへの後悔や反省。
それらが心の中で一つに固まって、感謝の言葉が出来上がったのだ。

私にとっては、あまりに濃密な感謝だ。

(゚、゚トソン「いや、そんな……私、何もしてないですから」

/ ,' 3「……思えば儂の人生というのは、儂の性格のせいもあってか、
    常に何かに追われているようなもんやった。箱入り娘やった婆さんには、
    ついてくるのもしんどいと思えることが、しょっちゅうあったんやないかと思う」

/ ,' 3「儂の勘は間違うてなかった。
    あんたを採ったのは、あんたがそれほど大事を起こさんやろうと思ったからや。
    老いさらばえて疲れ切った人間になって初めて、何もしない、の大事さが分かる」

/ ,' 3「あんたは何もせんかった。やからこそ、婆さんの良い癒やしになった」

そう言った店長は、だしぬけに服のポケットをまさぐり、長財布から千円札を三枚、取り出した。

/ ,' 3「会計、しといてくれるか。儂はそろそろ買い物しに行く。売り切れるかもしれんからな」

261 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:22:11 id:V8ZUjCnc0
(゚、゚トソン「あ……はい。いや、でも、こんなに要らないですよ」

/ ,' 3「……釣は、時給や。取っといてくれ。
    すまんかったな。時間使わして」

(゚、゚トソン「……」

/ ,' 3「あんた、その顔は」

(゚、゚トソン「え」

/ ,' 3「もしかしたら、自分が辞めへんかったら、婆さんが生き延びてると、思ってないか」

(゚、゚トソン「……」

/ ,' 3「誤解せんとってくれ。そういう意味ではあんたを少しも恨んどらん。
    婆さんに時間が来た。それだけの話や。もうすぐ儂にも時間が来るやろ。
    そういうもんや。若者が、爺さん婆さんの生き死にで心痛めてもどうしようもない」

/ ,' 3「婆さんはな、言うとったぞ。あんたが、立派なお嫁さんになれたらいい、と」

262 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:23:09 id:V8ZUjCnc0
私は、最早お婆さんの思い出の中にいる自分自身を打ち壊してしまいたい気分だった。
確かにそんな会話をした憶えはある。良いお嫁さんになるのが一番だと、私は言われた。

それでも、それにしても。
多少なりとも私を心の拠り所にし、そして旅立っていったお婆さんの言葉として。
それは、あまりにも重すぎるのではないか。

私はやはり他人に影響を与えているのだろうか。
それどころか、私は他人の命さえも左右しているのか。
いや、そんなことは自分への過大評価に過ぎない。

それでも、お婆さんが私を思い出とし、最期まで私を語り、心配していたのなら。
このような生き方は、何と非情で、世知辛いものであろう。

/ ,' 3「……じゃあ、儂は行くぞ」

(゚、゚トソン「あ……あの」

/ ,' 3「ん?」

(゚、゚トソン「一つ、教えていただけませんか……」

(゚、゚トソン「その……お婆さんは」

(゚、゚トソン「良いお嫁さん、でしたか?」

263 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 00:24:17 id:V8ZUjCnc0
/ ,' 3「……」

少しだけ腰を浮かせた店長がそのままの姿勢で考え込む。

/ ,' 3「思い出した、ことがある」

/ ,' 3「儂は本のことなど何も知らん。雑誌にも、漫画にも、ましてや小説にも殆ど興味はない。
    試験の参考書やビジネス書ぐらいは目を通したが、そのせいかあまり本自体に良い思い出が無い。
    やから婆さんと本の話題で盛り上がることは殆ど無かったし、婆さんもそれを理解しとった」

/ ,' 3「……夫婦で生活しとる以上、どうしたって諍いが生じる。
    別にどちらが悪いわけでもない喧嘩もようやった。
    若い頃の儂は短気やったせいか、よう怒鳴ったりもしたもんやった」

/ ,' 3「すると婆さんも部屋に閉じこもったりなどしてしまう。儂もずかずかと踏み入ったりはせんかった。
    そうやって時間が過ぎる。段々と、何であんなに怒ったのかよう分からなくなる。
    そんな頃合いになると、泣いて目を腫らした婆さんが部屋から出て来る」

/ ,' 3「都度、婆さんは同じ身振りをする。最初にそれは何だと訊ねたら、
    好きな小説家が文章でよう使っておった口癖だ、と言った。
    どうしようも無いときに、泣き笑うような気分で、もしくは笑い飛ばすような気分で使うのだと言う」

/ ,' 3「……そう言えば、婆さんは逝く間際に、同じような身振りをしようとしていたかもしれん」

/ ,' 3「こんな具合に」

そう言って店長は立ち上がると、私に向かって逞しさの残る二本の指を立ててみせた。

/ ,' 3「ピース」

そして、彼は去っていった。私に、三千円と言いようのない虚しさを残して。

彼は……店長、だ。
私が彼を荒巻氏と呼ぶことも、また彼がそう呼ばれることも、決して無いだろう。



10.呼ばない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/08 10:14:32

11jigendaddyjigendaddy   11.訊かない

269 名前:名も無きAAのようです:2013/02/10(日) 23:59:50 id:V8ZUjCnc0
11.訊かない

更に一週間が経過した、水曜日。
私は珍しく寝床に臥せたまま一歩も動くことができずにいた。

自分の健康にはある程度自信を持っている。
必要以上に食生活などを気遣っているつもりはないが、小学校の頃からあまり病気にならなかったし、
その積み重ねで学期末にもらえる皆勤賞が、誇りだったりしたこともあるぐらいだ。

その私が今、体調を崩して布団にくるまっている。
体温計によると熱は三十七度。微熱だ。にも拘わらずこの酷い悪寒は何なのだろう。
背中から死神に抱きしめられているような感じ。眠気にも勝る、気だるさ。

そして腹部に重くのしかかっている鉄塊のような不快感。
ともすれば嘔吐にも及びそうなのだが、咳き込んでも口の中に胃液の味が広がるだけだ。

昨晩から碌に何も口にしていないのだから当然と言える。
しかし、何かが行き場を失って蠢いているようにも感じる。

常備薬などロクにないし、取り敢えず解熱剤だけは飲み込んだが、
医者に行く気力も出ないのでひたすら布団の中で転がっている。
どこからともなくやって来る震えのせいで携帯を持つこともままならない。

こんな日に限って外は快晴だ。憎らしいぐらい、雲一つ見えない。

270 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:01:31 id:UJ9Oroso0
今日は企業の説明会に赴く予定だった。
そろそろ大学での合同セミナーに加えて、企業単体での説明会も始まっている。
合同セミナーよりも選考に直結している場合が多く、合理的なのだとネットで見かけた。

体調不良を押して出席することも考えたのだが、
よくよく思い返してみればそこまでして行くような企業でも無い気がしたので、直前になってキャンセルした。
いや、そもそも何処であれば出席していただろう。そんなに魅力的に映る会社が、世に存在するだろうか。

この一週間もその前の一週間と同じように、ひたすら説明会を渡り歩き、
エントリーシートや履歴書と向き合い、延々と会社情報を検索する作業の繰り返しだった。
内藤氏には未だ連絡していないし、彼から連絡がくることもない。

ただ漫然と、籤を引き続けているような毎日。
いつ当たりがやってくるかもわからない。当たりが紛れているのかもわからない。
それでも私は引き続けなければならない。たまにやってくる書類選考の結果に一喜一憂しながら。

実際、何と不毛な作業であることか。

しかし今、十万単位の学生が私と同じことをしている。
それぞれがどれほどの意識を持って取り組んでいるのかなど知る由もない。
しかし彼らは実際に動いているのだし、だからこそ就職活動という社会現象が巻き起こる。

そうだ、私は動きださなければならない。
意欲的でなく、履歴書にも体裁を繕った文章以外何も載せられない私だからこそ、
他の人よりも機敏に、そして力の限り動かなければ何一つ勝ち得ることはできないのだ。

勝ち得る。

勝ち得るって、何を?

271 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:02:27 id:UJ9Oroso0
それよりも私には考えたいことが数多くあった。
デレのこと、店長のこと、ハインの痣、そして、内藤氏……。
それらを順繰りに考えて、やはりどうしようもなくなって、頭を抱える。

臥しているとその分、ネガティヴな思考に陥ってしまう。負の連鎖だ。

「貴方は何をしているのですか?」という問いかけに、明確な回答を出せる自信がない。
強いて言えば「考えています」だろうか。しかしそう答えれば次に「何を考えていますか?」と問われるだろう。
私は何と答えれば良いのだろう。考えることが多すぎて、具体的には述べられない。

しかしその全てをまとめてみても、他人には「無意味」と断じられるのではないだろうか。

今の私がすべきことは一枚でも多く履歴書を書くことであり、一社でも多く企業を知ることであり、
一歩でも多く説明会場へ踏み入ることであり、一ページでも多く面接対策の本を読むことだ。
何故なら、そういう時期だからだ。この時期を逃してしまえば、愕然とするほどにチャンスが減じる。

故に私は就活というただ一つの物事に向かって集中せねばならないし、他のことは後に回すべきだ。
周りを見渡し、企業の情報を見聞きすることで自然とそうした意欲は育つものだと思っていた。

だが私が今持ち合わせているのは、未だ無気力としか呼べない矮小な思念に過ぎない。
何もしたくないという思いが変わるわけでもなく、ハインや内藤氏への興味が失せることもなく。
私の思念からは社会生活という根本的な必要事項がまるで抜け落ちてしまっている。

それは分かっている。分かっているのだ。だからといって、考えを変えることができない。
社会生活とは一種の宗教的概念なのだろうか。無神論者に神の存在を納得させるのは恐らく困難を極める。

272 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:04:01 id:UJ9Oroso0
仮に私の悪循環を全て責任転嫁してしまうとしよう。

私は所詮、ちょっとだけ精巧にできたガラスの人形に過ぎない。
その私に幾つかの鎖が伸びてくる。それは例えばハインであり、内藤氏であり、店長であり。
それらの鎖が私の手足を縛りつけ、四方八方へ向かって引き絞っているのだ。

ガラス細工の中核にはこれもまたちょっとだけ精巧な瓶が組み込まれていて、
そこには今、どどめ色をした水が溢れんばかりに湛えられている。
私自身が好んで仕立て上げた水の色。しかし、どうもこれが最も厄介であるらしい。

就職活動がやってくる。いや、それは別に違う名前の何かでも構わなかった。
ただ「何もしない」や「何も選ばない」を受容しない存在でさえあれば、どのようなものでもよかった。
そうした頑迷な何者かは、どどめ色のような例えようのない色の心を許してはくれない。

そういった時間が徐々に、徐々に私の中へ食い込んでくる。
過ぎ去ってしまう頃には何かを喪失してしまうのだと、私は私なりに理解している。
それは安寧な未来かもしれない。些少な矜持かもしれない。社会における一定以上の身分かもしれない。

私には二つの選択肢がある。
どどめ色の瓶の水を流してでも時間の楔を受け入れるか、もしくはそれに抗って瓶を守るか。
二つを両立させるなどという器用な真似が、私などに出来るとは思えない。

私は凡人だ。そして清濁併せのむという方法自体も、ハインが言うほどには特別でないだろう。
しかし、凡人は凡人なりにいつか、どこかで自分の色に見切りをつける。
そして安定した社会生活を始めるのだ。幾つかの心から逃れて。幾つかの問題を見て見ぬふりをして。

それは、もしかしたら『忙殺』と表現されるのかもしれない。

273 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:05:16 id:UJ9Oroso0
そうだ、時間だ。

時間が勝手に私の中へ入り込んでくる。人が十月十日経てば母の中から出なければならないように。
七十年や八十年経てばあの世に旅立たなければならないように。
学生生活が二十代前半で終わり、社会人としての生活も六十半ばで終わるように。

この世の全ては時間によって支配されている。

結局、私にとどめを刺すのは他の誰でもなく、ましてや自分自身でもなく、時間という概念なのかもしれない。
ハインについて考え、内藤氏について考え、店長について考え、小説について考え……。
そうやって一つ一つと向き合うには、あまりにも時間が足りないのだ。

身体を震わせて何度も咳き込む。吐いてしまったほうが楽な気がするが、どうにもならない。

私自身が今まで何も考えてこなかったのだという非もある。
これまでの私はただ呑み込めるだけ呑み込んで、それを考察する気などさらさらなかったのだ。
だからこそこうなった。現実としては殆ど何もしていないのに、心の中で私がもがき苦しんでいる。

心が、もしくは私自身が、鎖と時間によっていとも容易く引きちぎられようとしている。

怖いのだろうか。恐ろしいだろうか。私は何を怖がっているのか。
自分自身が失われてしまうことに? それとも自分の中にある他人が失われることに?

それは、私が思うほどに恐ろしいことなのだろうか? 
大抵の人は、そうした体験を経ても生き延びているのではないだろうか。

274 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:06:52 id:UJ9Oroso0
責任転嫁をした以上、マイナス分を埋めるためにも自分を攻撃しなければならない。

私はどうやら自分が思う以上に他人の中に存在してしまっているようだ。
先週に店長から聴かされた話は……良い意味でも悪い意味でも私には重く響きすぎた。
お婆さんの一生の、その終末部分に少なからず私が介入してしまっていたらしいのだ。

あまつさえ、店長は私に感謝をしたのだった。

私はまだ、それが自分の役割だったなどと納得できるほど、自分を肯定することが出来ない。
店長の言った通り、当の本人がまるで気付いていなかったのだ。

それだけではない。デレや内藤氏が言う全能感、他人を是認する能力……。
少しずつ解釈してみたところ、それらは「ありのままを受け入れる」と言い換えられるのではないかと気づいた。
今のままでいい。そんな貴方だから良かったんだ。私は全身全霊を込めてそう説得していたのではないか。

思えば他人を否定することなど殆どなかった。
自分と違う生き方をしている人がいたとしても、そういうものか、と納得して接してばかりだった。
だから私はハインやデレと友人になれたのだろうし、内藤氏とも割とすぐ話を合わせられたのだろう。

しかしそれは……そういう、能力は、相手にとって良いものだったのだろうか。
私はもしかしたら、他人を変化に導くのではなく、停滞に陥らせる悪魔じみた誘惑をしていたのではないか。

もしそうだとして、私は何のためにそのような真似をしていたのだろう。
私は小説を書く。出来れば今までにない、何か新鮮な作品であればいいと思っている。
ただ、それは結局のところ目を配れる距離にある、私からそう離れた場所ではない。

私が私である以上、どうしたって限界は存在してしまう。

275 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:07:59 id:UJ9Oroso0
ならば、私は私が思っている以上に圧倒的な近眼だったのではないか。
たまたまハインやデレはその範疇にいた。だから私は捉える事が出来た。

そうだ、私は自分に眼鏡を着けることさえ拒んでいた。ある意味で、いつまでも近眼の自分に依存していた。
何のことはない、誰よりもフィクションじみた変化を望んでいた私こそが真実の意味での停滞者であり、
あまつさえその道筋に他人をも引きずり込もうとしているのだ。

私が希求する変人にしても、それは恋愛や就職活動や分かりやすい青春映画の一片などと一線を画し、
出来る限り現実から縁遠いものでなくてはならず、尚且つ私の手の届く範囲になければならない。

内藤氏は、私にとって恰好の『変人』だったのだ。

内藤氏のような人物は珍しくないのかもしれない。その存在自体を否定するつもりはないが、
どことない作り物っぽさがある。私が本当に希求していた人とは言い難い。
ただ、そんな内藤氏は、私が想像で弄ぶには必要十分な『変人』だった。

希求ではなく、むしろ足踏みや退転を手助けする、『変人』。

そうやって考えていくと、『変人』というのも案外と複雑な言葉だと思えてくる。
変人という言葉の枠に当て嵌まってしまっている以上、それは最早『変人』と呼べないのではないか。
ならば私は最初から凡人を求めていたことになる。何の変哲もない、ただの人間を。

そうして、前へ進まないでいられることへの充足感を満たしていたのだ。

276 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:09:12 id:UJ9Oroso0
笑えてくる。

私は自分が凡人であることを割と自覚していた。だから変人を追い求めた。
しかし求めていたものさえも、平凡に過ぎない何かでしかなかったのだ。
いや、それさえ、私の中にある停滞への欲望が変人を凡人にすり替えていたのかもしれない。

ならば、凡人を呑んだだけで濁りきったこの心にはどう説明をつければいいのか。

自らが併せ呑んだ一切を凡人だと定義づける。
ただそれだけでこの水は浄化されるのだろうか。
鎖から解き放たれ、透明な水の入った瓶を抱える私は、いったい何者なのだろう。

そこにはただ時間という名の杭だけが残る。それが段々と身体に食い込んで、
いずれ瓶を壊し水を垂れ流させるのだとしても、もう悔いは残らないだろうか。
むしろ私は積極的に瓶を壊しにかかるべきなのだろう。そうすれば、割と、簡単に、楽になれる。

……盛岡、という人が前に言っていたような気がする。
働くために働くわけじゃない。何かもっと豊かな、生活のために働くのだ。
豊かさとは何だろう? それは働きの対価で贖えるものなのだろうか?

私の中でピチャピチャと揺れ動いている水を、浄化してくれるのだろうか。

少なくとも、現在の私が屋根と壁のある部屋に寝泊まりし、
そこから大して興味のなくなった大学の講義を受けに行くことが出来ているのは、
今日まで働き続けてきた父親と、今はもう専業主婦になっている母親のおかげだ。

なのに、私は何となく自分の中にある問題を解決出来ずにいる。
素直な気持ちで納得できない、自分がいる。

そんな矛盾した思想が脳内で入り乱れるにつれ、体の細胞が日々変化していることを感じる。おかしな具合だ。

277 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:10:05 id:UJ9Oroso0
……いっそ、私が希求するのは『変人』の枠に当て嵌まらない人なのかもしれない。

つまりそれは盛岡氏であり、店長であるような、ごく一般的な、社会人。
彼らのようになることを、真実私は望んでいるのかもしれない。
それは迎合であり、妥協かもしれない。しかし、そうでもしなければ私は生きてはいけまい。

何故なら、私には才能が無いから。

いや、『凡人』になる才能すら、無いのでは?

私はどうすれば盛岡氏や店長のようになれるだろうか?
無理かもしれない、とまず否定から入る。盛岡氏には採用をやんわりと拒まれ、
店長にもこの業界は向いていないからやめておけ、と言われた。ならば彼らを真似ることは不可能だ。

しかしそれに近しい道なら歩けるかもしれない。どうすれば?

自分の中にある色つきの水が、熱も帯びずに蒸発していくのを感じる。
変人を凡人と定義しなおしたせいで、私はその水を留める意味すら失ったのか。
しかし蒸発しきってしまえば、後に残るのはただのガラス細工だ。空っぽの、ガラス細工。

孤独、とでも呼べるような。

本当の孤独ではない。相変わらず私の周りには人間がいるだろう。
しかしそれでも、私は孤独なのだ。利己的ながら、私は未だ人混みに溶け込めない。

そんな自意識が宿るガラス細工は、ともすれば色つき水で満たされている時よりも壊れやすいのではないか。

278 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:11:14 id:UJ9Oroso0
『……どう、就活は?』

(゚、゚トソン「まあ……順調に、してますよ」

『公務員って手段もあるみたいだけど、考えてないの?』

(゚、゚トソン「……試験、難しいみたいですし、倍率も高いですから……」

病床に臥したまま、私はいつの間にか母と電話をしていた。
こちらから連絡したのか、向こうから連絡をしたのか、分からない。
ただ薄ぼんやりとした白枠で囲まれているような視界の中に、母の声だけが響いていた。

『まあ……実際公務員だった身としては、勧める気にはならないけどね』

(゚、゚トソン「……」

『でも、もしかしたらまだマシな仕事ってことになるのかもねえ。
 最近のニュースなんか見てると、そう思ったりもするわ』

(゚、゚トソン「だから、みんな、目指すのかもしれませんね……」

『若いからって無茶が出来る時代でも無くなったのかもねえ』

279 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:12:14 id:UJ9Oroso0
(゚、゚トソン「……あの」

『うん?』

(゚、゚トソン「一つ訊きたいことがあるんですけど、宜しいですか」

『なに、改まって』

(゚、゚トソン「その……父さん、のことなんですけど」

『うん、今日も生真面目に働いてるわよ。それで?』

(゚、゚トソン「……何故、父さんは、無口になったんですか。
     前に、昔、色々あったから、と伺ったような気がするのですが」

『ああ……その話』

『別に話してもいいんだけど……あんたも立派な成人だしね。
 ああ、お父さんには黙っといてね。今でも、ずいぶん気にしてるみたいだから』

(゚、゚トソン「……はい」

280 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:13:23 id:UJ9Oroso0
『お父さんが銀行員に勤めてるのは知ってるわよね。それも、地方の銀行。
 地方銀行っていうのは、まああんまり分からないけど、小さいお客さんが相手なのよ。
 例えば規模の小さい会社とか、個人のお客さんとか……都市銀行と違うの』

『お父さんが若いころはまだ景気が良くってねえ、銀行なんかもお金を出し惜しみしなかったのよ。
 銀行の仕事って、お金を預かることというより、お金を貸すことだから。
 そこまで考えずにお金を動かしても、十分儲けられたわけ』

『……信じられないかもしれないけど、昔はすごく口達者だったのよ、お父さん。
 特にお客さんと話をするのが得意でね、随分と信用されてたみたい。
 だから銀行での評価も上がって、上司の評判もすごく良かったのよ』

『ただ、景気が良くてもやっぱり、駄目な会社もあってね。
 銀行からお金を借りてもさっぱり返せなくて、首が回らなくなるのよ。
 お父さんは、そういう会社の社長さんを助けようと、すごく頑張ったのよ。でも』

『ある時に、担当していたお客さんが、自殺しちゃってね』

『小さな個人経営の酒屋さんだったらしいんだけど、上手く景気に乗れなかったらしくて。
 でもすごく人柄が良くてね、もうお爺さんみたいな歳だったけど、お父さんとも仲が良くて。
 ただ、性格が良いからこそ、思い詰めちゃったみたい』

『それでお父さん凄く落ち込んだのよ。でも、その時は何とか立ち直ったの。
 自分の中でどう決着をつけたのか知らないけど、とにかく、
 そういうこともあるんだって、区切りをつけて。もう一度頑張ることにしたみたい』

『そうしたら、全く同じようなケースで、同じようにしてお客さんが亡くなったのよ』

281 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:14:13 id:UJ9Oroso0
『結局、お金ほど簡単に人を殺す道具は無いってことなのかもしれないわね。
 景気が良くなると銀行は、それに乗じてお客さんに滅茶苦茶させようとするから。
 実態の無いお金で土地を買わせたり、そこで生じたリスクを押しつけたり……』

『その頃の銀行では当たり前の話だったし、別にお父さんがあくどかったわけでもないのよ。
 でもお父さんは、そんな『当然』をなかなか受け入れられずに悩み続けた。
 問題は自殺だけじゃない。人を殺さなくても、家庭を潰してしまうことぐらいは、よくあったの』

『お父さんの話しぶりはね、キチッとした営業トークじゃなくて、フレンドリーな感じだった。
 だからこそ悩んだのかも知れないわね。自分の話し方が、人を殺してるんじゃないかって。
 口は災いのもとって言うじゃない。あれは本当なんじゃないかって、お父さんは信じてしまったの』

『そんな風にしてたら、私とお見合いすることになってね。ま、私は一目惚れだったんだけど』

『でもお父さんはもう殆ど寡黙になりかけてた。時々口を開くと、さっき言ったようなことをね。
 まるで懺悔でもするみたいに、話すのよ。付き合い始めてからも色んな問題が起きててね』

『運が悪かったのかもしれない……わね。ある時にお父さんは私に向かってこう言ったのよ。
 僕は言葉で人を傷つけたり殺したりするかもしれない。けれど、僕は貴方のためにも仕事はやめないし、
 完全に口を閉ざすこともないと思う。僕は、僕なりの頑張り方で頑張ってみる』

『それでもいいなら、結婚してください、って』

『あの時の私は即座に承諾したけど……今思えば重たい決意だったんだろうね。
 それからのお父さんは益々寡黙になって、でも、言った通りちゃんと仕事をして。
 あんたが産まれる頃にはもう十分なぐらい出世して、誰から見ても良くできた社会人だった』

282 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:15:27 id:UJ9Oroso0
『あとは、あんたも知ってる通りだと思うけど』

(゚、゚トソン「はい……」

『本当にねえ、嫌になるくらい生真面目な人だから……。
 もしかしたらあんたは不自由したかもしれないけど、その分私がよく喋ってたと思うし。
 今もまだだんまりしてるけど、退職でもしたらまた口を開くのかねえ……』

(゚、゚トソン「……私は、不自由などしていなかったです。ただ、少し、不思議に思っていただけで」

(゚、゚トソン「その……本当に、すごいと、思います」

『……あんたが言うと、相変わらず他人事みたいに聞こえるわね』

『でも、あんたの父親なのよ』

(゚、゚トソン「……」

親とは、何なのだろうか。私にしてみればよく分からない。
産んでくれと頼んだ憶えはない、などと言うつもりは無いが、
だからといって私にとって親という関係が率直に飲み込めているわけでも無い。

しかし、親は親だ。
ここに至るまで、父は恐らく血反吐を吐くような思いをしてきたに違いない。
それが私の父だ。母が口にするまで敢えて私に過去を伝えなかったのが、私の父なのだ。

私は親にさえ敬語を遣って接する。いつからか、そういう壁を築いてしまった。
寡黙を貫いた父同様、私もまた、自分だけの盲信によって、そのような『自分』を作り上げたのだ。

ならば、仮に相手が親で無かったとしても。
私と父が似ているという意見に、誰が異議を唱えるだろう。

283 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:16:08 id:UJ9Oroso0
次の瞬間、携帯が震えて、私は『目覚めた』。

(゚、゚トソン「……?」

瞼の重さ。喉の渇き。どうやら私は眠り込んでしまっていたらしい。
だが、だとしたら私は『どこからどこまで』眠っていたのだろう?
先ほどまで電話で母と会話をしていたような気がする。あれは、夢だったのだろうか。

時々ある現象だ。疲れ切ったときに寝床へ倒れ込むと、
いつの間にか自分が積極的に考えているのか、それとも夢を見ているのか分からなくなる。
そしてそういった時に見る夢に限ってリアリティがあるから、記憶が混同しそうになる。

ならば、私は何を、どこまで、自分の意思として考えていたのだろうか?

ガラス細工の自分や、変人と凡人の概念などは、本当に私の考え方だったのだろうか。
記憶に深く刻み込まれているそういった意識でさえ、私は疑わずにはいられない。
しかし、どっちにしたって私の中に産まれてしまった思念であることには変わりない。

そういう自分が存在しているという事実は、変わらないのだ。

そして確かな現実が目の前にある。
私は今、ほぼ確実に覚醒している。そして、目の前で携帯が着信を告げている。
母に電話をしたこと自体は、後から着信履歴を遡れば自ずと分かる話だ。

それよりもまず、取り組まなければならない問題がある。
表示されている番号は、登録はしていないものの見覚えのある番号だ。
私が今日に至るまで逃げ続けていた番号。最もどうすればいいか分からない番号。

私は携帯を手にした。見えない強迫観念が私を後押ししていた。
いずれはどうにかしなければならない相手だ。今、忌避してしまえばもう機会は無い。

(゚、゚トソン「……もしもし」

284 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:17:09 id:UJ9Oroso0
『もしもし、内藤です』

(゚、゚トソン「あ……はい。都村です」

『お久しぶり……ですね』

(゚、゚トソン「そうですね……あの」

何とか謝罪を絞りだそうとした私を遮って、電話の向こうの内藤氏は、

『ごめんなさい』

と、言った。

(゚、゚トソン「え……?」

『本当はもっと早く連絡しないといけないと思ってたんですが、
 どうも躊躇われてしまって……。今日になって、やっと、決心がついたんですよ』

(゚、゚トソン「それは、どういう……」

『僕、昔から、自分ではよく分からないタイミングで人を傷つけてしまうみたいで……
 あの時も、都村さんに、あんな顔を、させるつもりは、少しもなかったのに……』

(゚、゚トソン「違う……んです」

『どうすればいいか分からなくなってしまって、はは。
 取り敢えず、先週と今日の水曜と土曜は喫茶店にいたんですけど、
 でも、肝心なのは謝ることだったんだなって、思い直して、それで、今日……』

285 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:18:06 id:UJ9Oroso0
(゚、゚トソン「……待ってて、くれていたのですか」

(゚、゚トソン「ずっと、あの、場所で、待っていて、くれたのですか……」

私は、何かに引きずり込まれているような思いを抱えている。
彼の謝罪を素直に受け取ることが出来ない。それどころか、否定すらしたくなる。
いや、むしろ否定するのが正解ではないか。あの行為は、完全に私の暴走だったのだから。

もう何も分からない。

『変人』として出会うことになった内藤氏を、私は『凡人』に仕立て上げようとしていた。
頭の中にとどまらず、実際に彼本人へも及んでいたのでは無いだろうか。
私は小説を書く。彼と同じように、表現をしようとする。だから、少しだけ分かってしまう。

凡人であると断ぜられてしまうのはあまりにも苦痛だ。
ならば、私こそが苦痛そのものなのではないか。

それはまるで重量を持った罪のように私の心へ覆い被さる。
仮説が正しいのかどうかなど分からない。内藤氏が私をどう見ているかなど、分かるはずも無い。
それでもなお、この心が、もしくは経験則が、私を否定しようとする。

(゚、゚トソン「私……」

(゚、゚トソン「私、あの……」

286 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:18:54 id:UJ9Oroso0
身体中が水分を欲している。
それで口を潤すのか、涙として利用するのか分からないが、ともかく私は飢えている。
しかし動くことが出来ず、ただ疲労した精神と身体がせめて内藤氏の言葉だけでも聞き取ろうと集中している。

『……それで、ええと、どうしましょう』

(゚、゚トソン「……」

説明会の予定などいくらでも組み込むことが出来る。
それでなくともエスカレーター式に面接や筆記試験の日取りが決まっていき、ダブルブッキングもままある。
今はそういう時期なのだ。だから仕方がない。故に受け入れなければならない。でもそれが出来ない。

小学校が六年間、中学校が三年間、高校が三年間、そして大学を約三年間。
今のところ、私の人生に休息らしい休息は無かった。それが当たり前なのかも知れない。
私のような若者がしばらく休みたいなどと、ただ贅沢なだけだろう。

だが私は、心の底から、時間を欲している。
ただひたすら思考するだけの時間を、立ち止まるだけの時間を、希求して止まない。
そんなことを考えているから更に時間を浪費する。何も成さずに、一日が、一週が、消えていく。

掻き毟る胸が、痛いほどに脈動している。
私は生きている。私は生きてしまっている。
それなのに何も出来ない。盛岡氏のように、店長のように、父のように、なれない。

夢の中だったのかもしれない父のエピソードを、私は未だに受け入れられずにいた。
何故だろう。何だか、途轍もなく怖いのだ。その事実をそっくり呑み込むことが、怖い。
私は、本当の社会人が最も身近にいたという認識に、怯えてしまっているのだろうか。

その人物が、私の『父』であるという事実が、耐えられないのだろうか。

287 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 00:19:56 id:UJ9Oroso0
『都村さん……?』

近すぎる距離が、嫌なのだろうか。遺伝子という、どうしようもない脈絡によって、
しっかりと結びつけられてしまっている相手が、一人前の人間であることに、罪悪感を覚えるのか。

考えるべきことが多すぎる。結局まだハインは痣の理由を教えてくれていない。
電話の向こうには内藤氏がいる。早く答えを返さなければならない。
だから休みたいと言っているのに、時間は前へ前へ行く。

どうせなら置いてけぼりにしてくれて構わないのに。
どうして、私を、連れて行こうとするのだろう。

(゚、゚トソン「私、あの」

乾いている両眼が、本当なら涙を流しているだろうと私は予期する。
私には現実から目を背けることさえ許容されないのだろうか。それが『凡人』たる咎なのか。

(゚、゚トソン「内藤……さん」

何故生きているのか。何故小説を書くのか。そんなもの分かるはずもない。
そんなことに於いて懊悩し、生きることさえ苦労するのは、ただ繊細である証なのだろうか。
繊細であるということは、こんなにも罪であろうか。

(゚、゚トソン「……ごめん、なさい……」

私は再び内藤氏を引きずり込もうとしている。何故なら、私は生きているからだ。
生きている限り、私はどうしようもなく、他人に迷惑をかけてしまうのだ。

(゚、゚トソン「助けて、ください……」

私は、都村トソン。

電話を終えた私は着信履歴で母と通話したことを確認した。
しかし、父の話が本当であるかどうかは分からない。
敢えて訊こうとは思わない。いや、訊くことなんて、出来ない。



11.訊かない 終わり

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/08 10:51:42

12jigendaddyjigendaddy   12.要らない

293 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:42:19 id:UJ9Oroso0
12.要らない

「助けて下さい」と切望した私が指定した日付は、翌週の水曜日だった。
説明会の予定などを鑑みなければならなかったし、何より一両日中に彼と会うには覚悟が足りていなかった。

場所は喫茶店『浪漫S区』、時刻は一時四十五分。
私はいつもより早くから、内藤氏の来訪を待ち受けていた。
今日に限っては時間が有り余っていた。だから今一度考え直さなければならなかった。

内藤氏に何を告げるべきか。どのようにして、助けて欲しいのか。

説明会の会場で無心になって、説明者の話す何一つ面白みのない仕事紹介などを傾聴し、
それを機械的にノートに筆記する作業をしている間、私は自分の悩みごとから逃避できた。
家に帰れば履歴書、エントリーシートの増産。幸い体調はすぐ回復したので、余計な思案に耽らずに済んだ。

そして今日を迎えた。思えば一週間など矢のように過ぎていくものだ。

二月も半ばになり、いよいよ明日は最初の面接が待ち構えている。
対策など何一つしていない。集団面接とかいう形式らしいので、
周りを参考にする練習と考えよう、などと安易な妥協案が浮かぶ。

ただ、今、私はここで内藤氏に投げかける言葉を自分一人で考えきらなければならない。
抑えつけていた自虐心は驚くほど簡単に競り上がってくる。
ともすれば涙になって放散されそうになるのを、何とか言葉にしようと努めてみる。

しかし、考えに考えても、結局行きつく先にあるのは、ただ『分からない』という思考放棄だけだ。

294 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:43:27 id:UJ9Oroso0
助けを求める相手として内藤氏が妥当だったかどうかも、分からない。
いや、常識的に考えれば限りなく不正解に近いだろう。彼は公的な『変人』なのだ。
そこから得られる忠告にが、世の中に通用するとはとても思えない。

それでも、私が内藤氏を頼るのは。
彼と同じく世の中に通用しない考えばかりに明け暮れてしまう私に、
何らかの痛恨の一撃を与えてくれるのではないか、と期待しているからだ。

だが、内藤氏は一方で私の手の届く範囲の『変人』であり、
故に『凡人』の範疇を超えない人物でもある。
そんな彼は果たして私の世界を改革してくれるのだろうか。

(゚、゚トソン「……」

そう言えば、と私はここ数日を振り返す。
片手間にエントリーシートを記入していく作業の傍ら、私は何度か小説を書こうと挑戦してみた。
今の自分に才能が芽生えているかどうか、内藤氏に判断してもらいたかったからだ。

しかし結果として、私は一文字として新しい小説を紡ぎだすことが出来ないままだった。
当然と言えば当然かもしれない。新しい発想が浮かんだわけでもなければ、
気の利いたフレーズに思い当たったわけでもなかったのだから。

それでも、私はささやかな絶望感に苛まれることになる。
もしかしたら私はこのまま、ずっと小説を書けないのではないだろうか。
そして、小説を書かない、ということは私自身にとってどれほど重い事実なのだろう。

それを失くして、私の人生は順行し得るのだろうか。

295 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:44:25 id:UJ9Oroso0
自動ドアが開く音がする。私は思わず首を伸ばして入口のほうを見遣った。
見覚えのある、揺らめく長身。希薄な存在感。それが悠然と、こちらへ向かってくる。

彼が内藤氏であると認識した直後に、私は俯いてしまった。
有体に言えば、どんな顔をして接すればいいのかが分からなかったのだ。
勝手に飛び出しておきながら、そして再び呼び出しておきながら、何と無様な格好だろう。

彼は注文をすることなく、私のもとへ真っ直ぐ歩いてきた。
視界の端に映るいつもの服装、いつもの鞄。
覚束ない両手で椅子を引き、墜落するように座り込む。

(゚、゚トソン「……」

( ^ω^)「……あの」

内藤氏は私のつむじ辺りでも眺めているのだろうか。視線を感じるのは間違いない。
彼はポケットから五百円玉を取り出し、私の目の前に置いた。

( ^ω^)「申し訳ないですが……今日は、その、注文してきてもらっても構いませんか」

(゚、゚トソン「あ……」

( ^ω^)「いつもの……コーヒー、を。砂糖も、ミルクも、無しで構わないので……」

目を上げて初めて内藤氏の顔を見つめ、愕然とする。
酷い肉体労働を終えた直後のように上気し、疲弊した顔。
その弛緩しきった筋肉を何とか持ち上げていつもの笑みを浮かべているような具合だったのだ。

296 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:45:46 id:UJ9Oroso0
(゚、゚トソン「あの、大丈夫、ですか」

( ^ω^)「え……ええ。はい。ちょっと、薬の用量を間違えたのかも……」

(゚、゚トソン「全然、大丈夫じゃないでしょう……」

( ^ω^)「いえ、少し落ち着いたら、治りますから……」

そういって荒く息を吐く内藤氏は、まるでサナトリウム文学の登場人物のようだった。
穏やかながら、どこかで死を予期している人物の、苦しげな笑顔。
見ているのが辛く思われ、私は彼のコーヒーを注文するために席を立った。

そうしてコーヒーを運んで戻ってきたとき、確かに内藤氏の表情はやや平静を取り戻したようだった。

しかし手の震えはいつも以上であるらしく、
カップを揺らして少しずつコーヒーをこぼしながら口にしようとする内藤氏の姿は、
いっそ憐憫の情すら誘うものであった。

( ^ω^)「手の震えは……気にすれば、するほど、ひどくなるんです。
      だから普段は気にしないよう心がけてるんですが……ここまでくると、
      さすがに、無理ですよね……どうしても気にしてしまいます」

いつもと同じ口調を貫く内藤氏に、ただ私の罪悪感だけが積み重なっていく。

297 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:46:32 id:UJ9Oroso0
(゚、゚トソン「すいません……そんな時に、呼び出してしまって」

( ^ω^)「いえ、いいんです……僕が体調悪いのなんて、いつものことですから」

(゚、゚トソン「それでも……」

( ^ω^)「それに、僕も、会いたかったですから……」

切れ切れに吐き出されたその言葉に、私の心が音を立てて軋む。
以前内藤氏は、もうハインに会いに行くことは無いだろうと言っていた。
また、自分を、『他人を是認する能力』によって寄せ集められた一人なのだとも。

ならば、内藤氏にとって私はハインの代替物なのだろうか。
彼の言う「会いたい」の真意はどこにあるのだろう。

( ^ω^)「……僕は、所詮こんな身なりですけれども、
      それでもやはり、自分に出来ることがあればしておきたいと思うのです。
      特に、相手が私にとって大切な人であるなら」

( ^ω^)「聴かせてください、貴方の、悩みを……」

298 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:47:16 id:UJ9Oroso0
(゚、゚トソン「……私には、分からないんです」

ふと、自分を饒舌に切り替えるとき、奇妙な浮遊感を覚える。
饒舌になるためだけに作られた人格が頭の中へ乗り込んでくるような感じ。
自分で作った筋書きになぞらえて、淡々と演じているような感じ。

(゚、゚トソン「私にはしたいことがありません。就職活動をしていても、それは見つからないんです。
     けれど時間は過ぎていくし、その中で私は、自分のするべきことを決めなければなりません。
     でも、何もしたくない私には、何かが出来るとは全然思えないんです」

(゚、゚トソン「就職活動を通じて幾人かの社会人の方と知り合いました。
     彼らは当たり前のように仕事をして、当たり前のようにお金を稼いでいます。
     出来れば私もそうした人になりたい、いや、もしかしたら割となれるものなのかもしれないです」

(゚、゚トソン「それでも踏ん切りがつかないというか……。
     自分の中の何かがそうして社会人になっていくことを否定するんです。
     甘えなのかもしれないです。でも、そういう気持ちが、引き離せないんです」

(゚、゚トソン「ここしばらく、小説を書いていました。いや、書こうとしていました。
     でも、何も書けませんでした。書きたいという気持ちはあっても、形に出来ないんです。
     こんな気分になったことは、今までにありませんでした」

(゚、゚トソン「私は焦っているのかもしれません。時間というものがただ消費されていくものだと思い知らされ、
     そのために自分に残されている時間が案外と少ないのではないのではないかという恐怖に憑かれて、
     何かを残そうとして、何かを表現しようとしてもがき苦しんでいるのかもしれないんです」

299 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:48:02 id:UJ9Oroso0
内藤氏は、時々首肯しながら、ただ黙って私の繰言を聴いてくれていた。

(゚、゚トソン「私が元々内藤さんと会うことになったのは、ハインが引き合わせてくれたからです。
     それも、私が『変人』を求めているという、ただそれだけの理由で。
     私は自分が、『変人』と出会うことによって変化できると思っていたんです」

(゚、゚トソン「けれど、私本人が凡人である以上、誰と関わったところで何も変わらないみたいです。
     私はこれまでにも多くの変な人と接してきました。私は、そういう人が好きでした。
     でもそれを溜め込んで、表現に変換する私は、何の変哲もない一枚の濾紙だったんです」

(゚、゚トソン「そういう自分であるということに、もっと早く気付いたらよかったのかもしれません。
     いや、いっそのこといつまでも気付かなければ良かったのか……。
     ともかく、私はこんなタイミングで気付いてしまいました。もう、後戻りできないんです」

( ^ω^)「……都村さん」

(゚、゚トソン「結局、何者にもなれない私は何者でもないまま終わってしまうのでしょうか。
     終わる、とはどういうことなんでしょう。そんな言葉一つで私は諦められるのでしょうか。
     これから、私は、自分自身に区切りをつけて前向きに歩めるのでしょうか」

(゚、゚トソン「……以前内藤さんは、私に、なぜ小説を書くのか、問いましたよね。
     その答えがようやく見つかりました。私は多くの人を呑み込もうとするが故に、
     自分を蔑ろに全ての他人を取り除いた心には、最早一滴の水も残らないんです」

(゚、゚トソン「私が小説を書くのは、どこにもいない自分を、探し続けようとしていたからかもしれません」

300 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:48:54 id:UJ9Oroso0
( ^ω^)「なるほど」

不意に途切れた私の言葉に呼応するかのように、内藤氏は呟いた。

( ^ω^)「……僕は、都村さんが何者でもないとは思いませんよ。
      だって、都村さんは都村さんじゃないですか。他の誰である必要もありません」

(゚、゚トソン「でも……それなら、私はいったい何者なんですか。
     誰が、私という、人、というか、存在を、保証してくれるんですか……」

( ^ω^)「自尊心、という言葉がありますよね。知ってますか?」

(゚、゚トソン「……はい。大学の、授業で」

( ^ω^)「プライドとは異なる、自分を大切にしようとする感情……ですね。
      僕はカウンセラーじゃないですからよくわからないんですけど、
      都村さんは、何らかの理由で、極端に自尊心が低下してしまっているのではないかと」

( ^ω^)「遺伝的要因とか、環境的要因とか……まあ、原因なんて探っても分かりませんが。
      都村さんは他人に対して無闇に協調、共感しようとするあまり自己を失いがちなのです。
      そのせいで、自分の人生を、より生き辛いものにしているのではないでしょうか」

( ^ω^)「最終的に自分を攻撃、してしまうから」

301 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:49:52 id:UJ9Oroso0
(゚、゚トソン「……」

( ^ω^)「それは誰にも迷惑をかけない方法でもあるのですが、
      一方で自分の脆さを外敵から守る回避行動でもあります。
      それでも自己否定は止まらず、とことんまで自分を追い詰めてしまう……」

( ^ω^)「小説にしてもそうです。どうやら貴方の書く小説は……いわば一般的なエンターテインメントではなく、
      自分の感情や思想を、小説という形式を用いて吐き出すタイプのものです。
      今の時代にこういう小説を書くというのは、自尊心の低さの表れではないかと」

( ^ω^)「つまり、本当に自分が言いたいことを自分の口からは言えずに、
      小説という媒体を通すことで何とか代弁させられているのではないですか」

彼は……内藤氏は、たった一片の短編小説からそれを読み取ったというのか。
いや、恐らく違うだろう。彼は自分で、少ない材料で判断したくはないと言っていた。

ならば何故か。私と彼が、似ているからだ。

(゚、゚トソン「……それが、分かったところで、今更どうすればいいんですか」

( ^ω^)「……」

(゚、゚トソン「誰かが私に自尊心を与えてくれるんですか。私も病院に行けばいいのですか。
     それとも、私は、私の自尊心を芽生えさせられるのですか。それは、簡単なことですか。
     芽生えた自尊心というものに寄り添うだけで、本当に私は生きていけるのですか」

(゚、゚トソン「……内藤さん」

( ^ω^)「はい」

(゚、゚トソン「例えば、貴方は……」

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「例えば、付き合うというような形で、私の存在を保証してくれますか」

304 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:50:41 id:UJ9Oroso0
それは、ほとんど脅迫のような言葉だった。
そして、自分自身を徹底的に破壊するための言葉でも、あった。

つまり私は問うているのだ。
お前ごときに私が救えるのか。お前は私ごときに人生の一部分でも差し出せるのか。
相手の好意を踏みにじるような言葉。自分が異性であるということを、利用した言葉。

最低の、言葉。

( ^ω^)「……分かりました」

( ^ω^)「貴方は、そこまで、追い詰められているんですね」

私はいったい何に追い詰められているのだろう?
考え直せば馬鹿馬鹿しい話だ。将来への漠然とした不安とか、その程度ですらない。
しかし、そんな馬鹿げた話にさえ追い詰められてしまうのが、私という人間なのだ。

( ^ω^)「結論から言えば、僕には貴方と付き合うというようなことはできません」

( ^ω^)「……けれど、他の男性なら割と簡単に貴方を受け入れるのではないでしょうか」

( ^ω^)「悲しい話かもしれませんが、それは外見的な評価、という一点に於いて、です」

(゚、゚トソン「……」

305 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:51:46 id:UJ9Oroso0
( ^ω^)「都村さん、一つ提案なのですが」

(゚、゚トソン「……はい?」

( ^ω^)「今から、僕の部屋に来ませんか」

( ^ω^)「お見せしたいものが、あるんです」

相変わらず柔和な笑みを浮かべてそう言った内藤氏からは、
当然ながら少しの悪意も見受けられなかった。彼は私が断れば簡単に引き下がるだろうし、
受け入れたとしても目を輝かせて喜ぶような真似はしないだろう。

( ^ω^)「それに、ここでは」

( ^ω^)「話せることも限られていますから……」

この期に及んで彼は何を言い出す心づもりなのだろう。
私に向かって、どのような方法で表現してみせるのだろう。

いずれ、私はもう言葉の限りを尽くしてしまっていて、唾棄すべき言葉すら吐いてしまっている。
もう私の内側には、およそ秘密と呼べるような想いは何も残っていない。

私はただ頷いてみせた。

(゚、゚トソン「何だか、とても寂しいです……」

と、凍えた息のような言葉を落として。

306 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:53:09 id:UJ9Oroso0
つんのめるような歩き方をする内藤氏の後ろからただ黙ってついていきながら、
私は全く以てどうでもいいことを考えていた。

例えば、目の前に二人の男性がいるとする。
外見はほぼ同じ。身分も、甲乙つけがたいと言っても構わない。
しかし一方は小説を書いていて、他方は別の趣味を持っている。

自分なら、どちらを選ぶだろう? 多分、小説を書いていないほうではないだろうか。

小説を書く、などという趣味は尋常ではない。そこに至るまでに、何らかの、
性格的な紆余曲折があったはずだ。つまり、その性格は歪んでしまっている。
そういう相手と一生の大部分を共に過ごすのは至極面倒だ。

あまつさえ、そうやって性格の歪んだ人間が、二人揃ってしまうともなれば。

男性が言い寄ってきたときに『私の趣味は小説を書くことです』と言えば向こうから忌避するのではないか。
そこで忌避する男性は正常だ。そこで忌避せず、むしろ積極的になるようであれば、
それはそれで面倒な人間であるに違いない。こちらからお断りを入れるとしよう。

随分と役に立つ発見をしたものだ。
ただ問題は、この発見を使う機会が無いということだが。

( ^ω^)「つきましたよ」

そう言われてふと顔を上げる。
佇んでいたのは、私が借りているアパートを些か豪華にしたような建物だった。

307 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:55:01 id:UJ9Oroso0
( ^ω^)「多分そこまで散らかってないと思うから……遠慮なく上がってください」

そう言われて通された部屋は、私のアパートなどよりは遥かに広い空間だった。
家族で住んでいても十分事足りるリビング・ダイニング。
そこから繋がっている二つの部屋は、いずれも私のワンルームと同じぐらい広い。

( ^ω^)「ああ、そっちの部屋は物置です……といっても、本ばかりですけど」

ただ、そういった全てに奇妙なほど生活感が無かった。
新築の……というよりは、早くも廃墟と化してしまったかのような具合。
流石に内藤氏の一人暮らしではこの住空間全てを使い切るのは不可能だろうが……。

( ^ω^)「リビングも、殆ど使わないんです。使うのは、こっちの寝室だけで……」

電灯のスイッチが入って照らし出されたその部屋には見覚えがあった。
ある意味で私が初めて内藤氏と出会った場所ともいえる。
彼はこの部屋で自分の姿を撮影し、Youtubeにアップロードしていたのだ。

まっ白い壁とベッド。その反対側にあるのは、想像していたものよりは小ぢんまりとしたノートパソコン。
その横には無数の薬袋と薬の説明書らしき紙が散らばっている。

( ^ω^)「ああ……ごめんなさい、ここだけちょっと、散らばってて」

衣類の類は見当たらない。皆クローゼットにしまわれているのだろうか。
キッチンにも食料品の類が見つからなかったせいか、本当に内藤氏がここで生活しているのか疑わしくなる。
もしかして、彼は私と会ったりする時以外は、死体となってこのベッドに横たわっているのではないか。

309 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:56:09 id:UJ9Oroso0
(゚、゚トソン「それで……見せたいもの、というのは?」

( ^ω^)「都村さん」

内藤氏はベッドに腰掛け、天井に向かって息を吐いた。

( ^ω^)「……昔、昔のことです。僕も貴方と同じように小説を書いていました。
      僕は、小説が世の中を変えると思っていました。いや、世の中とは言わなくても、
      一人や二人の人生ぐらいなら、変えられる影響力を持てるのではないかと考えたんです」

( ^ω^)「でもそれは叶わなかった……いや、叶えられませんでした。僕に才能が無かったからでもあります。
      それでも、僕は諦められなかった。曲がりなりにも社会に出てまで、自己表現の道を探りました」

( ^ω^)「何でもよかったんです。それこそ、新興宗教でも構わない。
      ただ人を僕の放つ言葉で変えることができたら。少しでも方向を変えられたら。
      そう思って僕は僕なりの努力をしました。けれど、道は困難を極めました」

( ^ω^)「社会人、というのは一つの自己表現の手段です。仕事が生き甲斐という人もいますからね。
      そこで得られる金銭を誇れる人もいます。まあ、実際お金が無くてはどうしようもありません。
      お金は人を生かします、お金は人を殺します。僕の父も、そういう考えの人間でした」

( ^ω^)「……僕の両親が亡くなっているのは、既に知っていると思います」

( ^ω^)「正確に言うと、父が母を殺して、その後彼も姿を眩ましたんです」

310 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:57:08 id:UJ9Oroso0
( ^ω^)「母は愛情に飢えていました。それはもう、よく分からないぐらいに愛情を欲していました。
      だから父を失くしては生きていけませんでした。僕に与える愛情など少しもなく、
      ただひたすら父の愛情を自分の中に呑み込み続けようとしていたんです」

( ^ω^)「父は金銭に飢えていました。それはもう、昼夜を問わずに金銭を欲し続けました。
      父は大きな証券会社で必要十分な成功を収めていましたが、それでも足りませんでした。
      何かに取りつかれてしまったかのように、来る日も来る日も金銭のためだけに働いていました」

( ^ω^)「こんな夫婦が……一つ屋根の下でやっていける筈もありません」

( ^ω^)「僕が社会人になってもなお、母は愛情を欲していました。
      父にはもう、愛情を与えるほどの感情や欲求が残っていませんでした。
      ただ金銭を稼ぐために、ひたすらに上昇しようとしていました。何事も置き去って」

( ^ω^)「そのために、ある一時期だけ、母は」

( ^ω^)「不貞を犯しました」

( ^ω^)「父はその時初めて、自分が金銭だけでは足りない人間なのだと気付いたようです。
      彼は興信所を利用し、母の不倫相手を調べ上げた挙句、
      自らの金銭的能力を大いに使い、相手の人生を、家庭そのものを徹底的に叩き潰しました」

( ^ω^)「しかし母は、それだけなら自殺しなかったでしょう。父が元通りに母を愛すれば、或いは。
      でも現実として、父は、愛人と呼ぶにもお粗末などこかの風俗嬢を家に連れ帰ってきました。
      当てつけ以外の何物でもありませんでした。事実、父がその女性を連れ帰ったのは一度きりです」

( ^ω^)「しかし、それで十分に、母の人生は壊れました」

311 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:58:19 id:UJ9Oroso0
( ^ω^)「母はある夜にドアノブで首を吊りました。不安定な方法ですが、母は成功したようです。
      ただただ無意味なだけの争いが無意味なまま終結しました。
      父には母を殺すつもりなどなかった。けれど、自己満足のためにそうしなければならなかった」

( ^ω^)「そしてその空虚な関係の間に、私がいました」

( ^ω^)「僕は幼い頃から両親の顔色を伺い、そして、二人の関係を修復出来ればと願っていました。
      両親が好きだったからなどと……いい人ぶるつもりはありません。
      ただ単純に、僕自身が、言い争う人間というものを目にしたくなかったからです」

( ^ω^)「しかし僕はあまりに無力でした。母親に愛情など与えられるはずもなく、
      父親に金銭を与えられるはずもなく。二人の欲望を一つも埋められなかったのです。
      僕には両親の人生を、或いは両親の関係を、未来を変える才能がありませんでした」

( ^ω^)「ただ、最期に、父は僕のしようとしてきたことに気付いたようです」

( ^ω^)「何故かはわかりません。しかし母の死を契機に父は家財の一切を引き払いました。
      随分とまとまったお金になったようです。それは今、僕の手元にあります。
      そして父はこの部屋を私に買い与えました」

( ^ω^)「父は僕にこう言いました。もう、お前は何もしなくていいから、と」
      そして何処へともなく消えました。多分……死んでいる、でしょう」

( ^ω^)「僕は」

( ^ω^)「僕はまるで、生きる意味を奪われてしまったかのような面持ちでした」

312 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:59:10 id:UJ9Oroso0
( ^ω^)「僕が表現に固執していたのは、そういった家庭環境の影響が色濃いのかもしれません。
      一番身近な両親すら変えられなかった。それでも、誰かを変えてみたい、と。
      そのために僕はただひたすら、狂人のようにして表現に憑かれたのです」

( ^ω^)「……都村さん」

(゚、゚トソン「はい」

( ^ω^)「現実って、何だと思いますか」

(゚、゚トソン「……はい?」

( ^ω^)「インターネットとは便利なもので、様々な情報が掲載されています。
      ソーシャルネットワークに参加していれば、望まずとも勝手に情報が手に入ります。
      僕たちはそこで、体罰が原因で自殺した生徒や、寝たきりの妻を殺した九十歳代の夫を知ります」

( ^ω^)「しかし、それらは本当に必要な情報なのでしょうか?
      僕たちはただ情報を弄ぶだけで、その実何も得られてはいなのではないでしょうか。
      生きていくために必要な情報は、もっと些少で構わないのではありませんか」

( ^ω^)「そう思うと、現代の人々の多くは、情報奴隷なのではないかと」

( ^ω^)「だから僕たちは取捨選択を上手くやっていかないといけない。
      けれど、それには自分の必要な情報、いわば現実に必要な情報を知らなければならない。
      だからまず現実の定義を決めましょう……なんて、面倒な話です」

( ^ω^)「もしかしたら、表現者だった頃の僕にはそれが出来ていなかったのかもしれません」

313 名前:名も無きAAのようです:2013/02/11(月) 23:59:58 id:UJ9Oroso0
( ^ω^)「僕は自分を追及していった結果、Youtubeに動画をアップロードしました。
      まず何が起きたか……。何も起きませんでした。見向きもされないんですよ。
      今にして思えば当たり前ですよね。数多の動画から僕の演説を見るなんて……馬鹿げています」

( ^ω^)「けれども、当時の僕にはそういうことが分からなかった。
      少なくとも僕は間違っていることを言っているつもりはありませんでした。
      だから、正しいことを言っていればいずれ誰かが僕に目を向けてくれるだろうと、思っていました」

( ^ω^)「駄目でした」

( ^ω^)「我慢比べのようなものです。私は目に見えない相手と一所懸命、我慢比べをしていました。
      しかしある日、とうとう限界が来ました。僕は、真っ当な形でカメラに向き合えなくなったのです。
      馬鹿みたいに喚き、怒鳴り散らした動画を、怒りのままにアップロードしました」

( ^ω^)「初めて、ウケました」

( ^ω^)「稚拙な僕はそれが、表現技法によってウケたのだと勘違いし、満足しました。
      現代に求められているのはそういうスタイルなのだと。これが、ウケるんだと。
      だから僕は続く動画も同じスタイルで演じ、そして投稿し続けました」

( ^ω^)「ま、徐々にウケなくなりますよね……だから更に過激なスタイルに移行します。
      ある日、僕は自分の才能を発揮して手首を切り裂きました。絶頂期です。
      そして僕は、ひたすらにただのピエロとして歩き続けたのです」

314 名前:名も無きAAのようです:2013/02/12(火) 00:00:48 id:TdiW3IQY0
( ^ω^)「……少なくとも、僕の言葉に意味など無かったんですよ。
      一番の見どころは醜い場面であって、メッセージ性なんてどうでもよかった。
      純粋な僕などどこにも存在せず、ただ奇行を演じる僕だけがいました」

( ^ω^)「……手首を裂く、という最大の行為をしてしまった後、私の人気は陰る一方でした。
      同じことをやっても取り合ってくれません。終わりなど、簡単に見えるものです。
      それでも僕は何とかしてもう一度自分に振り向かせようと、最大限の努力をしました」

( ^ω^)「飽きた。またこいつか。どうでもいい。はいはいこのパターンね……」

( ^ω^)「僕が何を言っても、正しいのか、正しくないのか、そんな答えさえ与えてはくれません。
      もう僕は、オオカミ少年にすらなれないんです。言葉を聞き流されるどころか、
      そもそもアクセスされない、誰にも届かない……」

( ^ω^)「それでも僕は繰り返し繰り返し投稿し続けて……ある時」

( ^ω^)「ふっと、どうでもよくなってしまいました」

( ^ω^)「才能が無いのに欲求ばかりが高まるばかり……そんな生活に嫌気がさしたんです。
      僕はもうまともに表現と、それを見る人と向き合うことができません。
      でも、それでも、何かが蠢くんです。私の中で、どうしようもない、塊が」

( ^ω^)「だからあの日……僕はハインさんに会いに行きました」

315 名前:名も無きAAのようです:2013/02/12(火) 00:01:32 id:TdiW3IQY0
( ^ω^)「時々漫画や小説なんかで、苦労話を目にすることがあります。
      創作への苦しみ。才能との闘い、自分なんて駄目なんじゃないだろうかという、懊悩。
      そして後書きなんかに、ご丁寧にこれは私自身の物語です、なんて書いてあったりして」

( ^ω^)「諦めなければ何とかなる、とか、楽しくできればいいじゃないか、とか。
      そういう前向きさ、というかひた向きさを描いた物語を読むたびに、僕は思うんです」

( ^ω^)「はぁ? って」

( ^ω^)「だって彼らの才能はしっかり発揮されています。だから紙になっているんです。
      惜しまない努力の果てにも、本当に何もない人間がいることから、目を背けてるんじゃないかと。
      彼らは言葉に責任を取りません。無能に死ぬまで努力をさせて、そして死なせるのです」

( ^ω^)「……僕には、お金があります。死ぬまで困らないだけの、十分なお金が」

( ^ω^)「いつの日か……僕は思うのではないでしょうか。
      表現などしなくても、自分の人生は十分に幸せだった。それでいいじゃないか。
      あの頃の若さや元気さは良い思い出だったのさ。今となっては、過去の話さ……」

( ^ω^)「そうなれば、僕は、永遠に目的を見失うのかも知れません。
      たとえ見つけたとしても、自分の過去を裏切るのは間違いないんです。
      僕は、どうやったって過去にけじめをつけることはできないんですよ」

( ^ω^)「
過去に、表現をしようとしていた自分を、僕はいつの日か殺す羽目になるんです。
      いや、殺すというよりは、思い出という牢屋に閉じ込めるんですよ。
      後に残るのは、過去の自分に対して殺人未遂を犯した、機能不全で、不完全な私だけです」

( ^ω^)「だから、私はあの日、ハインさんに自ら申し上げたんです。今の僕は、腑抜けです。
      内臓も魂も抜かれてしまった、ただの空っぽな器なんです、と」

316 名前:名も無きAAのようです:2013/02/12(火) 00:02:30 id:TdiW3IQY0
彼が何故、ここまで自分自身を削り取るような言葉ばかり口に出来るのか不思議でたまらない。
まるで物語の登場人物を紹介しているような口調だ。澱みなく、正確に伝えようとしている。

いや、もしかしたら彼は実際そう思っているのかもしれない。
最早目の前の彼は腑抜けてしまって存在を失った内藤氏であり、
嘗て、まだ魂の残っていた内藤氏は、まるっきり他人事のように考えられるのだろう。

( ^ω^)「……都村さん」

(゚、゚トソン「はい」

( ^ω^)「ごめんなさい……随分と無駄に、喋ってしまいました。
      そう、見せたいものがある、という話でしたよね……」

(゚、゚トソン「……」

( ^ω^)「どうでしょう……この、部屋」

(゚、゚トソン「部屋?」

( ^ω^)「前にも言いましたが、僕は貴方に僕みたいになって欲しくありません。
      出来れば健全な、表現者でいてほしいのです。しかし時間や社会はそれを許さないでしょう。
      今の世の中に、筆一本で生活するなんて、およそ不可能な話です」

(゚、゚トソン「……」

( ^ω^)「ここに部屋があります。
      あと、恐らく二人で分けても十分生活できるだけのお金もあります。なので」

( ^ω^)「もし良ければ、二人で一緒に暮らしますか?」

318 名前:名も無きAAのようです:2013/02/12(火) 00:07:02 id:TdiW3IQY0
その案が、一瞬魅力的に聞こえたのは、決して彼の説得力によるものだけではあるまい。

( ^ω^)「人間の幸福は健康と、愛情と、金銭によって保証されると、少なくとも僕はそう思います。
      健康は貴方の持ち物です。今のところは、大丈夫でしょう。愛情は、僕には分かりませんが、
      都村さんも分かっていないようなので、まだ大丈夫だと思います」

( ^ω^)「そして金銭は、僕が保証します」

結局、私が望むのはそういうものなのだろうか。一生涯を賄ってくれるだけの金銭は、
時間に追われる不安や、自分自身を壊そうとする衝動を、解消してくれるのだろうか。
そして私は、表現に対して向き合うために十分な時間を、得られるのだろうか。

ならば、内藤氏のアイデアは考えられる限り最高の手段ではないか。
今の私の、数少ない手札の中で、彼の選択肢は輝いて見える。

それで、いいのだろうか。

私は金銭を得ることによって社会から脱出する。
そしてひたすらに、無為な毎日を繰り返すことになるだろう。

(゚、゚トソン「……」

少しだけ考えあぐねた後、私は、

(゚、゚トソン「……すいません、やめて、おきます」

と、言った。

319 名前:名も無きAAのようです:2013/02/12(火) 00:08:07 id:TdiW3IQY0
(゚、゚トソン「きっと……私も内藤さんと同じく、表現の才能が無い人なんだと思います。
     内藤さんのお金を無意味に浪費することになるでしょうし、
     それに見合うだけの何かを内藤さんにお返しすることも出来ないでしょう」

(゚、゚トソン「私は、内藤さんのようにならないためにも、自分にけじめを付ける必要があると思うのです」

(゚、゚トソン「それに」

(゚、゚トソン「……現実問題、親を説得できないでしょうし。
     あと、内藤さんと私は、多分一緒に住める程、気の合うタイプでは無いと思います」

( ^ω^)「……」

後ろ髪を引かれる思いを隠して、私は内藤氏に拒否の意志を示す。
悔いが残らないわけではない。だが、やはり、私も『けじめ』をつけるべきなのだ。
内藤氏のくれた、甘やかな誘惑に身を委ねる資格など、私には無い。

私は私で、何にもならない、才能以前の能力と、袂を分かたなければならない。

( ^ω^)「そう、ですか」

内藤氏は少し黙ってから、そう言って頷いた。
それから、ほんのちょっとだけ本当っぽい笑みを浮べた。

( ^ω^)「残念です」

320 名前:名も無きAAのようです:2013/02/12(火) 00:09:07 id:TdiW3IQY0
(゚、゚トソン「内藤さん、一つお願いがあるのですが」

どうすれば私は自分にけじめをつけられるのだろう。
分からない。分からないと言っている間にも時間は過ぎていくから、益々分からなくなる。
何者でもない私から他人という要素を抜き取って、残るものはあるのだろうか。

( ^ω^)「何ですか?」

(゚、゚トソン「明日、時間ありますか?」

……実際のところ、私というガラス細工や、その中に仕込まれていた瓶は、
とっくの昔に壊れてしまっていたのかもしれない。他人の存在によって何とか均衡を保っていた私の身体は、
思考が引き起こした自壊によって、バラバラに砕け散ってしまっているのではないか。

( ^ω^)「ありますけど……どうしました?」

(゚、゚トソン「行きたい場所があるんです」

私は小説を書く。私は表現をしようとする。私は、生きている。
それでも私には何もない。私は何者でもない。私は、何も出来ない。
私には才能が無いからだ。才能が無いのに、続けなければならない義理も無い。

( ^ω^)「……『浪漫S区』ではなく?」

(゚、゚トソン「ええ。少々遠出になるのですが」

二月の半ば、初めての面接を放棄してまで、私はけじめをつけようとしている。
そしてまた内藤氏を引きずり出すのだ。それしか、私には方法が無い。
私は、自尊心を満たすためだけに他人を利用しようとしている。

( ^ω^)「……構いませんよ」

自分が何をしたいのか分からない。それでも、私は向かうのだ。
これは、言うなれば自分を探す旅ではなく、自分を殺す旅なのだ。
せめてけじめを付けられれば。そして、私自身の人生に、一定の答えを出せたら。

それだけで、十分だ。他には何も要らない。

私は、都村トソン。
私には、死に場所が、ある。



12.要らない 終わり

321 名前:名も無きAAのようです:2013/02/12(火) 00:09:48 id:TdiW3IQY0
次で終わります。

そんな板 or スレッドないです。
返信2013/12/08 10:54:08

13jigendaddyjigendaddy   13.死なない